行く人、行く場所がある

 

(今日のコトバ)

 

人生だって、糖分が必要。

そして、塩分も必要。

 

 

 

 

長い時間、人生を生きていれば、

時に弱音を吐きたくなったり、

時に強気に吠えてみたくなったり、

同じ気持ちでいられない自分がいる。

その気持ちをなんとかなだめながら、

日々を乗り越えていく。

それが人生ともいえる。

その中で、

弱音を吐きたい時は、

甘える気持ちを許してくれる人の下へ行く。

強気になりすぎて、

人を傷つけてしまいそうな時は、

厳しくしかってくれる人の下へ行く。

悲しくなった時のためにも、

苦しくなった時のためにも、

行く人、行く場所があれば、

人生のバランスはとれる。

人生に大切なのは、

人と場所なのだ。

人は人、自分は自分も大切

 

(今日のコトバ)

 

他人の顔ばかり見ていると、

自分の色を失ってしまう。

 

 

 

 

人の顔色を見る。

生きていれば大なり小なり、

顔色をは見てしまう。

見てもらわなければ困ることもあるし、

見てあげなければいけないこともある。

ただ、必要以上に

人の顔色ばかりみる人がいる。

つねに見ている、といっていい。

相手の顔色ばかり見る。

それは、相手からすれば

有難い反面、面倒くさい部分もある。

もっというと、人の顔色を見すぎる人は、

人を見すぎるあまり、

自分を失っている。

自分の色がなくなっているのだ。

ただ、人の顔色を見るだけの人。

それでは、あまりにも人生がつまらない。

人は自分のやりたいことをやって、

人生が楽しくなる。

もし、いま、

自分が人の顔を見すぎていると思ったら、

意識して人の顔色を見ないように

してみよう。

少しずつでいい。

人は人。自分は自分の部分を持つ。

時間はかかるかもしれないが、

人の顔色に支配されない人生が

始まるはずだ。

臆病がリスクヘッジしてくれる

 

(今日のコトバ)

 

臆病は、人生を救う唯一の病だ。

 

 

 

臆病だから、冒険できない。

立ち塞がる危機に

挑んでいけない。

後ずさりする。

キョロキョロ様子を見て、

危機回避をしようとする。

ネーミングとしても、

あまりカッコよくない。

ただ、生きていくために

この臆病という病は、

ものすごい力を発揮する。

力というよりは、

安全に生きるために

心をコントロールしてくれる。

臆病の持つビクビクした気持ちが、

無謀に飛び込んで

大けがをするようなことを

回避させる。

出来事が起こるたびに

リスクヘッジをかけて

考えるようになる。

勢いよく前進しない変わりに、

傷つくことも最小限に抑える。

人生を考えた時、

いいことばかりではないが、

生きていく上では大切な機能。

よくサッカーなどのスポーツでも、

攻撃型のチームより守備型のチームが

強かったりする。

人生も同じように

守備的に生きる時、

臆病は機能する。

だからこそ、臆病も大事にする。

生きるために必要なことだ。

 

一生一度をやりきれ

 

(今日のコトバ)

 

どうせ一生一度なら、

未開の地を約束の地にするんだ。

 

 

 

どうせ人生一度きり。

何をやっても、

何をやらなくても、

一度きりなのだ。

せっかく一度生きるという

チャンスを与えられたのなら、

人のやらないことをやるのも、

いいじゃないか。

誰かの足跡についていき、

納得しない人生をおくるより、

自分の行きたい場所へいって、

気持ちよく生きる。

何も人のやらないことといって、

メチャクチャなことをするのではなく、

自分の考えも下、新しいことをする。

やりたい方向へ全力で走っていく。

自分が納得することは、

自分が満足することへ近道になる。

人生は一生一度という期限付き。

ならば、やりたいことを

やりきって生きる。

それが人生の醍醐味なのだ。

 

あきらめない先にギフト

 

(今日のコトバ)

 

失望より、あきらめの方が絶望的だ。

 

