グッド・パフォーマンス

(今日のコトバ)

 

万全な体制をみせると、

敵はグラグラ揺れてくる。

 

 

 

相手のメンバーを前にしただけで、

ビビリ、自分を失い、思うように力を発揮できない。

戦わずして負けてしまう。

相手が大きくて、強そうで、恐怖心で手も足もでない。

そういうこともある。

だが、反対に自分自身の準備が足りなくて、

相手が大きくて、強そうで、手も足も出なくなるというのが、

本当のところだと思う。

自分や自分達が万全な準備をし、

どのような状況でも対処できる自信があれば、

不安は最小限に食い止められる。

人によっては、本番前に強度の緊張に追い込まれることもあるが、

こういう人は、はじまってしまえば時間が立つほどに、

実力を発揮し最高のパフォーマンスをする。

心配はいらない部類の人だ。

だから、戦いの前には最善のトレーニングで準備を完了しておこう。

大人が子供と戦うとしたら恐怖感がないように、

自信があればグッド・パフォーマンスができるのだ。

 

夏の甲子園は早稲田実業が初優勝した。

今大会は、予選から逆転につぐ逆転で観客を魅了。

そして、決勝戦も球史に残る再試合という熱戦が行われた。

早稲田実業、駒大苫小牧ともに万全の準備をしての戦いだったのだろう。

できれば、両校優勝にしてあげたいぐらいだ。

夢が満ち満ちと

(今日のコトバ)

 

ドキュメンタリーを、

ファンタジーにして生きていこう。

 

 

毎日は何もしなくても過ぎていく。

仕事をしていても、学校にいっていても、

目的を持たなければ、ただ時間だけが加算されていく。

ほんとうに生きるとは、時間の中で何をしたか。

課題を解決しようとしたか。昨日より進化しようとしたか。

勝つための努力をしたか。それほど重く考えなくてもいい。

過去より何かをつかめれば、それは素晴らしいことだと思う。

そして、日々の生活のを大きな目的に向かって生きていれば、

その生活自体が幸せになる。

一日一日を大切に紡ぐことによって、

人生がドキュメンタリーから、ファンタジーになる。

ちょっと意識を変えるだけで、夢や希望と共に生きていける。

同じ一生なら、人生の目の前に夢が満ち満ちとある方がいいと思わないか。

 

 

黒澤明の「生きる」を観た。ただ判子を押すだけで、

毎日が過ぎていく市民課の課長が胃がんと知って、

残りわずかな人生を市民から要望のあった公園づくりに

全力をつくす、というストーリーの作品。

「生きる」は、生きながら目的もなく死んでいる人生があることと、

死期が迫って生きることの意味を見つけ出した人生を

見事なコントラストで表現している。

役所の一課長の凄まじい努力で、

市民の望んだ公園をつくってしまう。

ひとつの希望をもった人間が、

どれほど世の中を変えてしまえるかを

リアリティを持って教えてくれる。

ぜひ観ておきたい日本映画の秀作である。

未知に踏み出す楽しみ

(今日のコトバ)

 

未知だからこそ、足跡を自由に残せるのだ。

 

 

まだ誰も足を踏み入れたことがない。

不安はあるが踏み出してみる価値はある。

そこまで大袈裟でなくても、

自分としてはかなりの冒険で、

近くに先を走っている人がいないとき、

勇気を振り絞って歩み出せば、

足跡のすべてが歴史になる。

安全で誰かの足跡の後を歩けば、

想定外のことは起こらないかわりに、

ほぼ歴史にはなりにくい。

判断は、個人の自由だ。

だが、何かを残したいと思うのなら

未知の世界に足を踏み出すことは、

いちばんの近道だ。

そして、実は様々な想定外のことが起こるが、

その方がよっぽどやりがいがあって、

おもしろかったりもする。

タフで、メンタルに自信があるのなら、

新しい世界に足を踏み出そう。

人生は、一度しかないのだから。

人の気持ち理解する

(今日のコトバ)

 

チャンネルを合わせるだけで、

人生はよく見える。

 

 

