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(今日のコトバ)
絆だって、雨降って地固まる。
強い絆というが、
ほんとうに強い絆は、
勝負やもめごとなど困難な問題に
取り組んだ後にできるもの。
痛みや傷に触れずに
絆など結べない。
もっというと、
痛みや傷つく関係を乗り越えたからこそ、
強い絆が結べる。
そう考えてみて、
本当に絆が結べる人は、
どれだけいるだろう。
多い人でも、
ほんの数人しかいないのではないか。
また、自分だけが
絆を結べている気になっても、
相手は絆などと考えていないこともある。
こちらが一方的に、
都合よく絆を結んでいると思っている
だけかもしれない。
だからこそ、
お互いが絆を結べていると思える関係は尊い。
大切に結び続けていく必要がある。
そのために、
痛みや傷つくことを経験しておくことが、
絆になとって必要。
今日の雨のように、
絆だって、雨降って地固まるなのだ。
(今日のコトバ)
立て役者になれば、
すべてが晴れ舞台。
何かを依頼される。
だが、モチベーションが上がらない。
ダラダラやってしまう。
結果、依頼相手からいい評価を得られない。
そんなことが何度かあった。
モチベーションが上がらないから、
良くは見えないのはあたりまえ。
気持ちが入っていないところが
露骨にわかったのだろう。
だが、こんなことではいけない。
では、どう対応すればいいのか。
それは、とにかく
依頼内容を前向きにとらえて、
肯定的に行動する。
誰かにいわれた後ではなく、
率先して自分で動く。
モチベーションが高くなれば、
評価も上がることが多くなり、
それが、
さらなるモチベーションアップにつながる。
もっといえば、
自分が動きたいように動ければ、
作業は楽しくなる。
だからこそ、
依頼されたら前向きに動いていこう。
最初はしんどくても、
必ず楽しくなる時がくる。
そうなれば、
こっちのものだ。
(今日のコトバ)
本物には、助っ人が集まる。
偽物には、盗っ人が集まる。
本気でやっている。
本物に違いない。
そう思う人は、
やはり別格の力を発揮する。
自分の力を最大限に使い、
全身全霊を懸けて責任を全うする。
当然、まわりでみている人間も、
応援したくなる。
力を貸したくなる。
反対に、いいかげんにやっている、
言い訳ばかりしている、
偽物としか思えない人もいる。
その人は、応援しようする人は
ほぼ近づいていかない。
なんとなく同じような連中が集まっている。
その同じような連中は、
決して、足し算、かけ算の絆はつくれず、
引き算や足を引っ張る行為に動いていく。
人の線引きは、本物・偽物だけではない。
わかっている。
だが、本物と偽物には
目に見えないが一線がある。
その一線は、常に生き方に連動していく。
そのことを忘れずに生きていきたい。
(今日のコトバ)
「だけどの人」より、
「つまりの人」より、
「もしもの人」で生きていこう。
人生、否定してばかりいると
いい運をつかむことができない。
それ以上に、
つまらない人生になる可能性が高くなる。
何かが起こると否定してしまう。
「だけど、、、」といってしまう。
また、理屈が先行すると、
自分はともかく相手は不愉快になる。
「つまり、、、」を頻繁に使ってしまう。
それなら、もっと前向きに生きてみてはどうか。
なるべく肯定して考えてみる。
その上に自分の目的を重ね合わせてみる。
「もしも、、、」と頭を働かせる人生。
そんな生き方ができたら、
人生は楽しいものになっていくはずだ。
もっというと、
いい運もめぐってくるはず。
あいさつのようでいい。
何かが起こると、
「もしも、、、」と考えてみる。
一つの運をつかむための生き方だと思う。
(今日のコトバ)
才能は、持って生まれた奇跡です。
人は、何か優れた才能を持っている。
どんな人もあるといっていい。
なぜなら、
何も才能がなかった人と
出会ったことがないのだ。
長所はそのまま才能に思えるし、
短所も状況が変われば
才能に思えることもある。
ただ、こうもいえる。
宝の持ち腐れをしている人が
たくさんいるということ。
才能に気づいていながら磨かない。
否、気づいているからこそ、
楽して磨かない人が大勢いる。
また、才能に気づかない人もいる。
まわりから見れば
明らかに才能があるのに、
自分ではわかっていない。
もっというと、
わかろうともしていない人もいる。
才能。
天から与えられた、
他人より秀でているもの。
その力を存分に使うことが、
人生にとってとてもプラスになる。
そのために、
自分の才能を知り、
自分の才能を磨く。
そのことを忘れてはいけないと思う。
(今日のコトバ)
どうやって勝てるかで
生きてきたのに、
どうやって幸せになるかに
嫉妬している。
勝負に勝ちながら、
人生の夢を叶えていく。
何かを手に入れようとしたら、
