感謝の反射神経

 

(今日のコトバ)

 

ありがとうは、肌身離さず携帯せよ。

 

 

 

感謝の気持ちをあらわせない。

自分も含めて、なんとなく皆、

上手くないような気がする。

照れる人もいるし、

ズボラな人もいるし、

そもそも感謝の気持ちが薄い人もいる。

感謝の大きさも千差万別。

小さな感謝、大きな感謝あるだろう。

ただ、感謝の気持ちを受け取る側は、

「ありがとう」と一言あるだけでも、

気持ちがよくなる。

この一言がいえない。

この一言を伝えるだけで、

相手が気持ちよくなるだけでなく、

自分の気持ちも温かくなるのに、だ。

だとしたら、

意識して、

感謝したいと思ったら、

「ありがとう」というようにする。

これは気持ちの反射神経のようなもの。

意識さえすれば、

自然に出てくるはずだ。

いま、自分のまわりの環境が

わるかったり、

ギクシャクしているのなら、

感謝の気持ちを言葉にする。

ささいなことでいいから言葉にする。

その一言が自分の環境を

温かいものに変えていくはずだ。

迷いは進化のための頭の運動

 

(今日のコトバ)

 

迷いは、未来からの愛情ある試験です。

 

 

 

迷う。

誰でも行動を起こす時、

どこかに迷う気持ちが生じる。

ちょっと迷っただけのものもあれば、

長く迷い続けるものもある。

ただ、どの迷いも、

未来への一歩を踏み出すために

起こる気持ちの動きだ。

つまり、迷っている時は、

未来へ向けて進化しようとしている時。

そう考えると、

迷う行為は、

ポジティブな行為の一つともいえる。

だから、大いに迷っていい。

そして、迷った時に、

これは進化の時と

ポジティブに捉えるようにすればいい。

進化だと思えば、

迷うことも楽しめることもできる。

迷った後、一歩踏み出す自分に

期待することもできる。

迷いは、

人間を進化させる頭の運動なのだ。

意志という翼

 

(今日のコトバ)

 

傷は、追いかけるための翼になる。

 

 

 

 

傷つけられる。

痛い。苦しい。悲しい。

いろいろな気持ちが交差する。

その気持ちがリベンジの旗の下、

一つにまとまると

意志という翼になる。

意志。

それまでの気持ちが持つ力を

自分の理想に向けて放つもの。

その意志が強ければ強いほど、

自分の理想へ近づいていく。

その意志が一つになり、強くなるには、

傷ついた記憶がエネルギーになる。

人生を振り返ってみるとわかる。

何かに大きく燃えて、

全力を傾けるには、

リベンジスピリットが最大の

活躍したはずだ。

そう考えると、

傷を負うのもわるくない。

否、致命的な傷は厳しい状況に追い込まれる。

だが、回復可能な傷は、

リベンジという

ブレない目標をつくってくれる。

罪な戦いではなく、

正々堂々と戦いを挑んで、

目標をクリアする。

負った傷は、

リベンジという目標の旗印。

人生の大きな目標になるのだ。

 

 

弱さをつくるぬるま湯

 

(今日のコトバ)

 

ぬるま湯は、戦意喪失に大きな効果を発揮する。

 

 

 

居心地がいい。

何もかも誰かがやってくれる。

怠けたまま生きていける。

それを、人は、ぬるま湯状態と呼ぶ。

その状態にいる時、人は、

一時的に気持ちいいかもしれない。

ずっと、そのまま続くのなら、

そのままの状態が

いいと思う人がいるかもしれない。

ただ、人生は、それほど甘くない。

必ず、再び、

立ち上がらなくてはならない時がくる。

その時、ぬるま湯状態から、

いきなり戦闘モードに切り替えるのは

至難の業だ。

ぬるま湯の時間が長ければ長いほど、

戦意は失われていく。

人生の困難に立ち向かう強さが

失われていく。

自分が想像するより、

もっと自分が弱くなっている。

だが、弱いだけでは人生、生き抜けない。

強くなければならない時がある。

その時のことを考えれば、

ぬるま湯に浸かってばかりはいられない。

意を決して、困難に立ち向かい

自分を強くする時も必要になる。

その強くなる意志がなくなった時、

人は危ない方向へ進んでいく。

ぬるま湯が立ち上がれない自分を

つくってしまっているかもしれない。

ぬるま湯は、そんな弱さをつくり出す。

ぬるま湯は、弱い人間をつくり出す。

そのことを忘れずに生きていきたいものだ。

 

不安が自信に変わる時

 

(今日のコトバ)

 

行く道は足が浮いていたけど、

帰り道は足が地についていた。

 

 

 

はじめてはじめることは、

誰にでも不安がつのる。

一歩前へ出るだけでも、

足がすくむことさえある。

ただ、はじめた以上、

前進しなければ何も進まない。

転びそうになったり、傷ついたり、

倒れたりしても、

前へ、前へ歩いていく。

歩いていけば、一歩の踏み出し方を

理解するように、要領を理解し、

徐々に力強く歩けるようになる。

毎日の繰り返し続けていけば、

しっかりとした一歩を歩めるようになる。

人は、そうして経験を積み、

心技体を成長させて、

自分の実力という血肉に変えていく。

だからこそ、はじめの一歩の不安を

乗り越えることが大切。

一歩踏み出すことによって、

乗り越えてしまえば、

不安は時間の経過とともに

消えていく。

不安が消えると同時に、

自信が生まれていく。

地に足がつくという状態にまでなれば、

一歩踏み出すことが楽しくなる。

いま、何かをスタートする前で

躊躇している人は、

まず、一歩を踏み出すことだけ考えよう。

そして、少々の困難があっても、

歩くことをやめないこと。

そこに、不安を自信に変えるすべてがある。

一歩一歩前進することが、

不安を打ち消す最良の薬になるのだ。

迷いは、未来のための思考のトレーニング

 