観点がぼけていたり、

立ち位置が違っていたりすると、

物事の本質は見えてこない。

だが、本質がそれほど難しい問題かというと、

実は簡単な問題だったりする。

観点を捉え、正しい立ち位置に立てば、

「なーんだ、簡単じゃん」となる。

他人の言葉や噂のレベルだけを信じずに、

自分で正しいと思うべき方向を探る。

アンテナを張り巡らせ、

チャンネルをあわせる。

それだけでいい。

ただ、このチャンネルの合わせ方が問題だ。

むやみやたらに合わせても、

混乱するだけになる。

できれば、人の気持ちを理解する努力をして、

アンテナを張る。

つまり、人心掌握術に近い能力を

常日頃から訓練して養う。

この一点が優れていれば心配はいらない。

生きるめのチャンネルは合ってくる。

ポイントをはずさないで、

自分の人生を歩んでいけるはずだ。

夢中の力で自己ベスト

(今日のコトバ)

 

ベストは、ビッグウェーブの上にある。

 

 

どこがベストだったのか。

いつも考えるのだが、

自分にしても、他の人にても、

ベストの絶頂期にあるときは、

気づかずにいるのではないだろうか。

もっというと、大きな波に乗って

まだまだ行けそうなときこそが頂点であり、

一度その頂点から落ちてしまうと、

簡単に元に戻れる気がしているのに、

結果的にはどんどん戻れなくなる。

次第に戻ろうとする努力もあきらめ

「あのときが僕のピークだ」などと過去形で語ってしまう。

ベストとは、夢中でいるときに通り過ぎてしまう状態なのだ。

ということは、夢中でいれるときこそが

自分のベスト記録を出せるということもいえるのではないか。

ならば、夢中になるものを、夢中になる時間をつくろう。

夢中になれることに、熱中できれば絶頂期はまだまだやってくる。

夢中の力を借りて自己ベストを更新するのだ。

本物の人間力を尊敬する

(今日のコトバ)

 

尊敬されて生きるということは、

着飾って生きるより美しい。

 

 

数々の実績がある。生きてきた道も素晴らしい。

発言も一言一言含蓄がある。

こんな人の下で教えを受けたい。

こんな人と共に人生を歩みたい。

尊敬できる人の概念とは、

そういったことだろうか。

だとすれば、いま、一番尊敬という概念に当てはまるのは、

サッカー日本代表オシム監督ではないだろうか。

ユーゴスラビアをワールドカップでベスト8に導き、

ワールドカップ以降引き受けた監督では必ずチームを優勝に導いている。

ユーゴスラビアという国が内戦はじめ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、

セルビア・モンテネグロ、クロアチア、スロベキアなどに分割され、

故郷を失っても、サッカーの夢をあきらめない。

激動の人生経験から培った言葉ひとつひとつにも重みがあり、

耳にする人に深い感銘を与える。

尊敬とは、それぐらい重みがあるものかもしれない。

ただ、聖人君子にならなくても、オシム監督になれなくても、

自分の人生でコツコツと実績をつくる。

自分で信じた道を一歩一歩着実に歩く。

自分の言葉に責任をもって発言する。

そのことを肝に銘じるだけでも、

尊敬は生まれてくるはずだ。

かっこだけで尊敬できるとか、

中身のない美しさを尊敬する前に、

本物の人間の力を尊敬しよう。

正しく尊敬できれば、自分の人間力はもっとあがる。

仮にあがらなくても、尊敬されるという目標ができる。

人が尊敬できたら、人生はもっと素晴らしいじゃないか。

人に尊敬されたら、人生はもっと豊かになるじゃないか。

尊敬は、人生の大切なペースメーカーなのだ。

 

オシム・ジャパンはアジアカップでイエメンに、

2対0で勝利した。まだまだ連携はスムーズではないが、

この試練の中からサポーターが尊敬できる「日本化したサッカー」を

つくりあげてもらいたいものだ。

欲望のために立候補

(今日のコトバ)

 

「もっともっと」といったから、

多めにもらえたのだよ。

 

