さまよいながら魅力的になる

 

(今日のコトバ)

 

それでも、さまようのをやめないのが人生だ。

 

 

 

今年も一年、いろいろなことがあった。

成功したもの、失敗したもの。

勝ったもの、負けたもの。

手に入れたもの、手に入らなかったもの。

さまざまなことがあった。

自分史の中で素晴らしい一年の人もいるし、

そうでなかった人もいる。

ただ、それでも人は生きていく。

時に有頂天になり、時に反省もしながら、

人は一歩踏み出しいてく。

まっすぐに歩いていきたいけれど、

決してまっすぐにはならずに、

さまよいながら歩を進めていく。

それが人生、

それが人間なのだ。

そして、さまよい続けるからこそ、

人は魅力的になれる。

明日になれば、

また、新しい一年がはじまる。

人は、また、さまよいはじめる。

そして人は、また、

新しい経験という歴史をつくり

魅力的になっていくのだ。

 

現在と未来に夢中になる

 

(今日のコトバ)

 

昨日は帰り道を教えて、遠くへ去っていく。

 

 

 

自分が経験してきたものは、

自分の中の財産となって、

それからの人生に大いに役立つ。

昨日、想い出、そして、過去となって、

人生の生きる道を教えてくれる。

ただ、過去はもう過ぎ去った出来事。

過去のことを

捉えることはできないし、

新しいものは生まれない。

もっといえば、

過去のことを考えている時は、

現在進行形のことや未来のことが

おろそかになっているといっていい。

もちろん、

想い出として大切にすべきものもある。

だが、過去は何も生み出さない。

過去にしがみついている時は、

弱い自分であることを忘れてはいけない。

人生は、現在、過去、未来できている。

そのうち、

自分の手でこれからつくっていけるのは、

現在と未来だ。

現在と未来に何をするか。

そのことに夢中になれることこそ、

人生がうまくいっている証拠。

現在と未来に夢中になる何かを見つけよう。

 

言葉の解釈には、個人差がある

 

(今日のコトバ)

 

言葉は、想像力という個人差がある。

 

 

 

同じ言葉を伝えても、

まったく違う解釈をされてしまう。

また、一つの言葉を伝えていくうちに、

まったく反対の意味に

解釈されてしまうこともある。

誰の人生でも何度か経験があるはずだ。

コミュニケーションの難しいところと

いってしまえばそれまでだが、

ちゃんと言葉が伝わっていないことから、

中傷誹謗や争いに発展することもある。

言葉の解釈には、個人差がある。

もっというと、言葉の想像力を

どこまで理解するかで、

個人差が生まれるのだ。

わかっているようで、

言葉の個人差をわからない人が多い。

そう考えると、

一つの言葉を

同じ意味に捉えてもらうために、

意識して言葉を伝えるべきだ。

人の理解度、人の想像力には個人差がある。

薬が効く人と効かない人がいるのと、

実は何も変わらない。

そのことを忘れてはいけない。

 

敗者は、敗者のままいられない

(今日のコトバ)

 

勝った場所はゴールにしかできないけど、

負けた場所はスタートにできる。

 

 

 

勝利は、一つのゴール。

そこを目標にして

頑張ってきたのだから、

到達点であっていい。

到達したら、

自分を頑張っている自分を解放して、

縛りを解く。

休みを与える。

栄光の時間を満喫する。

そうなっても仕方ない。

自分を解放するために

頑張ってきたともいえるのだから。

ただ、自分を解放をしたままだったり、

解放する時間が長かったりすると、

いつのまにか自分の進化を止めてしまう。

止まるだけでなく、

退化することもある。

反対に、敗者は、

敗れた場所をゴールにすることはではない。

本気で挑んで負けたら、

尚更、そこでやめることはできない。

次の戦いへ歩を進めざるおえない。

そこに、勝者と敗者の逆転劇がはじまる。

自分を解放してゆるんでいる勝者と、

次への戦いという目標を持った敗者では、

モチベーションが違う。

戦うテーマや戦う大きさによっても違うだろう。

勝者の実力と敗者の実力によっても違う。

ただ、敗者は倒れたままではいられない。

どんなことがあっても、

次のテーマを見つけようとする。

そう思うと、

敗者になることは

決してわるいことばかりではない。

目標が必然的にできる。

進化の止まった勝者を標的にできる。

人生が面白くなってくると思わないか。

 

