小さな声に耳を傾ける

 

(今日のコトバ)

 

大切な声を

大きな声につぶされてはならない。

 

 

 

 

特に、会議などで大きな声が

意見を支配することがある。

内容や提案はともかく、

大きな声が正論となる。

結果、その会議からの発案は、

大きな声の内容。

もっというと、大きな声の主は、

権力を持っている人になりがち。

社長がトップであれば、社長。

専務がトップであれば、専務。

部長がトップであれば、部長。

課長がトップであれば、課長になる。

だが、トップの人が正論をいっているとは限らない。

とかく、日本人は上の人の顔色を見がち。

正論というよりは、

上の人に喜ばれる提案をつくりたがる。

ほんとうにそれでいいのだろうか。

たいがいがいいというよりは、

案がすんなり通ることだけを考えているだけ。

波風立てず、進行させる。

わるくいえば事なかれ主義。

エッジのきいた良い案は消され、

あたりまえの案が残ってしまう。

このなんでもない会議体が、

実は、日本人の貧弱な発想といわれる

根源であると思っている。

個々はいい提案ができる。

だが、会議体がいいものを

普通のものにしてしまう。

それは、とにもかくにも、

大きな声、

権力者の声がまかり通り過ぎるから。

そう思うと、

会議体自体を見直して、

どんな小さな声にも耳を傾ける。

小さな提案も検討するという意識を

みんなで持つと、

日本の、日本人の発想の素晴らしさが、

もっと認められるのではないか。

一糸乱れずという日本人のいい部分もあるが、

自由な発想を発信するという時代にあった

提案も必要な時かもしれない。

世界とわたりあうには、

発想の国・日本でなければならないのだから。