「情」は人と人の間に

(今日のコトバ)

 

挫折という骨折をいち早くなおすのは、

情という松葉づえです。

 

 

 

デジタルの時代になって何年たつだろう。製品、技術、そして産業と

様々なものがアナログの時代の終焉をむかえていく。

その世の中でいちばんデジタル化したものは何だろう。

それは、人だ。もっと声高にいわれてもいいのだが、現代人、特に

若者や子供の表情から、あきらかに喜怒哀楽が消えている。

人生の早い時期から、人と人の交流より、

コンピューターとの会話を重視する。人権問題だと

怒る殴る大人がいなくなる。やたらとルールでがんじがらめにされる。

昔いた鼻水をたらして風をきって遊んでいた少年のような

元気が感じられなくなっている。

発展途上国のドキュメンタリーを見ると、食料もままならない現実に、

僕らは悲しくなるのだが、救われるのは子供たちの瞳の輝きである。

あの瞳には「おなかいっぱい食べたい」「学校へ行きたい」

「親と暮らしたい」という小さいけれど大きな希望がキラキラ光っている。

貧しさゆえに自分の手ですべてを完結しなければならない。

人と人が助け合って知恵を働かせなくては生きていけない。

そんな暮らしの中に、人が忘れてはいけない「情」というものがある。

「情」は弱ったり、困ったりしている人の間に派生するものだ。

貧しくなく、誰からも干渉されることもなく、

ひとりの世界観だけで生きていける社会では、退化していく本能なのかもしれない。

しかし、まわりを見渡せば心を病んでいる人がどんなに多いことか。

自殺者がどんなに多いことか。そして、

いまこの時間に苦しんでいる人がどんなに多いことか。

人が進化を急ぐあまりもたらしてしまった病が蔓延している。

病が蔓延するのなら、人の知恵で病を防ごう。

人の進化のスピードを止めるのは難しい。

ならば、「情」を心に持ち続けよう。

「情」とは、人と人の間に生まれるもの。

落ち込んでる人に声をかけてあげる。

挫折している人に話をしてあげる。

それだけで、人と人の間に「情」が生まれる。

人は話してくれる人がいるだけで、強力な味方をもつことになる。

生きていくヒントを見つけることだってできるのだ。

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