 

 

何かが崩れていく。

何かが終わっていく。

そのきっかけは、

いつもあきらめることだった気がする。

あきらめようと思った瞬間、

それまで築いた様々なものが、

一瞬で消えていくことさえある。

それは、失望や喪失感のその先をいく

最後通牒のようなもの。

もしかすると、絶望より

絶望的な気持ちかもしれない。

だが、あきらめるという

比較的軽い感じの言葉なので、

簡単に言葉を使ってしまう。

「あきらめる」

その言葉通り、

あきらめたものを一度考えてみる。

後悔するものはたくさんあるが、

良かったと思えるものは

ほとんどない。

特に仕事をしていると、

あきらめてしまったことで、

大きく後悔することがある。

人生の出来事でも、

あからめない選択はなかったかと、

後々、悩むこともある。

失望や喪失感は、

やがて再生されることもある。

ただ、あきらめてしまったことは、

そこで終わってしまう。

もう、再生されることはない。

そう考えると、

あきらめることは、

なるべくしない方がいい。

もちろん、日々の些細な出来事でなく、

人生を懸けた作業や夢などの

一大事には、

あきらめのわるい自分であっていい。

人生では、

あきらめなかった先に、

素晴らしいギフトを

用意してくれている。

あきらめなかった人が、

どれだけ結果を出しているか

思い浮かべればわかるだろう。

だからこそ、

あきらめない気持ちを大切にしたい。

そこが人生の肝になる。

間違いないと思う。

人生は壮大な問題集

 

(今日のコトバ)

 

人生は、質問と答えを繰り返す問題集である。

 

 

 

 

生きていると、

いつも何かの疑問を持っている。

そして、いつも何かの答えを求めている。

年齢を重ねても、

その生き方は変わらない。

どんな人も

同じことがいえるだろう。

大なり小なり、

いいことわるいことあるけれど、

疑問・質問があり、

その答えを探している。

それが生きるということかもしれない。

それが成長するということかもしれない。

だからこそ、

人間が進化したといえるのかもしれない。

そう思うと、

人間が生きていくそのものが

壮大な問題集。

一つ一つ問題を解いていくと、

自信が身につく。

人生をステップアップできる。

そう、いまある問題を解いている間に、

人間は進化しているのだ。

本気になれることを探す

 

(今日のコトバ)

 

逃げ腰では、本腰は入らない。

 

 

 

 

 

ものごとを成就させたい時、

やる人間の本気度によって、

成就するか否かが決まってくる。

「なんとなくやってみよう」とか、

「やりたくないけど仕方なく」とか、

「みんながやるからやろう」だと、

とうてい成就できないことが多い。

そんな気持ちでなく、

「やるんだ、どんなことがあっても、

やり抜くんだ」という

気持ちの人がいたら、

いいかげんな気持ちの人より

圧倒的な差をつけるだろう。

ただ、世の中は、

やりたいことばかりではない。

自分がやりたくなくても、

やらなければならない時もある。

その時、どうやって

やりたい気持ちを起こすか。

まずは、やりたい部分が

どこかにないか探すこと。

一つでも見つけられれば、

そこから自然に本気になれる。

もっとやろうと思えてくる。

その入り口をきっかけに、

気持ちを前向きにすることができる。

それでも、やりたいところが

見つからない場合は、

とにかく一生懸命やってみる。

手を抜かず、

がんばって、がんばってみる。

みんなが認めるぐらいがんばってみる。

もし、そのがんばりで、

みんなの先頭に立てることがあれば、

きっと、そこにやりがいが生まれる。

いいところも見えてくるはずだ。

人生、やりたいことをして

生きていけるほど幸せなことはない。

だとしたら、いま、やっていることの

どこかにあるやりたいことを見つける。

あるいは、

やりたいことに変えていく。

そのために、本気で取り組んで、

やりがいを見つける。

それが幸せになる方法の一つだ。

 

出会いが人生を面白くしてくれる

 

(今日のコトバ)

 