 

人生は予測不可能なノンフィクション

 

(今日のコトバ)

 

誤字脱字だらけのノンフィクションだけど、

一生という本にすると傑作になるのが人生。

 

 

 

 

 

 

振り返ってみると、

人生のデコボコ道を紆余曲折しながら、

それでもなんとか生きてきた。

いいこと、わるいことも、

幸せも、悲しいことも、

のりきって、いまがある。

人に言えることばかりではないが、

人生がそれほどわるいものでないと思っている。

物語にしてしまうと、

脈絡がなく、

起承転結が成立せず、

突然、異なったストーリーが

展開されるのが人生。

だけど、素晴らしい歴史もたくさんある。

人生。一生。

この誰も描けない壮大な大河ドラマ、

この予測不能のミステリーを生きる人間。

そう考えると、

少しだけ人生が楽しいと思える。

もっと生きてみたいと思える。

生きることを試行錯誤して、

日々、新しい出来事と出会う。

だからこそ、人生は面白いのだ。

救いの一番手

 

(今日のコトバ)

 

救いの手の、一番手であれ。

 

 

 

 

誰かが困った時に、

一番に駆けつける。

一番に救いに入る。

その一番であることが、

困った人にどれだけ救いになるか

計り知れないものがある。

困ってる時に、

まず相談できる相手が、

隣りにいてくれることは、

問題の解決にならなくても、

心が落ち着く役目は果たせる。

安心材料のひとつにもなる。

また、一人ではない、

孤独ではないと思えると、

なんとかしようという意欲も湧く。

自分だけではないという気持ちが、

前進しようという気持ちを導く。

そう考えると、

救いの一番手になることは、

困っている人にとって、

想像を超えて力を与えることになる。

だから、もし、

自分の知り合いや

助けたい誰かがいるなら、

なるべく一番はじめに救いにいこう。

一番に行くだけで、

多大な価値があり、

多大な効果がある。

困っている人の気持ちを

やわらげるために

最大級の効果を果たせるのだ。

奇跡は人脈

 

(今日のコトバ)

 

奇跡は世の中にたくさん落ちている。

その圧倒的多数をしめるのが出会いだ。

 

 

 

 

出会いが解決する。

自分ではとてもできないようなことを、

ある人物と出会って、

その人に頼むと簡単に解決してしまう。

特に、社会に出て

仕事で困った時に、

各分野のスペシャリストに頼むと、

奇跡、魔法とも思えることが起こる。

つまり、人を知っていると、

社会のあらゆる問題を解決できる。

絶対に無理だと思ったことさえ

解決できる。

生きている奇跡としかいいようがない。

仮に、その人を知らなければ、

絶対に解決できない。

ただ、解決するには、

その人を知っていて、

その人に依頼できる存在になればいい。

そう考えると、

奇跡は人脈にあるともいえる。

困った時に解決する、

勝ちたい時を勝利に導いてくれる、

夢を叶えてくれる、、、、。

もちろん、他力本願の話ではない。

自分の努力で

扉を開いていかなくては、

人も目を向けてくれない。

自分が出会える領域の人は、

自分の実績に比例していく。

より高いポジションにつけば、

必然的に、出会える人も

高いポジションになっていく。

ポジションが低ければ、

低い人になってしまう。

ただ、低いポジションでも、

自分を磨いて輝かせたり、

まだ、世間に認められないが

凄いの能力を持った人と出会えば、

そこに奇跡は起こる。

いま、自分が出会っている人、

これから出会う人、

その人が奇跡だと思うと、

人生は無数の奇跡と出会っている。

そう思うと、

奇跡は案外身近なものなのだ。

 

