輝くとは、強い姿勢で生きること

 

(今日のコトバ)

 

未来が見つけやすいように、輝いたらどうだい。

 

 

 

何かの結果を出す。

それも、まわりの人も、

未来も、運も、味方につけて。

そんな人がいる。

未来や運と書いたので、

さも大きなことのように聞こえるが、

そうではなく、

一つ一つのプロジェクトでも、

仕事を遂行するときに感じる人がいる。

そんな人とは、どんな人だろう。

それは、プロジェクトの中心となって、

バリバリ活躍する人。

と同時に、そのプロジェクトを楽しんでいて、

知らず知らずのうちに、

アイデアを提供している人のような気がする。

そんな人は、輝いて見える。

輝いていると、見つけやすい。

見つけやすいから、みんなが頼る。

頼られると、そこに責任が生まれ、

強い姿勢で生き始める。

つまり、輝くとは、

強い姿勢で生きることなのでは

ないだろうか。

そこに、人、未来、運等、

あらゆるものが集中する。

だからこそ、その中心にいる人が輝く。

できれば、その輝く人に

自分がなりたいものだ。

 

 

ムキの下に、生きるための鉱脈

 

(今日のコトバ)

 

ムキになるところ、

そこに生きる鉱脈がある。

 

 

 

そこを突くと、

急にムキになる。

怒るといってもいい。

まわりで見ていると、

まさに図星で、

本人からすると、

それだけは言われたくないというツボ。

ただ、考えようによっては、

ムキなるということは、

何かを守ろうとすること。

守るべきものといえば、

大切なものに決まっている。

とすると、

ムキになるものは、

自分の武器と言い換えることもできる。

考えてみると、

「お前じゃ、できないだろ?」

「お前じゃ、ダメだ!」等と言われた時、

人はムキになることが多い。

「オレは、できる」

「オレは、ダメじゃない!」という

気持ちがあるからなのだ。

つまり、ムキになって守るものは、

自分ができると思っている大切なもの。

その大切なものを

人生の武器にしない手はない。

ムキの下には、生きるための

鉱脈が埋まっているのだ。

運は成長過程に降臨する

 

(今日のコトバ)

 

運の著作権は、所有できない。

 

 

 

 

叶えたい夢がある。

手に入れたい成功がある。

導きたい勝利がある。

とにかく、この先の人生で

自分のものにしたいものがある。

その時、人はゴールに向かって邁進する。

ただ、うまくいかなくて

挫折するときもある。

どう進んでいいかわからない時もある。

もっというと、ゴールは決めたものの

ほんとうに到達できるか不安になる時もある。

そんな時にふと言葉にするのが、運。

運が良ければ、

運次第、

運に左右される、、、。

運という言葉に責任を押し付けていく。

だが、運に責任はとれないし、

運に必ずは、ない。

裏切ることもあれば、

無視することもある。

人は弱い生き物だから、

不安な気持ちを埋めるために

運に期待するのは仕方ない。

だからといって、

運にすべてをまかせたら、

いい結果には向かわないはずだ。

では、どうすればいいだろう。

それは、夢、成功、勝利に向けて、

今以上のたゆまぬ努力をしていく。

努力の足りないものに、

運は降臨しない。

自分の持っている能力を駆使し、

全力で取り組む。

その成長していく過程に

運は降りていく。

運を望むなら、

まず、それまでの過程で

圧倒的に努力しよう。

その切磋琢磨する姿を運は見ている。

そして、そこに降臨する確率は高まる。

運とはそういうものなのだ。

殻から飛び出す

 

(今日のコトバ)

 

扉を閉めていると、

追い風が吹いているのもわからない。

 

 

 

 