きっと人生は、

人を見つけて楽しむゲームなんだ。

 

 

 

 

人生のあらゆる展開は、

人との出会いからはじまる。

年をとればとるほどそう思う。

何をはじめるにも、

何をやり続けるにも、

何を終わらせるにも、

人が必要になる。

もちろん、自分の意思の下、

自分が行動はしているのだが、

そこに必ず

アシストしてくれる人いる。

アシストというと助けてもらうように

感じるが、それだけでなく、

敵であっても、嫌いな人物であっても、

人生を生きていく上で

アシストしてくれている。

その人たちがいなければ、

人生にスパイスがなくなるし、

人生にコントラストがつかなくなる。

もっというと、人生を満喫する上で、

その人たちが必要。

人生という自分が主役の舞台に、

仲間ばかりでなく、

敵や嫌いな人がいるから

より面白い舞台になる。

そう思うと、

いま、自分のまわりいる人が

愛しく感じられる。

愛する人、尊敬する人、味方、敵、

軽蔑する人、嫌いな人、

みんな人生にとって貴重な存在の

人ばかりになる。

その人たちがいなかったら、

人生がこんなに楽しいものに

なるのだろうか。

答えは、「NO!」。

だからこそ、まわりにいる人たちを

大切にしなければならない。

人生を楽しくするためにも、

まわりの人は大切なのだ。

失敗の中に成功がある

 

(今日のコトバ)

 

失敗からもらった戦利品の中に、成功がある。

 

 

 

 

数えきれないほど失敗をしてきた。

単純な失敗もあれば、

致命的な失敗もある。

何年たっても後悔する失敗もあれば、

失敗したことさえ

忘れてしまう失敗もある。

ただ、年をとればとるほど、

その数々の失敗が経験となって、

成長していることを知る。

「失敗して悲しいから、

もう失敗しないようにする」

それだけ一つの成長。

違う方法を考える、

もっといい方法を考える、

また、逃げる方法を

考えることも成長。

失敗は、何かを考えさせる。

さらには、失敗したからこそ、

失敗の中に大事なものがあったことを

知ることもできる。

そして、失敗から学んだ成長や

大切なものが、

成功につながっていく。

つまり、

失敗が成功を生み出しているのだ。

いま、失敗が続いて

苦しんでいる人も、

そこに成功の芽があると思えば、

苦しさはやわらぐはず。

失敗を成功へのステップとして

捉えられるはず。

その意識を持って生きよう。

 

 

 

金に体温はない

 

(今日のコトバ)

 

人によって態度を変える人と、

数字ばかり追う人が同類に見える。

 

 

 

 

自分のまわりにいる人間に限りだが、

人によって、コロコロ態度を変える人間は、

数字、特に自分が

金を儲けることにおいて

貪欲だ。

人は、T・P・Oである程度、

相手との態度を変える。

金にも興味がある。

だが、ここでいう態度の変え方は、

自分にメリットがあると思うと、

ペコペコ頭を下げ、

メリットがないと思うと

知らん顔をする人。

人を人間性では見ない。

人を金としか見ていない。

「結局、金かよ」という人だ。

たぶん、誰のまわりにも一人ぐらいは

必ずいるだろう。

場合によっては、

予算達成が至上命題の会社には、

たくさんいるかもしれない。

わるいというわけではない。

資本主義の社会では、

大なり小なり、

数字原理主義の中で

生きなければならないこともある。

ただ、人が人ではなく、

金だと見てしまうと、

当然、金になる人、金にならない人で

選別して、人生の進むべき道を決めてしまう。

つまり、人と人のつきあいにはならなくなる。

金という関係が終わった時、

すべてがなくなる。

金を失った後の人生が、

とても寂しいものに

なってしまうのだ。

金に体温はない。

失ってしまえば、

それで終わりの関係になる。

人生は、

人と人との信頼できる関係があって、

幸せな時間をおくれる。

そこには、金より

人という大切なものがある。

そのことを忘れてはいけない。