点の笑いでなく、線の笑いをつくる

 

(今日のコトバ)

 

笑いのある場所に、幸せはより道する。

 

 

 

 

 

人が笑っていると、

「なに?なに?なに?」と

そばに行きたくなる。

自分も笑いの

おすそ分けをもらおうとする。

そこへ行った結果、

ほんとうに笑えると、

とても幸せな気分なる。

笑いは、人を集めて、

幸せを伝達する天才なのだ。

もっというと、笑いには求心力がある。

そこに人を集める力がある。

その力は、

幸せに通じているのではないだろうか。

面白いことをいうから、笑える。

笑えるから、楽しくなる。

楽しいから、嫌なことを忘れる。

嫌なことを忘れるから、幸せな気持ちになる。

いま、自分のまわりに幸せが足りないと思う人は、

自力でも、他力でもいいから、

笑いを求めていこう。

点の笑いだけではなく、

線の笑いになるように。

つねに、笑いがある状況をつくる。

それが幸せになるための

最短の方法論になるのだ。

 

 

いの一番に駆けつけてくれた人

 

(今日のコトバ)

 

いちばん早く差し伸べられた手は、

いちばんあたたかい。

 

 

 

 

人生には、挫折がある。

転んでしまって、倒れてしまって、

自分一人の力では立ち上がれない時がある。

誰かに支えて欲しい。

誰かに慰めて欲しい。

誰かに助けて欲しい、、、、。

誰かの力を借りたい時がある。

そんな時、いちばん早く

手を差し伸べてくれた人は、

忘れることができない人になる。

最大級の感謝の気持ちを持つことになる。

もちろん、大きな力で困難を解決してくれたり、

大勢の一人として力を発揮してくれる人もいる。

だが、それよりも、

いちばん早く、いちばん寄り添ってくれた人が

記憶の中に深く刻まれていく。

そして、いちばん早く動いてくれた人の

気持ちの大きさを知ることにもなる。

だからここ、自分が困難にあった時、

いちばん早く対応してくれた人を

大切にしよう。

いの一番に駆けつけてくれた人は、

いちばんあなたを思っているのだ。

プラスは、プラスを呼び寄せる

 

(今日のコトバ)

 

マイナス志向では、不幸はプラスに変化する。

 

 

 

マイナス志向だったり、

ネガティブだったり、

もの事をわるい方に考えると、

状況を好転させることに苦労する。

できない、やりたくない、

わからない等、いい訳を考えて、

前へ進めない。

結果、いい状況をつくれない。

好機を逸すことになる。

反対に、プラス志向で、

ポジティブに取り組むと、

状況は好転することが多い。

もっというと、プラス志向で取り組めば、

困難な状況も解決策がいち早く見つかる。

取り組みが早いから、解決までの時間も早い。

プラスに考えているだけに、

人生の財産にできることも多い。

もちろん、マイナスの局面も考えて、

慎重に動かなければならない時もある。

ただ、その場合でもアクションを起こしたら、

プラス志向で動いた方がいい。

プラスは、プラスを呼び寄せる。

同じように、マイナスは、マイナスを呼び寄せる。

状況は、自分の志向で変えられるのだ。

相手の立場になって伝える

 

(今日のコトバ)

 

やりたいことは、顔に書いてでも、人に読ませろ。

 

 

 

「わからない」

人と人とのコミュニケーションで、

いちばん困るのは、

わからないことだと思う。

相手のことがわからないと、

自分がどうしていいかわからない。

何をしてあげればいいかわからない。

結局、その時間が長く続くと、

相手と距離を置いてしまう。

また、わからないという場合、

わからないは一つでないから

ややこしい。

相手が好きになって、もっと知りたくて、

わからない場合があれば、

どうして、そういう考えをするのか、

わからない場合もある。

当然、何を考えているか

わからない場合もある。

「わからない」

それは相手の話ばかりではない。

仮に、自分がわからないと

思われていると、

やりたいことができなくなる怖れがある。

考えていることがわからない、

言っていることがわからないといわれたら、

自分が実現しようしている状況へは、

とても到達できなくなる。

だとすれば、どうするべきか。

「わからない」

と思わせることを、

わかりやすくすること。

つまりは、自分の思いをシンプルにして

相手に伝えること。

相手に伝える時、一度、

相手の立場になってみる。

わかるメッセージを送っているかどうか。

相手の立場になることを、一度、

考えることで、かなりわかりやすくなる。

まずは、そのことを意識するところから

はじてみよう。

希望という言葉に、希望を持っている

 

(今日のコトバ)

 

希望とは、

出会いたい未来に向かって手を伸ばすこと。

 

 

 

この秋も、希望という言葉は、

世間を騒がせた。

正確には、希望の党だが、

その政治姿勢にまったく希望が見えず、

散々な結果に終わってしまった。

ただ、希望という言葉には、

それこそ誰もが希望を持っている。

簡単に使って、その意味を汚して終わるような

ことはあってはならない。

希望という言葉だけに、失望、絶望、欲望等と、

すぐに言葉をいじられてしまう。

それではいけない。

希望とは、出会いたい未来の姿であってほしい。

そのために、希望を願った人々は、

その未来に向かって切磋琢磨する。

だからこそ、希望を叶える者は、

新しい、素晴らしい世界へたどり着けるのだ。

たぶん、今後も希望ということばが、

時代の言葉になることはあるだろう。

その時、ほんとうの意味で

希望が使ってほしい。

そう願うばかりだ。

考え方次第で幸せになる

 

(今日のコトバ)

 

初期設定として、

心が幸せをカウントするようにしよう。

 

 

 