自分の殻に閉じこもると、

チャンスも含めて、

新しいことを見逃してしまう。

あたりまえだが、

自分の殻に閉じこもることなく、

自分をオープンにしていれば、

いろいろな話が舞い込む。

いい話ばかりではなく、

わるい話もあるが、

その様々な部分にチャンスがある。

一方、自分の殻に閉じこもっていては、

話はこない。

時々、こじあけてくることも

あるかもしれないが、

ほとんどまれだ。

その話が自分にとって有益かも怪しい。

もし、自分の人生にとって、

新しい展開が必要だと思ったら、

自分の殻から飛びして、

自分を広める。

そのために、まずは人と会う。

できることから、

自分の力を発揮する。

さらに、できることなら、

人を巻き込む。

人との出会いが

新しい出来事を生み出す。

想像もしなかった人生がはじまる。

そう信じていると、

人生は面白くなる。

とにかく、自分の殻から出て生きてみよう。

 

小さな声に耳を傾ける

 

(今日のコトバ)

 

大切な声を

大きな声につぶされてはならない。

 

 

 

 

特に、会議などで大きな声が

意見を支配することがある。

内容や提案はともかく、

大きな声が正論となる。

結果、その会議からの発案は、

大きな声の内容。

もっというと、大きな声の主は、

権力を持っている人になりがち。

社長がトップであれば、社長。

専務がトップであれば、専務。

部長がトップであれば、部長。

課長がトップであれば、課長になる。

だが、トップの人が正論をいっているとは限らない。

とかく、日本人は上の人の顔色を見がち。

正論というよりは、

上の人に喜ばれる提案をつくりたがる。

ほんとうにそれでいいのだろうか。

たいがいがいいというよりは、

案がすんなり通ることだけを考えているだけ。

波風立てず、進行させる。

わるくいえば事なかれ主義。

エッジのきいた良い案は消され、

あたりまえの案が残ってしまう。

このなんでもない会議体が、

実は、日本人の貧弱な発想といわれる

根源であると思っている。

個々はいい提案ができる。

だが、会議体がいいものを

普通のものにしてしまう。

それは、とにもかくにも、

大きな声、

権力者の声がまかり通り過ぎるから。

そう思うと、

会議体自体を見直して、

どんな小さな声にも耳を傾ける。

小さな提案も検討するという意識を

みんなで持つと、

日本の、日本人の発想の素晴らしさが、

もっと認められるのではないか。

一糸乱れずという日本人のいい部分もあるが、

自由な発想を発信するという時代にあった

提案も必要な時かもしれない。

世界とわたりあうには、

発想の国・日本でなければならないのだから。

いい事は自分の尺度

 

(今日のコトバ)

 

いい事がなかったなんて、

いい事のカウントのしかたを間違えている。

 

 

 

 

生きていると、

いい事、わるい事がある。

一生のうち、忘れられないいい事もあるし、

わるい事もある。

一日のうちでも、

いい事、わるい事がある。

ただ、人によっては、

わるい事ばかりあげて、

悲劇のヒーローのような気持ちに

なっている人がいる。

その人にいい事はないのだろうか。

否、たくさんあるはずだ。

だが、そのいい事をカウントせず、

わるい事ばかりピックアップしている人は、

あえて、いい事と距離を置く行為を

しているに等しい。

「いい事がない、いい事がない」

といっていれば、

いい事も寄りつかない。

「わるい事ばかりだ」

といっていれば、

わるい事が寄りついてしまう。

そうなれば、わるい事のループは続いていく。

反対に、

「こんなにいい事がいっぱいある」

と思えば、幸せな気分になる。

そうなると、幸せなことが

自然にまわりに起こりはじめる。

いい事、わるい事。

幸せ、不幸。

自分の尺度ひとつで、

自分の生きる気分が変わっていく。

いま、もし、自分にわるい事ばかり

起きていると思っている人は、

いい事の数を数えてみよう。

わるい事を考えるのはやめてみよう。

それだけで、

生きる気分が変わる。

気分が変わると、

自分にとっていい事が、

結構たくさんあることを知る。

とにかく、自分にはいい事が起こっている。

そう思うことからはじめてみよう。

 

 

灰色の人にならない

 

(今日のコトバ)

 

灰色だって、毎日着ると似合ってしまう。

 

 

 

 

