未来のために、今日までを裏切らない

 

(今日のコトバ)

 

明日を傷つけないために、今日を誠実に生きる。

 

 

 

未来はなにもない。

自由に生きられる。

何もない不安もあるが、

何もないから期待も大きい。

だが、その未来に

足枷をつくってしまうことがある。

それは、今日までの行いが、

未来に縛りを入れてしまうということ。

いちばんわかりやすいのは、

罪を犯して、自由がきかなくなる。

罪がつくった足枷が

人生の様々な場面で自由を奪う。

同じように、人を裏切って、

思い通りに

人と付き合うことができなくなると、

生きてくことが苦しいし、寂しくなる。

そう考えると、

未来を明るいものにできないのは、

コミュニケーションができなくなることに

等しいと思うのだ。

未来という膨大な時間があるのに、

コミュニケーションができないのは、

想像するたげでも辛いこと。

できれば、そんな状況は避けて生きていきたい。

そのためには、今日までの一日一日を

誠実に生きる。

できるだけ、

人に迷惑をかけないことを意識する。

人生には、

辛いことや悲しいことがたくさんあると思う。

人を裏切ってしまいそうな状況に陥ることもある。

ただ、それら一つ一つを誠実に対処して

人は裏切らないよう努力していく。

それが、未来を明るくにする方法。

自由に一歩を踏み出す生き方なのだ。

 

 

期待されたら自分を見つめる

 

 

(今日のコトバ)

 

期待は、無責任な追い風だ。

 

 

 

先程、8時より大谷翔平の

エンゼルス入団記者会見が終わった。

ファンのみならず、

日本人が、アメリカ人が、

メジャーを愛するすべての人が

注目する選手だ。

最大級に期待され、

これからの一挙手一投足が

マスコミの報道の的になる。

素晴らしいことだ。

本人のファンの熱気を感じることは、

大きなモチベーションになる。

ただ、そのモチベーションの源になる

期待を必要以上にかかえることはない。

誰にでもいえることだが、

期待は背負ってしまうと、とても重い。

人によっては、

押しつぶされてしまうこともある。

もちろん、大谷のような規格外の

アスリートは、

期待を簡単にクリアしてしまかもしれない。

だが、それでも、スランプもあるだろう。

思い通りの結果に

むすびつかないこともあるだろう。

その時、期待と戦うのではなく、

あくまでも、自分の力を発揮することだけに

専念すべきだ。

期待は何も約束してくれない。

無責任に吹く追い風だ。

それぐらいの気持ちで臨めばいい。

そして、誰の人生にでも、

期待という現象を起こりうる。

その時、冷静に自分を見つめる。

文字通り自分を見失なわないように

着実に生きる。

そのことを忘れないことが大切だ。

 

 

 

小さな目標をクリアして、自分を好きになる

 

(今日のコトバ)

 

毎日のことだから、

生きることを嫌いにならない方がいい。

 

 

苦しくなった時、

悲しくなった時、

辛くなった時、

人は生きることが嫌になることがある。

なぜ、こんな境遇にあるのだろうか?

なぜ、こんなに事態が起こるのだろうか?

なぜ、生きているのだろうか?

生きていく意味を考えすぎて、

くたびれてしまうのだ。

誰でも一度ぐらいは、

感じたことがあると思う。

人生は、山あり谷ありだから、

誰もが遭遇するものでもある。

ただ、この苦しみや悲しみが慢性的になって、

生きることが嫌になり続ける人生は

選択したくない。

では、どうしたら生きることが

嫌にならずに生きていけるだろうか。

それには、やはり自分が能動的になる

目標をもつことが一番だと思う。

なんでもいい。

いま、良くない状況を打開してくれる

目標をもつ。

壮大な目標でなくていい。

身のまわりにある実現可能な

小さな目標でいい。

それをクリアすることを生きる目標にする。

少しずつでいいから、

ゆっくりでいいから、

目標をクリアしていく。

クリアした先にいる自分を想像すれば、

少しずつ元気になることができると思う。

小さく、ゆっくり、着実にクリアできる

目標をもつ。

そこに、生きることが嫌いにならない

ヒントがある。

これから、

今日から、はじめてもいいと思う。

 

思い出には、「いま」がない

 

(今日のコトバ)

 

過去は、

どんなに美しくても

サプライズは起こせない。

 

