そばに話しを聞いてくれる人がいる

 

(今日のコトバ)

 

いっぱい話してくれる人は

大切だけど、

いっぱい話しを聞いてくれる人は、

もっと大切。

 

 

おもしろくて、

楽しい人が

まわりにいてくれるのは

ありがたい。

いてくれることに感謝もしたい。

ただ、それ以上に大切な人がいる。

それは、自分の話しを

聞いてくれる人。

どんなことでもいい。

些細なこと、

とるに足らないこと、

世間話、、。

そして、肝心なことも、

自分が辛いときの話しも

聞いてくれる。

無理にアドバイスはいらない。

ただただ話しを聞いてくれる人。

そんな人が

自分の人生にいてくれると、

人生はより有意義になる。

人生はたった一度きり。

できる限り素晴らしいものにしたい。

そのために、

話しを聞いてくれる人が

自分のそばにいてくれることは

大切なことだと思う。

 

 

未来は支配できない

 

(今日のコトバ)

 

「いつか」

「こんどこそ」は、

いまのあなたには支配できない。

 

 

上手くいっていない時、

人はいう。

「いつか」とか、

「こんどこそ」とか、

「いまに見ていろ」とか。

その気持ちはわかる。

何とか現在の状況を打破して、

目標を達成する自分を伝えたい。

だが、これから先の未来は、

何も約束できない。

どうなるかはわからない。

伝えられるとしたら、

「いま」という現状だけだ。

その「いま」が上手くいっていないのに、

未来をどうだこうだは、

いうだけ空しいものになる。

もし、未来のことを発信するのであれば、

「いま」という現実で結果を出している、

実績を積み上げていることが大切。

未来のことは誰もわからなくても、

実績があれば、

「あいつならやるかも」と

耳は傾けてもらえる。

ただ、耳を傾けてもらえるまでだ。

結局は、未来のことは支配できない。

ほら吹きらならないように

偉そうに未来を語るのは

考えた方がいいと思う。

席をつくってくれた人

 

(今日のコトバ)

 

あなたがその場所に

気持ちよく座れるのは、

その場所をあたためてくれた人が

いたからです。

 

 

 

なぜ、自分に座る席があるのだろう。

仕事場、家、趣味の場など、

自分が座るべき席がある。

あたりまえのように

そこに座れるけれど、

なぜ座れるかを

あまり考えたことがない。

考えてみると、

自分の席に座るために、

必ず誰かが動いてくれている。

その上で自分が居場所として

わがもの顔で座っている。

そう考えると、

この席をつくってくれた人に

感謝せずにはいられない。

席をつくってくれた人、

自分を支えてくれた人がいるから、

自分の居場所がある。

だからこそ、その人達に感謝。

そこに座れるのはあたりまえではない。

肝に銘じて生きていきたい。

道は誰かが並走している

 

(今日のコトバ)

 

志の向かう方向が同じなら、

道は必ずつながる。

 

 

人生は道の選択の連続だ。

自分の行きたい道を、

意識無意識にかかわらず

選んでいる。

その途中で、

必ずといっていいほど、

出会うべき人に会っている。

もっというと、

同じ道なら並走するように

同じ道を歩く人がいる。

自分の道を歩いているのだが、

目的地が同じだと、

まわりに同じ道を歩く人がいる。

だからこそ、

自分で道を選択しても

一人ではないと思っていい。

孤立しなくていい。

ちょっと見渡して見ると、

誰かが横にいる。

前を歩いている人もいる。

アドバイスを受けていい。

助けを求めてもいい。

最終的に自分の道を

ゴールすればいい。

人生に同じ道を歩く人が

必ずいるのだ。

 

いい波に乗れ

 

(今日のコトバ)

 

みんなにエールを

おくられているうちに、

あなたの夢を叶えよう。

 

 

タイミングというもがある。

いい波がきていると思う時もある。

チャンスだといえる時かもしれない。

その時、その勢いに

迷わず乗ってしまう。

躊躇せずに波に乗る。

自分が感じるだけでなく、

まわりも応援してくれる状況がある。

自分にとっていいタイミングは、

それほどない。

人生で数えるほどしか

感じることはないのではないか。

そのタイミングを

指をくわえて見ていたら、

人生のチャンスを見逃すことになる。

そう考えると、

自分にとっていいタイミングは、

絶対に乗るべき。

後のことは、

乗った上で考えればいい。

人生という限られた時間に

訪れたタイミングは幸運と思っていい。

だからこそ、必ずその幸運を捉える。

そのために、ためらわずいい波に乗る。

人生を素晴らしいものにするために

大切なことだと思う。

 

