期待はゆっくり応えよう

 

(今日のコトバ)

 

期待はずれをいっぱいしたから、

期待どおりの働きができるようになったんだ。

 

 

 

何事も初めから上手くはいかない。

新人として挑んだったり、

素人として挑むのなら、

ミスを連発することもあたりまえだ。

ただ、人は初めから

上手くできるようになりたい生き物。

できないことで、

あせってみたり、

でこきないことで、

あきらめてしまうこともある。

気持ちとしては、

できないことで、

まわりから期待はずれだと

思われていることが悔しい。

足手まといになっていることが

辛いと思ってしまう。

だが、考えてみれば、

みんな初めから達人はいない。

天才と呼ばれている人だって、

吸収のスピードが速いだけで、

ミスだってする。

ミスをしたり、上手くできないのは、

自分だけでないのだ。

そう、できないのは自分だけでないことを、

忘れなければいい。

それよりも、

着実に前進ことが大切。

そして、自分のものにして、

期待どおりの働きが

できるようになればいいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

他人のものより、自分のもの

 

(今日のコトバ)

 

まず、掌にあるものを落とさず、

しっかり握りしめろ。

 

 

 

 

他人の持っているものは、良く見える。

自分が持っていないものだと、

なんでも良く見えてしまう。

仮に、自分の持っているものより、

価値がなくても良く見えてしまう。

昔から、隣の芝生は青く見えるともいう。

他人のものだと良く見えるマジックがある。

だが、ほんとうに良いものは、

自分のまわりにある。

暮らしながら知らず知らずのうちに、

身のまわりで揃えているのだ。

服にしても、靴にしても、

グッズにしても、大切な人間にしても。

いまを生きるために必要だから、

大切だから、揃えている。

意味があるから揃っている。

自分の掌にあるものは、

貴重なもので、機能的なものなのだ。

それを忘れてはいけない。

大切なのは、まず、

自分のまわりにあるものだということを。

 

 

 

毎日更新していく未知への体験

(今日のコトバ)

 

人生は、小さな事件を解決しながら、

喜怒哀楽を生むサスペンスだ。

 

 

 

 

毎日、何か想定外の出来事が起こる。

そのほとんどが、小さな出来事。

次の日には、もう忘れていることもある。

ただ、この小さい出来事を、

毎日、どうにかクリアして生きているのも事実だ。

その力は、積もり積もれば相当な財産になる。

昔、できなかったことが

できるようになる。

昔、怖かったものが

怖くなくなる。

昔、知らなかったものを

知ることになる等、、、。

だが、それでも明日は

想定外の出来事が起こる。

その出来事から喜怒哀楽が生まれ、

未知の体験をする。

人生。

それは、毎日更新していく未知の体験。

明日のことは誰もわからない。

だから少し不安で、

だから楽しい。

人生は生きるに値するサスペンスなのだ。

 

 

停滞と無責任を回避せよ

 

(今日のコトバ)

 

いい訳の上に、成果なし。

 

 

 

 

苦しくなると、怠けたくなると、

人はいい訳をする。

ほとんどのいい訳は、

自分におかれる良くない状況を回避するため。

ただ、このいい訳している間、

ほとんどの場合、行動が止まっている。

自分ではないと証明しようとしているのだから、

あたりまえといえばあたりまえだが、

前進する話にはならない。

むしろ後退しているといっていい。

また、誰かに責任を転嫁している場合もある。

本当に自分が関係ない場合は仕方ないが、

たいがい自分の責任を誰かに押し付けている。

そう考えると、いい訳は、

停滞と無責任の二つの問題点をつくってしまう。

自分の人生において、

いらぬ問題をかかえてしまうのだ。

当然、成果を求める状況でいい訳は、

抵抗勢力でしかない。

だからこそ、いい訳は最低限にすべきだ。

ほんとうに状況判断を間違っている場合以外、

いい訳をしない。

それだけでコミュニケーションは

スムーズに進んでいくはずだ。

人生の達成度の差

 

 

(今日のコトバ)

 

みんな天才だと思ってスタートし、

凡才であることを知ってゴールしようとする。

ただ、天才をあきらめなかった者だけが

一歩前を走っている。

 

 

 

何かをはじめる時、

誰でも「自分はできる」と思っている。

「こんなことぐらい」と思ったり、

「自分は天才だ」と思ったりする。

やる気もあるし、

できるようになりたい気持ちもあるので、

あたりまえの話かもしれない。

ただ、やりはじめると、

簡単ではない壁に何度もぶつかる。

人によっては心が折れて、

投げ出したり、

テンションが低くなって、

進歩しなくなることもある。

もちろん、ほんとうに天才といわれるように

何でもできてしまう人もいる。

だが、たいがいの人は壁にぶつかる。

その壁を乗り越えるか、

越えないかが、人の進化を決める。

では、壁を乗り越える人とは、どういう人か。

それは、一言でいうと、

あきらめない人。

様々な困難があっても、

ギブアップしない。

強い気持ちで乗り越える人が、

進化を続け目標を達成する。

そこに天才か、天才でないかは、

ほとんど関係ない。

あきらめないで、やり続けるか。

あきらめて、足を洗うか。

その差が、人生の達成度の差に

なっていく。

そう思うと、

あきらめない精神をもった者は、

天才と同じ、もっといえば、

天才以上の能力を持っているともいえる。

だからこそ、あきらめないという気持ちを

人生の念頭において生きてみる。

人生の達成度が大きく違ってくる。

もっと有意義な人生が待っているはずだ。

 

知識なき強味

 

 

(今日のコトバ)

 

増えすぎた知識は、足をすくませる。

 

 

 

