普通とは幸せの正体である

 

(今日のコトバ)

 

年齢を重ねると、最高でもなく、最低でもなく、

普通の中にたくさん幸せがあることを知る。

 

 

 

 

若い頃は、なんでも最高がいいと思った。

敗者よりは勝者。失敗よりは成功。下よりは上など。

単純に人より認められるポジションを求めた。

ただ、長く生きていると、

最高ばかりが最高ではないことに気づく。

例えば、誰よりも成功し続け、

出世街道を驀進した人間が、

そのかかえる問題の大きさに

つぶされそうになると訊くことがある。

経営者などに多くある

トップがゆえの孤独。

トップがゆえのプレッシャー。

人に見せないようにしているが、

本当に苦しんでいる姿を見ることもある。

また、青年時代は、どん底にいても、

いずれ中年になれば

なんとかなるだろうという

根拠のない展望を支柱にして

生きていられたが、

中年になってみると、

最低ランクにある課題は、

ことごとく人生を苦しめていく。

長く生きてきた仲間をみていると、

最高も最低もしんどそうだ。

その中で、いちばん平和そう、

いちばん幸せそうなのは、

普通というポジションを手に入れた人々。

トップに立って、

火の粉をかぶるのではなく、

どん底をさまよって、

火の車で生きるのでもない。

普通に生きる。

もちろん、普通には普通の大変さはあるだろう。

ただ、その普通は、最高より、最低より、

居心地のいい世界であるはずだ。

いま、普通を手に入れていると思っている人は、

その普通を大切にした方がいい。

普通とは、幸せの正体なのだ。

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