 

(今日のコトバ)

 

今日という迷路は、明日への進路になる。

 

 

 

「遅々として進まない。

まっすぐに前進しない。

迷路にはまったようだ」

そんな時が誰にでもある。

特に、難題をかかえた時は、

前進しているか半信半疑で、

もしかしたら、

後退しているかもしれないとも思う。

だが、一生懸命、試行錯誤している人は、

目に見えない道を前へ進んでいる。

いままで迷っていたものが、

何かのキッカケで解決したり、

今日までの努力が実ったり、

徐々にではあるが、

進化していたり、

迷うことは、決して、

後退ではなく前進しているのだ。

だが人は、

目に見えた成果が見えないと、

後退しているかもと疑心暗鬼になる。

それはそれでいい。

ただ、迷っている時は、

必ず進化している時だと思っていい。

決めつけてしまってもいい。

迷いは、未来のための思考の

トレーニング。

迷いが消えた時、

思考の筋肉は強化されているのだ。

 

普通とは幸せの正体である

 

(今日のコトバ)

 

年齢を重ねると、最高でもなく、最低でもなく、

普通の中にたくさん幸せがあることを知る。

 

 

 

 

若い頃は、なんでも最高がいいと思った。

敗者よりは勝者。失敗よりは成功。下よりは上など。

単純に人より認められるポジションを求めた。

ただ、長く生きていると、

最高ばかりが最高ではないことに気づく。

例えば、誰よりも成功し続け、

出世街道を驀進した人間が、

そのかかえる問題の大きさに

つぶされそうになると訊くことがある。

経営者などに多くある

トップがゆえの孤独。

トップがゆえのプレッシャー。

人に見せないようにしているが、

本当に苦しんでいる姿を見ることもある。

また、青年時代は、どん底にいても、

いずれ中年になれば

なんとかなるだろうという

根拠のない展望を支柱にして

生きていられたが、

中年になってみると、

最低ランクにある課題は、

ことごとく人生を苦しめていく。

長く生きてきた仲間をみていると、

最高も最低もしんどそうだ。

その中で、いちばん平和そう、

いちばん幸せそうなのは、

普通というポジションを手に入れた人々。

トップに立って、

火の粉をかぶるのではなく、

どん底をさまよって、

火の車で生きるのでもない。

普通に生きる。

もちろん、普通には普通の大変さはあるだろう。

ただ、その普通は、最高より、最低より、

居心地のいい世界であるはずだ。

いま、普通を手に入れていると思っている人は、

その普通を大切にした方がいい。

普通とは、幸せの正体なのだ。

いまやる主義

 

(今日のコトバ)

 

いつもできることは、いま、やってしまおう。

 

 

 

「そんなこと、いつでもできる」

そういいながら何もしないことがある。

簡単だし、たいして手間もかからないのだが、

ついついやらずにいる。

誰にでも経験はあるはずだ。

このいつでもできることは、

ほっておかずに、

その場でやってしまった方が

いいことが多い。

最初は簡単で手間のかからないことが、

ほっておくと、

大変な作業になってしまうことがある。

例えば、掃除。

新築や新居はキレイだが、

掃除をしなければ、日に日に汚くなる。

何ヵ月も放置すれば、汚いだけでなく、

部屋の隅々が痛んでくる。

同じように、

初めはたいしたことがない案件だが、

寝かせておくと

大変なことになることがある。

だからこそ、いつでもできることは、

いま、やってしまおう。

それを意識するだけで、

後々面倒臭くなる問題は回避できる。

見晴らしのいい人生がおくれるはずだ。

 

未到に先乗り

(今日のコトバ)

 

人生は時間制限がないうちに勝負をつけないと、

時間制限がある勝負に変わる。

 

 

 

発想したばかりのものを

つくりあげる時。

最初のうちは自由にやらせている。

好きにやらせて状況をみる。

ただ、その進行状況がわるいと、

スケジュールを組まれ、

時間を決められて作業を

しなければならなくなる。

新しい領域ができた時も、

環境が整備される前は、

時間も、コストも、制限があまりないが、

環境がきっちり決められてしまうと、

人も、時間も、コストも決められてしまう。

あたりまえの社会の流れだが、

ルールがつくられる前には、

大きな自由があるということを

忘れていけない。

前人未到、新しい領域、

まだトライされていない仕事等、

未着手の分野に先乗りすれば、

自分でつくることのできる部分が多い。

さらには、時間が決められる前より、

時間を自由に使える。

すべてが決められてからでは、

息苦しくなると思う人は、

未到に先乗りは選択すべき方法だ。

 

 

いまが、あなたの答え

 

(今日のコトバ)

 

今日のあなたが、あなたという人間の答えです。

 

 

 

 

 

いろいろ、未来に向けて宣言する。

「いつか見ていろ」

「三年後には、結果を出してやる」

「オレは、こんなもんじゃない、

もっとでかい夢を叶えてやる」等々。

ただ、まわりから見ると、

いい訳にしか思えないことが多い。

いろいろいっているわりには、

いまの自分はどうなの?

と問いたくなる。

もめたくないから、

他人は、「そうだね」といいながら、

話を流したりする。

だが、本音は、

「いまのあなたは、いうほどのことはない」

と思っている。

正しくいえば、

「いまのあなたが、あなたの答えだ」

と思っている。

いまができていないのに、

これからの話をされても、

聞く耳は持てない。

自戒も含めて、

未来に凄いことをするんだという時は、

いまがイケてない証拠だったりする。

だから、未来に向けて宣言する時は、

その宣言を認めさせるためにも、

いまの自分で結果を出す。

そのことを忘れてはならない。