 

 

欲しいものが成長期を生む

(今日のコトバ)

 

持っていないものが欲しくて、

自分を超えた自分になろうとする。

 

 

 

自分の能力はわかっている。

どこまでいけるか、

どこまでしかいけないか。

ただ、どうしても手に入れたいと思うものが

生まれた瞬間、それを手に入れるために

自分が頑張りはじめる。

目標に向かった挑戦。

自分が最速で成長する

挑戦がはじまる。

欲しいものを見つける。

ただそれだけが

人生にどれだけエネルギーを与えるか。

欲しいものが見つけ

手に入れようとする時、

人はなんどでも

成長を迎えことができる。

そう考えると、

欲しいものを見つけることは、

人生にとって大切なこと。

自分を成長させるためにも、

大切なこと。

いま、自分の人生が停滞ぎみな人は、

欲しいものを見つけてみよう。

手に入れようするだけで、

成長モードになる。

生きることが最高のペースで

前進しはじめるはずだ。

ゴールは最高に磨かれた自分

 

(今日のコトバ)

 

あなたは、あの人にならなくていい。

あなたの最高になればいい。

 

 

 

あの人のマネをする。

あの人になりたいと思う。

自分ではない、あの人。

理想的な人生を歩んでいる人を

目標にして生きていく。

若い日は、誰もが経験することだ。

わるいことではないし、

マネからはじめて、

目標の人を追い越すこともあるだろう。

ただ、自分のことを愛せないほど、

自分を無視してはいけないと思う。

自分はいつも

肌身離さず付き合っているので、

いいところもわるいところもわかる。

特に、わるいところは、

わかっているからこそ、

隠したり、

嘘をついたりしてしまう。

だが、自分は自分。

この地球で唯一無二の存在だ。

自分ではわるいところが

たくさんあるように思えても、

他人から見れば、

素晴らしいところが

たくさんあるかもしれない。

みんながお手本にするところが

あるかもしれない。

だからこそ、自分という存在を

大切にすべきだ。

その上で、自分を磨いていけば、

自分の最高の進化形になれる。

あの人を目標にすることはあっても、

ゴールはあの人ではない。

ゴールは最高に磨かれた自分。

自分がいちばん納得する

自分の目標を達成した自分であること。

そこが自分にとってもっとも大切なのだ。

 

 

傷があるから優しくなれる

(今日のコトバ)

 

傷は、痛みを憶えると同時に、優しさも憶える。

 

 

 

人は、傷つく。

何かに挑んで失敗した時、

誰かから不意のパンチを食らった時、

仲間外れにされた時、

夢破れた時等、、、、。

深い傷、浅い傷、あるだろう。

トラウマになるような傷もあるだろう。

ただ、傷は自分が痛みを生むだけでなく、

同時に、

心のどこかに優しさも生むものなのだ。

傷つくと、

同じような傷を負った人に、

以前よりあたたかい目を向けられる。

同じ痛みを持った人に優しくなれる。

それ以上に、

自分が傷を負ったから、

相手に傷を負わせないように

気を使えるようになる。

もちろん、傷つけてきた相手に、

傷つけ返してやれという人もいる。

ただ、傷というものは、

カラダの中に残っいるもの。

自分が痛みを感じるから、

相手の痛みもわかってしまう。

自分の都合だけで、

相手を傷つけることができなくなるのだ。

傷。

傷つかなければ、

それそはそれでいい。

ただ、傷ついても、

致命傷以外であれば、

プラスに働くこともある。

傷を負って生きることは、

人としての深みが違う。

他人の気持ちが、

もっとわかるようになる。

わるいことばかりではなく、

人としての成長へつながる。

傷つくことは、

大きく進化する源になるのだ。