平凡な日々とは、いいことだらけの日々

 

(今日のコトバ)

 

いつかの奇跡より、

いつもの平凡。

 

 

 

「何かいいことないかな」

そう思って生きている。

楽しいこと、嬉しいこと、

幸せなこと、何でもいい。

昨日より素晴らしいことが

起こることを待っている。

ただ、生きていれば、

毎日が奇跡のように

素晴らしいことが

起きるものでもないことを

知っている。

いいことだけでなく、

ワルいこともある。

そして、圧倒的に多くの人は、

平凡というの日々の中で

生きている。

そして、

平凡という日々が

いいことではないとも

いいきれない。

あたりまえのように過ぎていく

時間だが、

人生を幸せな気持ちに

してくれることが多々ある。

いいことの基準も高くすれば

無限に高くなるが、

毎日の習慣の中で見つけられれば、

平凡な日も、

いいことだらけの日々に変わる。

だからこそ、

平凡な日々を大切にしよう。

平凡がいいことになると、

人生はいいことだらけになる。

もっと前向きに生きていけるのだ。

 

 

大変なことも生きるための財産になる

 

(今日のコトバ)

 

生きるとは、

あぶない世の中の道を

安全に走り続ける技術のことだ。

 

 

生きていくことは大変だ。

どんな普通な生き方を

している人も

振り返ってみて欲しい。

アクシデントがまったく

なかったという人は

皆無だろう。

何かあったはずだ。

そのアクシデントを思い返すと、

自分の人生も

大変だったと思う。

そして、こうも思う。

そのアクシデントが

あったらこそ、いま、

こうして普通に

生きていられる、と。

あぶない状況に出会うたび、

どう生きるべきか考える。

まっすぐ行くべきか。

横道に逸れるか。

バックするか。

停止して休むか、、。

その体験した記憶が

人生をより安全に生きるための

教訓になっている。

だからこそ、

あぶない状況も

人生には財産になる。

そのことを忘れずに生きれば、

毎日を前向きに

生きていけるはずだ。

正解の道にしながら歩く

 

(今日のコトバ)

 

選択した状況を

正解にできる力を、

実力という。

 

 

正解の道を選びたいという。

ただ、ある程度長い時間を

生きていく道であれば、

その道が良くてもワルくても、

自分の力で

なんとかしなくてはならない。

おそらく誰もが人生の中で

歩いてきた道を、

正解にしてきたことが

あるはずだ。

最初はしんどい道でも、

歩き続けていると、

困難も、危険も、越えて、

前進している。

どう乗り越えればいいかの

知恵もついてくる。

そして、いま歩いている道は

正解になっている。

正解だといえたその時、

自分は成長している。

力もついている。

だから、

はじめに歩き出す道は、

どんな道でもいい。

まずは、歩き出してみよう。

そして、歩きながら

自分としていい道に

つくっていく。

それこそが、

自分が人間として

進化することなのだと思う。

 

隣りにいてくれる人はいちばん大切

 

(今日のコトバ)

 

遠くから手を差し伸べてくれる人が

いない世の中でも、

隣りで手を握りしめてくれる人は

いるのだ。

 

 

 

ふと気づくと、

隣りにいてくれる人。

その人が自分の人生において

どれだけ大切なのか。

あまりにも

あたりまえの存在だから、

その価値が

よくわからなくなっている。

もっとも人間関係で価値などと

使うことは品がないが、

隣りにいてくれる人は、

もっとも価値がある存在と

いっていい。

憧れたり、

尊敬したり、

大切だと思う人は

たくさんいるだろう。

その中でも

もっとも大切なのは、

隣りにいてくれる人に間違いない。

考えてみればわかる。

なぜ、隣りにいるのか。

好きだからでもあるし、

信頼しているからでもある。

一緒に笑って、

一緒に泣くこともある。

なにより、

隣りいる人から、

たくさんの優しさ、

たくさんの親切を

受けとっている。

そんな存在は

他にはいないはずだ。

だからこそ、

隣りにいる人を大切にする。

それが人生を幸せに生きる

礎になるのだ。

 

いまあるものの大切さ

 

(今日のコトバ)

 

離れていく人の背中が

見えなくなると、

隣りにいてくれる人の

あたたかさがよくわかる。

 

 

失って、

はじめて気づくものがある。

特に、人はその筆頭。

失うとは、

何もあの世に

行ってしまうだけでなく、

同じ環境で生きていけなくて、

失った気持ちも含める。

ただ、そのたびに、

いまあるものの

大切さを感じる。

いま、ここにいてくれる人の

大切さを感じる。

失ってわかる、

いまあるものの大切さ。

それがわかっているなら、

失っては困るものを、

日々大切にして生きる。

後悔がないとまでは

いかなくても、

失っても、

少しはどこかで

納得する状況をつくる。

いまあるものが

どれだけ大切かを意識しつつ、

なるべく

後悔しないように生きる。

人生をより納得して

生きるために大切なことだ。

 

限界をつくらない人

 

(今日のコトバ)

 

きっと、

限界だと思うことは

誰にでもある。

その中で、限界を決める人と

決めない人がいる。

限界を決めない人を

可能性のある人という。

 

 