生きることと夢は一心同体

 

(今日のコトバ)

 

夢は、

生きるために

人生を駆けめぐる希望である。

 

 

夢って、何だろう。

眠った時に見る夢ではなく、

生きている時間に見る夢とは、

何だろう。

それは、自分の理想の頂点にあるもの。

「こんなことをしたい」と思う完成形。

何年かけても到達したいゴール、、。

いろいろな考え方がある。

ただ、その頂に希望があることは

間違いない。

何がとは具体的にいえないかもしれない。

だが、たどり着くと、

途轍もない幸福感を感じる。

自分の人生を肯定できる。

だからこそ、生きるために夢が必要。

生きていくから、夢がある。

夢があるから、生きられる。

どちらでもいい。

生きることと夢は一心同体。

人は生まれた瞬間から、

生きるために

夢が体をめぐっているのだ。

自分を象徴する言葉のアイコン

 

(今日のコトバ)

 

名前は、

年齢を重ねるごとに

ジャストフィットしてくる。

 

 

名前。

生まれた時から

人生が終わるまで付き合うもの。

もちろん、改名して

名前が変わる人もいる。

芸名やニックネームを名前として

使う人もいる。

その誰もが自分の象徴として

使う言葉のアイコン。

最初は、

名は体を表していなかったり、

違和感を感じる名前もあるが、

長く生きれば生きるほど、

名前と本人は一致してくる。

「名前通りな人間だな」とも

いわれるようになる。

だからこそ、

名前を大事にしたい。

自分を象徴する最初で最大の

言葉のアイコン。

アイコンを

大事にしないということは、

自分を大事にしないということ。

それは、自分に対して失礼だ。

名前という

一生付き合う言葉のアイコンと、

最高の関係で生きていこう。

想い出に戻ればいい

 

(今日のコトバ)

 

もう戻れないものに

戻ることはない。

人間には戻れなくても

生きていけるように、

想い出が美しく再現してくれる。

 

 

どうにもならないものがある。

例えば、過去。

もう過ぎ去ってしまったものを、

どうすることもできない。

手を加えたり、

カットしたり、

編集することもできない。

ましてや新しいものを構築したり、

想像したものを

付け加えることもできない。

だが、人には記憶がある。

優しくいうと想い出がある。

想い出は、ほとんどの場合、

美しいもの、笑い話、

楽しいものに変わる。

人の気持ちを

あたたかいものに変えてくれる。

だからこそ、

もう戻れないものに

固執する必要はない。

人は時々、

ないものねだりで

戻れないものに戻りたくなる。

ただ、戻れなくていいように、

想い出という装置が人にはある。

どうしても戻りたかったら、

想い出の引き出しを

開ければいいのだ。

 

 

命に感謝

 

(今日のコトバ)

 

命は愛することで生まれ、

愛されることで燃え上がる。

 

 

なんだかんだいっても、

命あることがすべてだ。

命があるからこそ、

いまを生きていて、

喜び、楽しみ、

悲しみ、苦しみなどを

感じることができる。

すべての出来事が

良いことばかりではないけれど、

それでも面白いと思って

生きていける。

それは命があるからこそ。

だからこそ、

命に感謝したい。

親が愛を持って

自分を生んでくれた命に感謝。

自分が生きるためのテーマが

生まれるたびに、

燃え上がる命に感謝。

生れてから寿命をまっとうするまで

動きを止めない命に感謝。

命に感謝、感謝、感謝。

生きていける自分の源は、

命を大切にしていこう。

 

「もっと、もっと」の気持ち

 

(今日のコトバ)

 

生きるという

幸運を一つ持って、

まだ、幸運を求めている人間は

欲深き生きものです。

 

 

運はいい方がいい。

できれば、幸運に恵まれたい。

ほとんどの人がそう思って生きている。

日々、幸運なことが起こらないかと

思っているといっても過言ではない。

だが、考えてみると、

もう生きているという幸運を

すでに手にしている。

立派に、普通に、

しんどいけれど生きている。

生きている。

これほど大きな幸運はない。

命があって、

日々、いろいろな体験ができる。

いいことばかりではないが、

それでも面白いと思えることも多い。

生きている以外にも、

たくさんの幸運が起こっている。

もっと幸運になりたいと思うのは、

欲が深いともいえる。

ただ、だからこそ、

人間は進化してきたのかもしれない。

「もっと、もっと」の気持ちが、

人を幸せにしてきたのかもしれない。

そう思うと、幸運に対して欲深いことも

人にとって大切な気持ちだと思う。