 

 

 

人間の記憶は、

頭に残る映像として、

美しくなる傾向にあるらしい。

辛い出来事、苦しい出来事、

悲しい出来事さえも、

時間が経って記憶になると、

いい思い出という映像になる。

なぜ、すべてがいい思い出になり、

美しい映像になるのだろう。

それは、一言でいえば、

「いま」でないからだと思う。

「いま」という

現在進行形であれば、

痛みや辛さに直面している。

苦しくて悲鳴を上げているのに、

その体験が美しいわけがない。

いい気持ちのわけがない。

記憶になると、

いちばんきつかった「いま」がない。

当然、痛みや苦しみも

過去のものになっている。

映画のように、

殴られても、裏切られても、

ほんとうの痛みは感じずにすむ。

それこそ、いい映画を見たように、

いい思い出を見てしまうのだ。

だからこそ、

過去の話題ばかりを話す状態は、

現実逃避の一つなのだと思う。

「いま」が辛くて、苦しいから、

イケてないから、

過去ばかりに戻ろうとする。

いつも、いい思い出として迎えてくれる

過去に戻る。

痛くも、辛くもない昔に戻る。

いけないといっているわけではない。

人生が上手くいかない時は誰でもある。

過去を振り返って、

元気になることもある。

それはそれでいい。

だが、過去ばかり自分が振り返っている時、

確実に「いま」の自分はイケてない。

そのことだけは忘れてはいけない。

 

 

 

 

 

熱量は裏切らない

 

(今日のコトバ)

 

同じ体温の人と、

同じ距離にある夢を

つかみにいけ。

 

 

 

ある一つの夢があって、

そこへ向かって走っていく。

一人ではなく、

同じ夢を目指す仲間と走っていく。

ただ、途中でスピードが遅くなったり、

関係が上手くいかなくなったり、

空中分解することもある。

目指す夢は同じだけれど、

一人一人の熱量が違う時、

夢実現までの距離は遠いものになる。

生きていると、何度が、

そんな体験をしてきたと思う。

では、その時、

なぜ夢実現は厳しかったのかと

考えてみると、

一人一人の情熱、熱量が違うと

どうにもならないことに気がつく。

能力の差は、その能力に合わせた

ポジションを用意すれば解決できる。

お金のことも、全員で知恵をしぼれば、

なんとかなる問題だ。

だが、熱量が違ってしまうと、

意思統一するたけでも至難の業。

必ずケンカの元になる。

ケンカした結果、

いい方にまとまればいいのだが、

熱量が違うと、

ケンカの傷口を広げるだけということもある。

修復をはかっても、

どうにもならないことが多い。

その元凶はすべて、熱量の差にあるのだ。

熱量は、やる気になってあらわれる。

どこまでやるかの覚悟が同じであれば、

お互いを信頼して前進できる。

失敗しても、同じ熱量だから、

また、立ち上がることもできる。

だから、一つの夢を実現するために

運命共同体をつくるなら、

同じ熱量のある人を集めることに

全力を尽くそう。

走り出して、この人の熱量が違うと思うと、

叶う夢も叶わない。

熱量というやる気は、

絶対に夢への道で裏切ることはないのだ。

謝る気持ちは、すぐに伝える

 

 

(今日のコトバ)

 

謝罪は、先手必勝である。

 

 

 

ミスをしたり、失敗したり、

どうしても

謝らなければならない時がある。

自分がわるい。

何とか謝りたいと思うのだが、

そのタイミングがなかなかつかめない。

「相手の顔を見ると怖くていえない」

「わるいことはわかっているのだが、

謝りたくない」

「たいしたことがないから、

知らん顔しておこう」等々。

ただ、謝らずに時間が経ってしまうと、

ほぼいいことはない。

謝る以前に話がこじれて、

小さな問題が大きな問題になることもある。

また、謝らないことで、

謝る意思がない、嘘をついている思われて、

相手の敵意の対象になることもある。

だから、謝る気持ちは、

すぐに表明した方がいい。

問題が最小限で

食い止められる可能性が高い。

謝罪に対しての誠意が伝わって、

相手の気持ちも冷静になる。

自分に謝意の気持ちがあるなら、

いち早く行動に起こすのだ。

 

 

あなたの才能は未知なる資源

(今日のコトバ)

 