限界は、自分がつくるもの。

自分があきらめたものから、

限界はすぐにやってくる。

ただ、前向きに生きる人は

限界をとにかく遠くに置く。

簡単に限界をつくらない。

もっというと、

限界をつくらないようにして

生きている。

傍で見ていると、

気持ちが強いとか、

粘り強いとか、

心が折れないとかいわれる。

その限界をつくらない人の

根本にあるのは、

夢や目標に向かって

あきらめない気持ちともいえる。

さらに、自分の可能性を

信じている人でもある。

限界をつくらない人を、

夢や目標に向かって

可能性を信じている人と

定義すると、

かっこよくもある。

簡単ではないのはわかっている。

ただ、どうしても叶えたい

夢や目標があるなら、

限界をつくらない人でありたい。

そう思うのだ。

細かいことは捨てる勇気

 

(今日のコトバ)

 

じぶんの中の雑魚を捨てろ。

じぶんの中の雑草を生かせ。

 

 

多面的な自分がいる。

一つではない自分がいる。

ただ、そのすべてに向き合い

悩んでしまうと、

前へ進むこともできなくなる。

自分の細かい一面は

多少捨ててもいい。

大事なのは、

自分が生きるために強くなること。

どんなことが起こっても

平然と生きていけること。

もちろん、どんなことでもは

おおげさかもしれない。

だとしたら、

「ある程度想定される出来事は

平気にクリアできる」でもいい。

その強さをつくるために、

細かいこと、小さいことを

気にしていては、

一歩踏み出すのがつらくなる。

生きるために、

細かくて

ネガティブになるところは

捨てる。

前進する人生には大切なことだ。

ライバルが自分を成長させる

 

(今日のコトバ)

 

ライバルがいなければ、

この世界の速さに

ついていけなかった。

ライバルがいたからこそ、

この世界で速く走れることを

覚えたのだ。

 

 

先生、監督、師匠、

講師、コーチなど。

生きるために

大切なことを教えてくれる人は

たくさんいる。

教えの中で自分は

成長していく。

ただ、自分を

一番成長させてくれる人は

誰だろうと思うと、

一つの答えにたどり着く。

それは、ライバルだ。

ライバルがいるから、

目標が明快になる。

ライバルいるから、

モチベーションが上がる。

ライバルがいるから、

学ぼうとする。

ライバルがいるから、

努力する。

ライバルがいるから、

夢中になれる、、。

これがライバルがいないとなると、

目標が漠然としたものとなり、

どこへ向かえばいいか

わからなくなる。

だからこそ、

達成したい目標があるなら

ライバルを持つ。

そこに自分が成長するための

すべての条件が揃っている。

目標達成のために

いいライバルを持つのだ。

幸せだけは世界一

 

(今日のコトバ)

 

「幸せ」という階級なら、

世界一のタイトルホルダーに

なれる。

 

 

 

人によって価値観の

違うものだったら、

自分が世界一になれる目標もある。

そう思うことがある。

例えば、

幸せの価値観は、

80億人の人類がいるとしたら

80億分ある。

どんな小さいと思うものでも、

どんな些細なものでも、

本人が満足して

幸せだと思ったら幸せなのだ。

誰かが口をはさむ余地はない。

だとすると、

最高の幸せ者に

なれる可能性はある。

もっといえば、

幸せ世界一と自称することも

できるのではないか。

決めるのは他人ではない。

自分で決めればいい。

自分の幸せは、

自分以外の誰もわからない。

自分が最高の幸せ者と思ったら

それでいい。

人生は人さまざま。

できれば、最高の人生を送りたい。

その時、最高に幸せであると思えれば、

それこそ最高の人生になる。

他の目標では世界一でなくとも、

幸せだけは世界一。

そこを目指して

生きもいいのではないだろうか。

幸せのカウントの仕方

 

(今日のコトバ)

 

今日、

目覚めたらゴハン3回分の

幸せが追加される。

 

 

幸せをどこに求めるか。

途轍もなく大きな幸せを求めて、

「幸せをつかめない」と思うか。

身の回りのちょっとしたいい事を

幸せとカウントして、

楽しく暮らすか。

考え方は人それぞれ。

どの幸せが良くて、

どの幸せがワルいなんて事はない。

だが、

ちょっとした事までも

幸せにカウントすると、

毎日が楽しくないだろうか。

例えば、「今日、何を食べようか?」

寿司?焼肉?カレーライス?

自分の好きな食べ物を

選択できるだけでも

幸せだと思う。

事実、

おいしいものを食べた後の

自分は、

とても満足した顔になる。

そんなところから、

幸せを一つ一つカウントしていく。

食事だけでも3回、夜の飲み会1回、

カラオケ1回。

趣味の時間があれば1回。

デートがあれば1回。

ボランティアをすれば1回。

宝くじに当たったら1回。

昨日までできなかったことが

できたら1回。

誰かのために役に立ったら1回。

明日にワクワクしたら1回、、。

幸せのカウントを重ねていくと、

一日が幸せで埋まっていく。

人生は、

幸せだと思えて

生きられたら嬉しい。

そのために、

幸せのカウントの仕方を

自分オリジナルでつくる。

今日一日だけでも、

幸せのカウントはたくさん

数えられるはずだ。