中央突破

(今日のコトバ)

 

 

中央突破が、一番安全だ。

 

 

細心の注意を払い策を講じた上、

決定した方法が意外に上手くいかなかったりする。

コソコソして人の目を盗んだ手も、

相手からするとお見通しだったりする。

危険そうな正面突破、中央突破が、

実は一番安全な対処方法だったりするのだ。

まず、正面から堂々と突き進めば、

姑息な動きをするより信用を築ける。

相手にも邪道には見られず、

ある程度理解される。

策を講じてばかりいると、

アイデアマンと思われる可能性もあるが、

食えない奴と信用されないこともある。

人生の橋を渡るときに、

自分なりの方法は絶対必要だ。

ただし、その橋が危ない橋で渡らなければならないなら、

中央突破を念頭におけ。

打開策の選択として、けして悪い選択ではないのだ。

 

 

 

 

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人生の黄金を

(今日のコトバ)

 

 

ポストがあるということは、

チャンスがあるということ。

 

 

どこにも属さなく、どこにも席がない。

ということがあるだろうか。

相当まれな場合はあるだろうが、

基本的にはありえないことだと思う。

人は、どこかに属していると何かのポストや

役割が必ずあるはずだ。

普段気づかずにいるだけで、得意分野の作業を行っているはずだ。

そこには、人生においての大きなチャンスが潜んでいる。

もっといえば、人生のチャンスは、ほとんどそこに潜んでいるのだ。

黄金を手にしたければ、今いる場所を掘れ。

鉱脈を発見するまで、どこまでもどこまでも掘れ。

自分がいる、自分が得意な、自分の場所から、

人生を劇的に進化させる宝物を見つけられる。

いざ掘らん、人生の黄金を。

キレて失ったものの大きさ

(今日のコトバ)

 

やけになって失うより、

踏みとどまって得ることを選ぶのだ。

 

 

 

キレてしまうことは、簡単だ。

やけになって怒り、いままで築いたものまで失ってしまう。

自分の腹の虫は治まるかもしれなが、

壊れたものの代償は大きい。

人間関係において、もう一度、元に戻すのは大変な作業になる。

できれば、関係を切るようなことをせず、

ゆるめたり、のばしたりしながら、

保っておいた方がいいと思う。

たとえば、100%相手が悪い場合は、いたしかたないこともあるが、

自分が間違っていた場合は取り返しのつかないことになる。

謝ってすめばいいが、修復不可能なことにもなりかねない。

さらに、人間関係のその先にある利害関係も、

遮断してしまうことになる。

その利害がとても大きなものだと、

失った信頼の重さを後々気づき寂しくなる。

だから、キレてしまうことで、失うことを極力さけよう。

少なくとも自分に非がある場合は、キレてはならない。

人間同士の結びつきを失ったとき、

人間の中から消えていく絆はかけがえのない財産なのだから。

出来事を現場で

(今日のコトバ)

 

そこにいることが大切なのだ。

 

 

ライブがあるときに、その場所にいなければ楽しさは半減する。

イベントがあるときに、その場所にいなければ良さは理解できない。

反対に、制作側でも当事者は現場にいなければ正しい判断は下させない。

何かが起こるところに、自分がいることが大事なのだ。

いなければ、楽しめない。いなければ、権利がない。

そこにいることが、あらゆる出来事で有利に働くのだ。

もっといえば、そこに行こうとする行動力があるか、ないかが、

すべてを決しているといっても過言ではない。

現場主義。行動主義。体験主義。

一歩踏み出せる人は、大事なものを手に入れることができるのだ。

「蓄え」と「繋がり」

(今日のコトバ)

 

みんなギリギリで生きている。

がんばってギリギリから離れようとして生きている。

 

 

社会人が会社を辞めてしまったら。

会社が倒産してしまったら。

肉親がいなくなってしまったら。

あるべきものが突然なくなってしまったら、

人は突然、瀬戸際まで追い込まれる。

経済的な問題なことばかりではなくて、

精神的な問題も厳しい状況になる。

みんな普通の顔して生きているけれど、

一歩間違えはまったく変わった人生がはじまってしまう。

だからこそ、人は厳しい状況にならないよう蓄えをもったり、

人との繋がりを大切にしているのだ。

そして、この「蓄え」と「繋がり」こそが社会の原点だったりする。

いま、時代が人間関係や社会構造を複雑にしているけれど、

基本を考えるとこの二つにつきる。

いま、自分のまわりで何かが上手くいっていなかったら、

この原点に立ち返ってみよう。

原点さえおさえれば、人生は普通に動き出す。

簡単ことだが、この原点を堅持することによって、

ギリギリの人生から、ゆとりの人生を手に入れているのだ。

「もっともっと」を今日から

(今日のコトバ)

 

 

もっと幸せになれると思っている時が、

幸せを満喫している時なのだ。

 