あまりにも知識がありすぎて、

前へ進めないことがある。

知っているだけに、

難しさやしんどさが頭に浮かび

前へ踏み出せない。

「こうなるから、やらない方がいい」と、

ポジティブに考えられず、

やらないという選択をしてしまう。

反対に、何の知識もないから、

飛び込んでいくことに躊躇がない。

結果、いいケースもわるいケースもあるが、

間違いないのが一歩前進できたという事実。

無邪気なポジティブとでもいおうか、

トライすることはできたことになる。

知識があること。知識がないこと。

知識があることがいいことは多いが、

知識がないことがプラスに働くこともある。

特に人生の大切な場面では、

知識がなくてトライできる方が

良い場面が多々ある。

だから、知識がないからといって

あきらめることはない。

そのトライする気持ちが

有利に働くこともある。

知識は、味方にも、敵にもなるのだ。

未来の自分のトレーニング

 

(今日のコトバ)

 

どれだけ遠まわりしたかが、

どれだけ遠くへ行けるかの礎になる。

 

 

 

 

できれば、近道したい。

最短距離で到着し、楽したいと思う。

だが、人生はそう簡単ではない。

ゴールが見えないほど、

遠くにあるもの。

紆余曲折あって、

前進しているかわからないもの。

近くに見えているのに、

なかなか近づかないもの等々、

一筋縄ではいかない

険しい道程がまっている。

ただ、長く生きていると、

簡単ではない道が

わるいことばかりでないことを知る。

長い道を歩いて、鍛えられた心と体は、

簡単にはギブアップしない心と体になる。

近道できず遠まわりしたが、

そこで鍛えられた心と体が、

どんな長距離でも平気でゴールできるようになる。

もっというと、遠まわりと思った道が、

実は、いちばん近道だったこともある。

そう考えると、

人生の遠まわりもわるくない。

遠まわりしている時間は、

自分を鍛えている時間。

自分を成長させている時間だと

思えばいいのだ。

いま、人生の迷路にいて、

なかなか抜け出せない道にいる人も、

あせることはない。

その迷っている間に、

自分の中のいろいろな機能が進化している。

ゴールにだどり着く頃には、

一皮むけた新しい自分になっている。

だから、遠まわりを避けなくていい。

これからの自分の未来のために、

有益なトレーニングになるのだ。

 

やる気は見せるもの

 

 

(今日のコトバ)

 

遠慮とは、

優れた才能をお蔵入りさせること。

 

 

 

 

特に、日本人は遠慮がちといわれる。

はにかんだり、内気だったり、

人前で話すのが下手だったり、

自分の意志を明確化することが、

上手くないといわれる。

確かに、外国人に比べて、

自己主張がないような気がする。

人の、国の特性として、

遠慮がちであるといえるだろう。

だが、自分がどうしても叶えたい夢があって、

意志も技も持っているのに、

ライバルに「どうぞ、どうぞ」と

譲っていては、叶う夢も叶わない。

人として、遠慮がちはいい。

ただ、勝負どころでは、

自分の意志をしっかりと伝える。

何ができるか、どうしたいか伝える。

もっというと、勝負する場所では

ファイティングポーズをつくって立つ。

やる気が見えなければ、

能力があってもリクエストはされない。

とにかく、やるんだ、やれるんだという

意志をしっかり見せる。

準備ができていなくも、

チャンスがあるならのってしまう。

それぐらいの気持ちでいい。

もちろん、日本人には、

人を押しのけない、

人を踏み台にしない、

規律正しく、縁の下の力持ち的な

美徳もある。

その気持ちも大切だが、

ここ一番の時に、

席を譲るばかりでは

自分の座る席も誰かに奪われてしまう。

叶えたい夢があるなら、

自分の意志をしっかりと伝えて

チャンスを逃さない。

そこがポイントになる。

絶対にブレないもの

 

(今日のコトバ)

 

人間は、

誰もがプライドの下に

深い傷を負っている。

 

 

 

プライドを持つ。

大切なことだ。

誰かに評価されて、

プライドを持つのはかっこいい。

誇り高き人間でいられるかもしれない。

だが、そうではないプライドもある。

誰に何といわれても捨てない誇り。

評価されなくても、中傷されても、

自分のアイデンティティとしてブレない。

絶対的自信がある。

そういうプライドもあるはずだ。

そのプライドこそ、

ほんとうの意味のプライドといえる。

評価で一喜一憂するのではなく、

ブレない誇り。

そのプライドは、

ただの評価だけでなく、

自分の生きてきた財産に基ずくもの。

キャリア、テクニック、ヒストリーがあいまって、

揺らがないもの。

傷、痛み、悲しみ、苦しみも踏まえて、

そびえ立つもの。

それこそがほんもののプライドだと思う。

だから、プライドを考えた時、

絶対揺らがないものであるかを見つめる。

そこにほんもののプライドがあるはずだ。

変化のために人を変える

 

(今日のコトバ)

 

手を変え、品を変えても、

人を変えなければ、何も変わらない。

 

 

 

いろいろ策を巡らす。

知恵をしぼって考える。

あれやこれやトライする。

ただ、同じ人間が生み出すものは、

まわりから見て

想定外にならないケースが多い。

ある程度、その人間を知っていれば、

その人間の発想は想定の範疇にある。

手を変え、品を変えて、

トライさせても、想定内のものになる。

それがオリジナルで、

それが匠だというこもできる。

だが、まったく違うものを求めた時、

同じ人間に要求するのは酷だ。

その違ったテーマに向かうために

新しい人間に発想してもらう方が

変わったものができるはず。

そう思うと、

解決できない問題を同じ人間だけで、

頭をかかえているより、

新しい人間を入れて考えてみることは

有効な手段になる。

もちろん、いつもの人間だダメだというのではない。

何かを変えなければいけない時は、

人間を変えてみる。

それが変化に対応する一つの方法だ。