白、黒、鮮明にしない。

白でもなく、黒でもなく、

どっちつかず。

しいていえば灰色。

よくいえばバランスを見ている。

わるくいえば風見鶏。

勝ち馬に乗ろうとしている。

または、わるい部分を隠して、

ベールで覆っている。

この灰色の姿勢で生きていると、

灰色が身についてしまう。

主体性がないと思われるか、

何かを隠していると思われるか、

疑った目で見られる。

もちろん、時と場合によって、

旗色を鮮明にしないことも必要だ。

ただ、いつもいつも灰色の選択をすると、

自分の色が灰色になってしまう。

そのことを忘れてはいけない。

 

 

目標に予定表

 

(今日のコトバ)

 

未来をいつかと訳す人に、未来はやってこない。

 

 

 

夢とか、希望とか、願望とか、

成し遂げたい目標がある。

人は、その目標に向かって生きている。

ただ、その目標も、

ただ憧れているだけだったり、

思っているだけで達成することは、

ほぼない。

どんな目標でも、

達成までのスケジュールを考えて、

ステップアップする人が

叶えることができる。

「いつか」

「なんとなく」

「だったらいいな」等、

抽象的に思っているだけでは、

目標は叶えられない。

もっというと、大きな目標でも、

予定表をつくり、

強い意志でクリアしていく人は、

達成までの時間が短いように思う。

だからこそ、

目標には予定表が大切だ。

いま、自分の目標が漠然として、

なかなか達成できない人は、

とにかく予定表をつくること。

そこから達成までの道が近づく。

目標がしっかりと自分事になるはずだ。

 

 

地道が最短距離

 

(今日のコトバ)

 

地道とは、近道の別名である。

 

 

 

 

人は、楽をしたい生き物だ。

なるべく疲れないように、

言葉を変えれば

合理的に生きていきたいと思っている。

何かの目標に対して、

ショートカットして、

しんどい思いをしないで達成できるなら、

その方を選んでしまうのもわかる。

ただ、ここ一番の人生の目標で

楽をすると、必ず、

振り出しに戻ったり、

もっとしんどい山登りを

しなければならなくなる。

では、いい方法はあるか?

身も蓋もないことかもしれないが、

地道に、コツコツと、

少しずつでも、前進するの最善の方法。。

この方法より目標に近づく最短距離は、ない。

地道という道の選択。

文字通り地味な道だが、

この道を歩いていると、

一気に進まない変わりに、

後退することもない。

さらに、地道の優れたところは、

地道を歩き続けると、

筋肉がついたり、

方法論を学習できると、

途中から前進するする速度がアップする。

最初は、どんくさく、

人より遅い進行でも、

筋力がついた時点で、

方法論を学習した時点で、

大きく速度がアップしていく。

結局は、地道という選択が、

最短距離で目標に到達することになる。

いま、大きな目標の途中で、

進行状況がよくない人は、

自分が地道に努力しているかを

見直してみよう。

地道であれば、

この先、どこかで前進する速度が

アップしてくるはずだ。

反対に、楽ばかり考えている人は、

それこそ考え直した方がいい。

達成したい目標があるなら、

地道を選んだ人の速度が

速くなっていくことを理解しておく。

そこに目標達成の鍵が隠れている。

 

 

幸せは比較ではない

 

(今日のコトバ)

 

幸せは大きさを比べることじゃない。

幸せはあたたかさを伝えあうことだ。

 

 

 

 

 

人は幸せになりたいと思う。

幸せになれば、

人生が素晴らしいものだと思える。

では、幸せになることって何だろう。

それは、自分が、相手が、

あたたかい気持ちに

なれることではないだろうか。

何かの大きさを誇って、

何かの強さを誇って、

もっといえば、

何かと比較して気持ちよくなることではない。

そこにいる。そこに携わる。そこで活動することが、

あたたかい気持ちになる。

あたかかい気持ちを共有する。

そのことが大切。

誰かをおとしめて気持ちよくなっているのは、

決して幸せではない。

そのことを忘れてはいけない。