あたりまえは幸せに属する

 

(今日のコトバ)

 

あたりまえという普段着は、

幸せというタグがついている。

 

 

年をとればとるほど思うことがある。

「あたりえ」は、

すべて幸せに属すると。

「あたりまえ」

若い頃は、

「あたりまえ」がつまらなかったり、

「あたりまえ」がかっこワルかったり、

「あたりまえ」を良しとしない自分がいた。

だが、年齢が「あたりまえ」ほど

大切なものはないと教えてくれた。

日々生きるために、

「あたりまえ」がなければ、

とてもしんどいものになる。

考えてみても、

「あたりまえ」に

ものごとが過ぎなかった日は、

何倍も疲れた憶えはあるだろう。

それが毎日毎日続いたら、

やっぱりしんどくなる。

若ければ若さで乗り切ることもできるが、

年をとるとそうもいかない。

そう考えると、

あたりまえは大切。

もっというと貴重になる。

人生は幸せになった者の勝ち。

あたりまえが多ければ多いほど

幸せということになる。

だからこそ、

あたりまえは大切なのだ。

コメントを残す