ほぼ勝負しなければならない。
そして、勝つことによって、
欲しいものを手にしていく。
試合、受験、入社試験、昇進試験、、、。
自分の理想のポジションを
手に入れたかったら、
みな勝負がついてまわる。
だが、勝ってみると、
それこそ
「勝つだけがすべててはない」
世界がある。
勝って失うものもあれば、
負けて得るものもある。
勝って自分の嫌な部分が
明解になることもあれば、
負けて自分の優しさを
知ることもある。
もっというと、
勝った結果、
幸せになれるかなれないかが、
ものすごく重要になってくる。
勝ったんだから、
当然幸せになれると思うと、
そうでもないこともある。
できるなら、
勝った先で幸せになれると
思っていたから、
残念に思うこともある。
だからこそ、
「勝った結果、幸せになれるか」を
念頭において生きる。
勝った、負けただけがすべてではない。
その先には、
もっと大きい幸せというものがあることを
忘れずに生きる。
そのために、
勝った後のことを想定しながら、
自分の人生を組み立てる。
そんなことも意識していこう。
(今日のコトバ)
努力とは、
運を引き寄せる握力をつけること。
何のために努力をするか。
辛い、苦しい、しんどい、、、。
地道、コツコツ、、、。
言葉としても華はなく、
できれば努力する期間を減らしたいと
思うこともある。
では、そこまでして、
なぜ、人は努力するのか。
それは、技を身につけたい、
精神力を向上させたいなどと思うから。
ただ、究極は努力することによって、
目標を達成したいと
思うからに他ならない。
もっというと、自分の運命を
引き寄せるために努力するといっていい。
そして、瞬間で運命を変えることは、
なかなか難しいが、
運命を変えていくには、
努力という方法が、
いちばん確実な方法でもある。
だからこそ、
人は努力する。
努力をやめないのだ。
その意味を理解すれば、
目標を持った時、
努力を前向きにとらえられる。
目標達成への人の持つ
確実性の高い武器。
努力は運命にとって、
とても役立つ機能なのだ。
(今日のコトバ)
一言で変わる。
一歩で変わる。
一撃で変わる。
人は、一瞬で変われるのだ。
人は、
一瞬で変われる武器を持っている。
言葉を伝えることで変われる。
一歩踏み出すことで変われる。
攻めることで変われる、、、、。
自分の行動で一瞬をコントロールできる。
これが、他人をコントロールしようとすると
難しい。
自分でないから、相手の行動待ち。
動いてくれなければ、
何も解決しないこともある。
だが、自分だったら、
かなりの部分行動で解決できる。
この武器を使わない手はない。
人生は短い。
待っていたら、
それだけ時間をロスすることもある。
だとしたら、
自分で動けばいい。
多くの場合が一瞬で変わる。
人生を、時間を有効に使うために、
一瞬で変われる武器を使うのだ。
(今日のコトバ)
人間に生まれてきたんだ、
一生分の幸せを使い果たして
生きていこうじゃないか。
幸せの数、
幸せの分量などわからない。
ただ、極論すると人生は
幸せと不幸せで構成されている。
そう考えると、
いかに幸せの数を増やして生きるかが
人生の課題になるともいえる。
となると、やり方、方法はともかく、
貪欲に幸せをつかみにいくことが先決。
幸せの前で遠慮したり、
幸せの前から逃げたり、
幸せでないと不貞腐ったりすることは
意味がない。
幸せとあらば
全部いただくぐらいの気持ちでいい。
人生は、どうしても避けられない試練がある。
その時、幸せをたくさん装備して
乗り越える。
人生のいろいろな場所、時間で使える幸せ。
人生のいろいろな場面で感じる幸せ。
人生を楽しいと思わせてくれる幸せ、、、。
それらの幸せで、
試練や不幸せを乗り越える。
幸せ収集家ぐらいの気持ちで生きていこう。
(今日のコトバ)
1%の可能性だって、
全力を1%に懸ければ、
1%は100%になる。
「99%ダメ」とか、
「確率は1%もない」とか。
絶体絶命、
絶対無理な時に、
数字で表そうとする。
だが、この%に何の根拠もない。
もっといえば、77%を99%と
いっているかもしれないし、
6%を1%と表しているかもしない。
最近の言葉ではエビデンスというものが
本当にあるかというと、
極端な数字の場合、
なんとなくの
イメージでしかないことが多い。
だとしたら、仮に、確率が1%しかないと
いわれているのなら、
その1%に全力を傾けてみる。
確率1%を疑ってみて
全力という100%の力を投入する。
結果はどうなるか。
それこそエビデンスをとってみたいが、
確率1%なんてことはないような気がする。
ただ、可能性が低いというだけ。
だとしたら、全力でその%を変えてみる。
それこそが
人生の大きな醍醐味ではないだろうか。
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