自分の武器でオンリーワン

(今日のコトバ)

 

オンリーワンになるために、

いま持っている自分のベストワンを磨き続けろ。

 

 

誰もが持たない自分の才能を育てるために。

いま持っている自分の武器を磨き続けよう。

人より思いっきり秀でている必要はない。

自分の中で得意なもの。自分の中で好きなもの。

自分の中であきないもの。

それらの基準を満たしているもので勝負しよう。

楽しみながら、あきずに、コツコツやり続けるだけでいい。

いつか、その武器が人生を変える時がくる。

ここ一番での切り札になる時がくる。

そして、あなた自身がオンリーワンになる時がくるのだ。

明日進化するための今日

(今日のコトバ)

 

宝島は、いつだって行く道の先にある。

 

 

同じような顔をした毎日でおもしろくない。

刺激のない日々がただ流れてていく。

もっとワクワクした明日にしたい。

できれば、一発あてるぐらいの人生にしたい。

そう考えると、何か特別に奇抜なことをしたり、

無理な行動を三日坊主でやってみたりして、

簡単に結果を求めてしまう。

でも、そこでは何も変わらない。

では、どうしたら劇的な日々にたどり着けるか。

いちばん間違えのない方法は、

いまいる場所を掘ること。

いま走っている道をさらにスピードアップして疾走すること。

もっている財産を大事にして、次の進化へ投資する。

それが、いちばん簡単な方法だ。

0からスタートしても宝島まで行くには、時間がかかる。

ここにいるあなたがもっているものから発想すれば、

結果を導き出すのは0より圧倒的に早い。

一発あてることだって、死ぬ気になればできるかもしれない。

だから、いまもっているものを大切にしよう。

その財産でまだ未開の明日に投資するのだ。

そうすれば、明日進化するための今日をみつけることができる。

楽しい毎日が生まれ、自分の夢へと近づいていけるのだ。

幸せ基準のバー

(今日のコトバ)

 

幸福の尺度は、心に決定権がある。

 

 

どれほど幸せであっても、

本人が幸せと認めなければ幸せとはいわない。

貧乏人とお金持ち、勝者と敗者、恋愛している人と恋愛していない人、、、。

貧乏人ならちょっとしたことに感激するかもしれないが、

金持ちではどうでもいいことと感じるかもしれない。

勝者は小さな勝利はあたりまえになっているかもしれないが、

敗者はどんな小さな勝利でも進化のきっかけと考えるかもしれない。

恋愛中の人は相手の気になる一言一言をジョークととらえるかもしれないが、

恋愛していない人は一言で立ち直れないほど傷ついてしまう。

つまり、いま本人がどんな状況にいるかで、

幸せの尺度は決まってしまう。

だとしたら、幸せの基準のバーを低くしたらどうだろう。

たとえば、気持ちよく起きたら幸せ。食事がおいしかったら幸せ。

おもしろいテレビを見れたら幸せ。友達がひとり増えたら幸せ。

テストがよかったら幸せ。グッドジョブで幸せ、、、、、。

一日の幸せの数をかぞえたら、結構な数がある。

億万長者にならなくても、ワールドカップの代表に選ばれなくても、

幸せは自分の側にたくさんある。

そう思える暮らしができる人の方が、

圧倒的に人生を楽しめるはずだ。

忘れないでほしい。

幸せを決めるのは、人との比較ではなく、

自分の心だということを。

そして、人生は幸せだと思えないと、生きる勇気が生まれないことを。

天の配剤による奇跡

(今日のコトバ)

 

積み上げた努力を称賛して、奇跡は起こるのだ。

 

 

ある日突然、なんの前ぶれもなくとてつもない幸運が訪れる。

凄い記録。大逆転勝利。受かりそうもない志望校の合格。信じられない商談の成立。

自分のまわりの奇跡とは、予想だにしなかった結果が表れたとき、

奇跡だと信じるのだと思う。

ただ、冷静に考えたると、予想を超えた結果を得るために、

まったく努力をしないことがあっただろうか。

レベルの差こそあれ、努力に努力を重ね目標に邁進していったのではないだろうか。

徹底的に訓練したが記録を超えなかった。

勝ち目などほぼないが敵の何倍も練習した。

偏差値は伸び悩んだものの勉強時間は誰にも負けなかった。

自分より大きな会社との競合だったが最善を尽くした。

こんな気持ちをもてたとき、天の配剤として奇跡が舞い降りる。

奇跡の結果にたよるわけにはいかないが、

少なくとも奇跡を求めるぐらい努力しなければ、

良い結果は得られない。

だから、人生の勝負を賭けて戦うときにあきらめてはいけない。

最後の最後まで努力して結果を求める姿勢を貫くべきだ。

天の神様が見ても、こいつに一票と思わせるぐらいに。

不愉快は不運になる

(今日のコトバ)

 

機嫌の悪さに、不運はたかる。

 

 

 

なんでもないことにイライラしたり、

人に伝わるほど機嫌が悪かったり、

生理的な不快感を内に秘めず、

思いっきり表現する人がいる。

諸事情で気分が変わることは誰にでもあるが、

それを攻撃的に他人に向けて発するのは、

あまりいい結果を及ぼさないと思う。

怒鳴ったり、怒ったりすれば、人は寄りつかないし、

基本的にはその人を好きにはなれない。

楽しい話題やポジティブなことを率先して、

その人に話そうとは思わない。

ひとりでカリカリしている人にも、

仲間に入れるよりは避けてしまうと思う。

原因はどうあれ、機嫌の悪さのまわりから、

人々は避けて通るようになる。

つまり、人も、機会も、その人に近づかないのなら、

いいことはまずないし、むしろ、不愉快を他人に伝播している分、

不運ばかりにつきまとわれる。

あなたのまわりの人も見てほしい。

機嫌の悪い人は、孤立しているはずだ。

孤立だけならまだしも、そのまわりには幸運も寄ってこない。

できれば、機嫌よく生き、幸運から寄ってくるような

スタイルを築くべきだ。

日々の出来事は、楽しいことばかりではないことはわかっている。

それでも、自分の不愉快を人に伝えてはいけない。

その不愉快は人を伝わって不運となって、

また、自分に返ってくるのだから。

「気」のスイッチ

(今日のコトバ)