 

遠慮もたまには必要だけれど、

基本的には願望・希望を全面に出す方がいいと思う。

欲しいという意志表示がなければ、

人はモノをくれないし、

たくさん欲しいといえば、

在庫次第で数多くモノをくれるかもしれない。

ひかえめに、遠慮がちなポーズをとっていると、

ほとんどの場合損をする。

モノだけではなく、人生のあらゆる場面で、

欲望を理解させるか、させないかは、

手に握れるか、握れないかに匹敵する。

そう、「欲しい」「やりたい」という意志を提示するのだ。

人生は、何事も欲望のために立候補することからはじまる。

大切な誰かの手

(今日のコトバ)

 

手を差しのべてもらったことを、

すぐ忘れてしまう人間の手。

 

 

誰かに助けてもらったことを、

きちんと憶えているだろうか。

自分自身に置き換えてみると、

助けてあげたことは憶えているが、

助けてもらったことはよほど大事なことしか

憶えていないような気がする。

「あんなにしてあげたのに、、、」とは思っても、

「こんなにしてもらって、、、、」とはなかなか思わない。

だが、何十年と生きている以上、

誰の手も借りずに生きているはずがない。

愚痴を聞いてもらったことはないか。

弱音を吐いたことはないか。

お金を貸してもらったことはないか。

手伝ってものを運んだことはないか。

情熱をもらったことはないか。

勇気をもらったことはないか。

夢をもらったことはないか。

今日まで生きてくるのに力をもらったことはないか。

ほんの少しでいい。目を閉じて思い浮かべてほしい。

どんなに不幸だと思っても、

どんなに一人で生きていると思っても、

あなたは「大切な誰か」に支えられて生きてきた。

その気持ちを忘れずに生きてほしい。

誰かの手に引かれなければ、

人は成長できない生き物でもあるのだから。

太陽は心も殺菌する

(今日のコトバ)

 

晴れた日には、心も洗濯しよう。

 

 

東京は今日、思いっきり晴れ渡った。

今年は梅雨が長く、昨日も猛烈な雷で大雨が降り

スカッとしない日が続いたので、

今日の太陽は夏を満喫させてくれた。

晴れた日は、無条件で気分を良くしてくれる作用がある。

少々不愉快なことがあっても、外に出て散歩でもすれば、

落ち込んだ気分もまた回復するものだ。

太陽は洗濯物を乾かすだけでなく、殺菌作用もある。

この殺菌作用は、もしかして心にも効き目があるのかもしれない。

ただ太陽の下を歩くだけで機嫌が良くなり、元気が出てくる。

心にある悪玉菌を太陽が殺菌して、

モチベーションがあがる善玉菌を増やしてくれている気がする。

あまり長時間、太陽の下を歩いていると熱射病になるが、

朝の散歩やちょっと汗をかくぐらいのウォーキングは、

心のバランスを調整し気分を良くしてくる。

晴れた日は、外に出て心を洗濯してあげよう。

土壇場に支えてくれる人

(今日のコトバ)

 

小さな和の中にこそ、幸せがある。

 

 

自分が賞賛を浴びたとき、

本当に喜んでくれる人はどのぐらいいるだろう。

一時は、拍手をしたり、握手をしたり、抱きついたりしてくるが、

心から祝ってくる人は数少ないと思う。

敵はノーサイドということで握手はしても、悔しいに決まっている。

味方とてまったく同じ賞賛を浴びても、喜ぶ気持ちだけではない。

もっといえば、勝ち組の中にいてもレギュラーではなく、

自分の力を発揮せずに勝利の輪に入っていてたら、

嫉妬や悲しみさえわいてくる。

本当に、心の底から喜んでくれるのは、

身内とよばれ人だけではないだろか。

無償で喜んでくれるのは、家族とよべる人と師、

そして恋人とあとわずかのような気がする。

だからこそ、そのもっとも小さな単位の身近な人を

何よりも大切にしよう。

心の底から結びついてくれる人こそ、

あなたが土壇場になったときに

手を差し伸べてくれる人なのだから。