幸せだと思っている人と、

幸せではないと思っている人の差は何か。

時々、考えることがある。

まわりの人を観察してみると、

ある程度、わかってくることがある。

それは、自分の起こる出来事において、

最初からほぼ幸せと感じている人は、

人生を幸せだと思っている。

反対に、はじめから不幸せだと感じている人は、

不幸せな人生だと思っている。

同じ環境を与えても、

笑って楽しめる人と、

損をしているとひがんでいる人がいる。

その差がそのまま幸せ数と

不幸せ数のカウントになる。

すべての人が公平に、

幸せと不幸の数が与えられるとは思わない。

だが、幸せ不幸せは目に見えないもの。

考え方次第で、

どちらにも捉えることができる。

だとすれば、

幸せと思うことを増やした方が

人生は素敵なものになる。

幸せが多いと思うか否かは、

考え方次第で決まる。

あなたがどっちを選ぶかだ。

 

 

 

期待できる未来をつくる

 

 

(今日のコトバ)

 

さらにと思える未来であれ。

 

 

 

朝、起きて眠気がさめて、

「さあ、今日は楽しい一日が始まる」と

思えたら、人生は最高ではないだろうか。

子供の時の遠足がそうだったし、

勝利が確実な試合の日、

合格できそうな受験の発表の日、

旅行に立つ日、

ゴルフ、草野球、釣り、キャンプ、

大きな商談、プレゼン、イベント開催等。

人それぞれだが、

楽しい日が、楽しい時間が待っていると思うと、

人生が素晴らしいものだと思える。

つまり、近い未来の出来事に期待できることは、

人生を前向きにさせる、

人生を躍動させる最高のシナリオになる。

いま、人生が停滞していると

嘆いている人がいるなら、

近い未来に楽しいと思える出来事をつくろう。

どんな小さなことでもいい。

小さくてもいいから、

何度もつくっていこう。

その楽しいことが、自分の気持ちを

さらに楽しくしようと導いてくれる。

楽しいことが前向きに道をつくってくれる。

そのことを忘れてはいけない。

 

 

行動力が人間力

 

(今日のコトバ)

 

動かなければ、人生は日に日に小さくなる。

 

 

 

行動距離が人間の大きさだと、

ある冒険家がいっていた。

ほんとうかどうかわからない。

人間的に大きいと思う人が、

すべてアグレッシブに行動しているか

確かめたこともない。

ただ、行動なき日々が続くと、

人生が小さくなるような気がする。

いちばん大きいのは、

人と出会うことが少なくなる。

出会わないということは、

予定することもなくなり、

やることもなくなる。

自分だけですむからと、

人のコミュニケーションが減ってしまうと、

ますます行動半径が小さくなる。

それがいけないというわけではない。

だが、人生をダイナミックに展開したいと思ったら、

やはり行動は不可欠だ。

何も体を動かす行動力でなくてもいい。

頭を動かす行動力であってもいい。

とにかく、行動すること。

そこに人生を大きくする鍵がある。

今日からでいい。

一歩でも多く踏み出してみる。

そこに、人生を大きくする策がある。

 

 

かけがえのない存在を忘れない

 

(今日のコトバ)

 

ほんとうに大切なものは、

いつも平凡な顔をして隣にいるもの。

 

 

 

 

人は、刺激のある方へ流れていく。

新しいことだったり、

おもしろいことだったり、

驚きがあることだったり、、、、。

気持ちが刺激に過剰に反応し、

追いかけていく。

人は、そういう生き物だ。

ただ、その気持ちが導かれたものが、

ほんとうに大切なものかというと、

それはまた別の話。

ほんとうに大切なものは、

長い時間、自分のそばにあって、

かけがえのない存在になるもの。

時間が長いと慣れる。

空気のような存在になる。

あらゆることが、あたりまえになる。

決して、刺激があるものではないかもしれない。

だが、その存在こそが、

ほんとうに大切なもの。

家族、恋人、親友など、

長く時間を共有し、

愛し愛され、助け助けられした経験こそ、

ほんとうに大切なものなのだ。

刺激があったり、新しいものに気持ちは動く。

ただ、その刺激も、その新しさも

賞味期限が切れたらどうだろう?

忘れてしまうものが大半だし、

一過性でしか気持ちが動かなかったことを、

振り返ると理解できる。

だからこそ、

いま、自分のそばにいつもいる存在を、

しっかり見つめてみよう。

どれだけ大切なものか。

どれだけかけがえのないものか。

いちばん大切なものは、

いつも自分のそばにいるのだ。

唯一無二という自分の存在

 

(今日のコトバ)

 

どこにもあるような一生なんてない。

誰も生きてこれなかった一生があるばかりだ。

 

 

 

自分の人生が、「つまらなくて、

ありきたりな人生だ」という人がいる。

とりたてて才能もないし、

歴史に名を残せるわけでもない。

無名の一人のしがない人生だという人がいる。

人生の捉え方は、人それぞれあっていい。

小さい人生と思うのも、大きい人生と思うのも、

人の考え方次第。

だが、これだけはいえる。

どんな人生でも、

たいしたことのない人生なんて、

一つもない。

たいしたことのない人間なんて、

一人もいない。

誰の人生とも違う、

誰も乗り越えられなかった人生を、

すべての人が生きている。

自分だけの問題や悩みを解決し、

自分だけの能力を習得し、

自分だけの強さをつくり、

自分だけの優しさを持って生きている。

そのすべてがオリジナル。

誰もマネできないものが、

自分という唯一無二の存在をつくりあげている。

そう考えると、

個人の能力は途轍もないものを持っている。

想像を超えた力をつくり続けている。

その力を信じて生きれば、

人生は、素晴らしい未来を見つけるに違いない。

誰にも似ていない自分という人間の力がある。

その力が宿っていることを、

信じて前進し続けるのだ。