世界は、あなたという資源を求めている。

 

 

 

SNS、インターネット、ITと、

コミュニケーションが

瞬時にできるようになって久しい。

様々な能力を自分の好きな媒体で、

簡単に世界に配信できる。

20年前には考えられなかったことだ。

この全世界に瞬時に能力を配信できる時代だからこそ、

自分の才能を発信しない手はない。

どんな小さなものでもいい。

どんな変わっているものでもいい。

学校や会社では相手にされないものでもいい。

とにかく、世に真価を問うてみる。

SNSやブログは中傷誹謗の媒体ではない。

いくらでも自分の才能を発表できる場なのだ。

そして、一人ひとりの人間は、

すべて自分という

誰にも似ていない才能を持っている。

その才能を武器にして生きるために、

最速で伝わる媒体を使う。

あなたの才能は、

未知なる資源なのだ。

欲しいものを手に入れる目標

 

(今日のコトバ)

 

欲しいものがない金持ちより、

欲しいものがたくさんある貧乏の方が、

楽しいじゃないか。

 

 

 

 

すべて欲しいものが手に入る。

自分の望みは、誰かの手によって、

必ず叶う。

身の回りには、

いつも気持ちを満足させるものがある。

そんな暮らしをしている人もいるはずだ。

他人から、

「あなたは恵まれている」

といわれないとわからないが、

実際は恵まれている人。

そういう人はそういう人で、

「もっと欲しい、あれも欲しい」

と思うかもしれない。

だが、いずれ手に入る。

欲しいものが手に入るのが

あたりまえとなる。

そうなった時、

手に入った時に感動があるだろうか。

反対に、コツコツ貯金をして、

やっと手に入ったもの、

何年もかけて念願叶って

手に入れたものの方が

感動は大きいはずだ。

さらにいえば、貧乏な状況から、

一つ一つお金を貯めて、

自分のものにしていくほど、

楽しいこともない。

もちろん、途轍もなく手に届かないもの、

一生手に入らないものはある。

だが、欲しいものは、

簡単に手に入らない方が

人生に目標ができる。

極端にいえば、

だからこそ、

生きていこうと思えることもある。

そう思うと、欲しいものが

たくさんある状況の貧しさは、

それほど悪くない。

人生を活性化する一因になる。

イキイキ生きる源になるのだ。

 

 

 

 

 

はじめてを、乗り越えろ

 

(今日のコトバ)

 

勇気は、デビューに集中させる。

 

 

 

何事もはじめる時が、

いちばん緊張する。

はじめての試みへの緊張感。

はじめての人へのプレッシャー。

はじめての環境への不安、、、。

はじめては、メンタルが全開で働き出す。

人によっては、環境によっては、

しんどい作業になることもある。

ただ、このはじめてこそ、

自分の人生を大きく変化させる

チャンスになる。

時間はかかっても、

このはじめてを乗り切れば、

新しい自分に出会える。

新しい可能性を広げていける。

自分にとっての大改革になる。

だからこそ、

どんなにしんどいことがあっても、

勇気を振り絞って、

頑張る価値はある。

このはじめてが、

あたりまえになった時、

人生は新しいステージに進む。

はじめては、

人生の大きなチャンスなのだ。

否定より肯定する状況へ

 

 

(今日のコトバ)

 

否定は、未来をつくれない。

 

 

何事も否定から入る。

慎重で、冷静なようだが、

ネガティブと思われることもある。

その結果、

良い方向へ転べば良いのだが、

あまり良い方向へは進まない。

否定的に考えると、

生産的な思考にならない。

もちろん、リスクヘッジをかける時、

冷静で、ネガティブな目が必要な時もある。

ただ、ダイナミックに前進しようとする時、

足枷のような考えが、

前進の邪魔をする。

反対に、何事も肯定的に考える人は

どうだろう。

とにかく、前向きにやってみる。

失敗しても、前進する。

負けても、歩みを止めない。

そんな状況をつくって物事を進めると、

現場の雰囲気は良くなる。

この雰囲気が良いということが、

前進の起爆剤になる。

もっとやろう、

もっと頑張ろうという気持ちになる。

おのずと、良い状況がつくられる。

だとすれば、否定的な気持ちを

なるべく捨てた方がいい。

良い結果への近道は、

肯定する気持ちにあるのだ。