 

「もっともっと」と思っている時は、

漠然とでも、明確にでも、前進していくための

設計図が描けている時だ。

未知の力に引っ張られて、熱い思いに支えられて、

行くべき未来に夢中で行ける。

人生の中でも特筆すべきかけがえのない時間だ。

こんな時間をもてる人は、

無条件で幸せの渦の中に巻き込まれている。

無意識に幸せにのまっただ中にいる。

もし、いま、幸せとほど遠い場所にいると思っている人がいたら、

自分の中から生まれる「もっともっと」を探してみょう。

その「もっともっと」を見つけたら、

その「もっともっと」と今日から一緒に走ろう。

日々のつまらない雑念を追い抜いて、

遠くに見える「もっともっと」のゴールに向かえば、

知らず知らずのうちに、きっと、あなたも幸せの中心にいるはずだ。

満足探し

(今日のコトバ)

 

欲しいものは、

いつだって少し手の届かないところにある。

 

 

願い事だったり、欲しいものだったり、

夢とまでいかなくても手に入れたいものは、

すぐに手に入らない距離にある。

否、すぐに手に入らないものを欲しがっているのかもしれない。

人は今ある現状と欲望の距離をうめることで、

満足しているといえる。

だとすれば、欲しいものを目的にして生きることは、

「満足探し」の人生ともいえる。

そして、満足して生きられれば、人は幸せになれる。

まず、欲望をもて。次に、欲しいものを手に入れるよう努力する。

手に入れたところで満足・達成感を得る。

その繰り返しが人を幸せにするのだ。

心の中に

(今日のコトバ)

 

失ったものも、心の中では財産になっている。

 

 

何もモノだけでなくて、人であっても、時であっても。

失ってしまうことがある。

目に見える現象・対象が無くなって、

悲しい思いに暮れることがある。

ただ、失ったものが、ほんとうにすべて無くなることはない。

心がある限り、心には経験したデータがストックされていて、

いつでも思い返せば引っ張り出せるはずだ。

もちろん、失わずに存在している方がいいのはわかっているが、

失ってみて、その価値をほんとうに知ることもあるはずだ。

また、本棚の一番奥にしまって二度と開かない本もある。

問題は、「あるか」「ないか」ではなく、

心に存在するかなのだ。心に思い出として記憶されれば、

すべてがあなたのものだ。それだけでいいこともある。

失って悲しいと思うのは仕方ない。

だが、心を開いてみれば、

素晴らしい思い出がそこに眠っているのだ。

働くことで人生はまわる

(今日のコトバ)

 

働けば、遊びの良さがわかる。

働けば、休みの良さがわかる。

働けば、働く良さがわかる。

 

 

働くことで、すべてがみえてくる。

愉しむこと。ゆとりをもつこと。楽すること。

そして、働くことの意味さえもよく理解できる。

苦しみとも、違う。悲しみとも、違う。

楽しみだけではない。おもしろさだけでもない。

希望にちょっと近くて、やりがいにもっと近い。

考えてみると働くという言葉は、定義しづらい気もする。

ただ、働くという一言で人間の本質を表してしまう。

実は、働くという言葉は、

人間という言葉に置き換えられるかもしれない。

働くという言葉を基準にすれば、すべてが理解できる。

働くという言葉を基準に、生きていくことができる。

「働く」ことで、人生はまわっているのかもしれない。

キレてしまうその前に

(今日のコトバ)

 

堪忍袋には、穴をあけておくのも良い。

 

 

キレてしまうと、今まで創り上げたものを

一瞬で失ってしまうことがある。

後で「もっと大人の対応をしておけば」と悔やむこともある。

当然、何を失ってもぶちキレなければならないときもある。

ただ、人生の中でキレてしまったときの代償はあまりにも大きい。

キレてしまったことで、永遠に繋がり失ってしまうもの。

一時は、腹立たしくてケンカをしても、冷静になると

それほど怒ることではなかったりすることがある。

また、勘違いしてキレてしまって、

気まずい思いをし、結局は謝らなければなることもある。

だが、もっとも危険なのは、

キレた相手がもっとも身近な友人、恋人だったりしたときだ。

とかく人は怒りはじめると、

腹の中にためておいたことをはき出してしまうと同時に、

心ない一言もいってしまったりする。

傷つける言葉のせいで、何十年と続いた人間同士の歴史が

音をたてて崩れていく。

これぼど人生の中で損なことはない。

だから、キレそうになったらワンテンポがまんしてみよう。

案外、キレるべき対象がたいしたことのないことだと理解できるときがある。

否、ほとんどが冷めてしまえばたいしたことがなかったりする。

堪忍袋に小さな穴をあけて、

簡単に緒が切れることのないように生きてみよう。

人は、つながりを切ってしまって生きていけない生き物なのだ。