 

気を入れることでアクセルに。

気にしないことでブレーキに。

人生は走り続ける。

 

 

人生にも走り続けなければならない時と、

止まらなければならない時がある。

その使い分けは、「気」にある。

情熱を燃やして全快で何かに挑戦する時、

気合いを入れて、気持ちをこめて、

精神をトップスピードにあげなければならない。

反対に、視界が悪すぎる、危険が大きすぎる時、

気を張って、正しい判断をしなければならない。

緊迫が続いた後は、気を緩めて自分を解放することも必要だ。

つまり、人生は「気」のスイッチのオン・オフで走り続けている。

この「気」を上手に使うことが生きるための鍵になる。

もっと自分のペースで、もっと自分をリラックスさせて生きるために、

「気」をコントロールすることを意識しよう。

行くべき場所に、速く

(今日のコトバ)

 

あなたが何者かわからなければ、

導いてくれる人も現れない。

 

 

自分のフラッグをしっかり立てる。

誰もがわかりやすいように、明確に、鮮やかに。

その一点をクリアするだけで、

人は行きたいところへ導かれる。

「この人は、こういう人だ」とわかってしまえば、

何か相談しやすくなる。

だんだんテーマを集中して相談されるようになる。

ひいては、自動的に行く道がつくられることになる。

やりたいこと、やるべきこと、得意なことがあるなら、

フラッグを立てて邁進しよう。

自分の行くべき場所に加速度的に早く

たどり着けるはずだ。

美しいフォームで一線超え

(今日のコトバ)

 

 

一線超越。

 

 

何かを達成しようとしたときに、

ある一線を超えなければならないときがある。

何か感情のが爆発したとき、

最後の一線を超えなければならないときがある。

そこから先は、危険かもしれないが

行かなければ獲物は奪えない。

一線。どこにラインがあるでもなく、

目に見える物でもない。

だが、確かに自分の前に存在するもの。

人は、その一線を超えることで、

新しい未来を手にすることができる。

けして、美しい未来ばかりではなく、

汚れた悲しい未来であったりすることもある。

でも、超えねばならないのが人の性。

できれば、美しいフォームで超えて、

美しい未来を手に入れたい。

そして、一線を超えたことによって、

自分の人生が大きく好転していけば最高だ。

コトバザウルスの日

突然ですが本日を「コトバザウルスの日」とさせていただきます。

 

理由はまず、このコトバ集の構想開始が5年前の9月12日からであること。

もう一点は、制作者がこの日が誕生したこと。

かかわってくれているスタッフもすべて9月生まれであることから、

本日を「コトバザウルスの日」と制定させていただきます。

ちなみに9月12日は、「宇宙の日」でもあります。

 

特別なイベントはありませんが、コツコツとコトバをつくり続けることで

コトバザウルスを大きく成長させていきたいと思います。

今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

(今日のコトバ)

長距離ランナーは、

未来から借りたチカラで

夢を追い続けていく。

 

 

あるマラソンランナーが後半になって苦しくなると、

「後もう一本先の電柱まで頑張ろう」と自分を励まし

ゴールにたどり着いたという。

走る先にある電柱を目印にして、自分の限界をのばしていく。

なぜ、人は苦しい思いをしてまで限界を超えようとするのか。

それは、未来にあるはずの目標から借りたチカラが、

自分の魂を引っ張っているといって過言ではない。

未来があれば、目標があれば、

限界を超えて未知なる世界に踏み出せる。

そう自分の限界を超えたい時は、

大きな目標を描くのだ。

その目標のチカラがあなたの限界を超えさせてくれる。

あなたの壁を超えさせてくれる。

目標力は、人間に偉大なチカラを与えるのだ。

心は言葉

(今日のコトバ)

 

言葉は、心を理性で包んだギフトです。

 

 

心ってどこにあるんだろう。

実は、胸にあるのか、頭にあるのか、お腹にあるのか、

わかりはしない。でも、まぎれもなくいえるのは、

心の断片は、言葉になって正体をあらわしている。

一般的には、思ったことストレートに発するのではなく、

一瞬だが頭に相談して言葉にして人に伝える。

それは、まぎれもなく心をキレイに包装して、

差し上げることなのだ。

有史以来、人間が生み出したもっとも美しい心の表現方法と

いっても過言ではない。

この素晴らしい能力を人は捨ててはいけない。

言葉という心を、理性でくるんで贈る。

この行為を堅持しなければならない。

直情型で心の悪い部分も一気に吐き出すのは、

よっぽどのことがなければしてはいけない。

時々、苦しくて、時々、愛しくて、

心のままに言葉を発するもある。

それは、許される。

料理でも手のこんだ料理もあれば、お刺身もある。

その時々で心という言葉は使い方がある。

ただ、直情型で心をぶつけて相手を踏みつけてはいけない。

心で相手を踏みつけたら、今度は踏みつけ返される。

心を踏みつけられたら、自分はどうか考えてみよう。

下手をすれば、一生傷ついてしまう。

心は言葉だ。大事に大事に使って、

自分の人生が有意義になるように表現しよう。