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(今日のコトバ)
「大丈夫!」の言葉の裏で、
悲鳴が右往左往している。
いつもニコニコしている。
いつも明るくしてくれる。
「大丈夫!大丈夫!」と
笑っている。
ただ、そんな人でも、
実生活になれば、
辛いこと、
悲しいこともあるはず。
決して顔では見せないが、
「しんどいな」と
思っていることもあるはず。
もし、
自分に優しさがあるとしたら、
その裏の顔というか、
本音のところをすくってあげて、
相手を思いやることも大切だ。
生きている人で、
しんどいことのない人などいない。
そのしんどさを
少しでも分かちあってあげれば
救いなることもある。
「誰かの本当のつらさを
わかってあげる」
自分だけで
生きていけない世の中で
大切なことだと思う。
(今日のコトバ)
一秒、一分、一時間、
一週、一年、そして、
一生を生きていくと、
同じ生きものの人間が、
まったく違う
生きものになっていく。
一生とは凄いものだ。
人間が同じように生きても、
まったく違う人間として
進化する。
同じような学歴、
同じような仕事、
同じような環境、、。
なのにまったく異なる
生きものになる人間。
遺伝もあるだろう。
環境は同じでも
出会った経験が
違うこともあるだろう。
もちろん、性格もある。
だが、人間は
まったく異なる生きものに
なっていく。
不思議だ。
知能が発達した生きものだからか、
世の中という舞台で、
人間の数だけ
異なった配役が用意される。
どうしてかはわからない。
ただ、異なるということは、
人と違った部分があるということ。
違った部分には才能が宿っている。
その才能を活かして生けるのは
人間の特権。
その特権を有効に使って
生きていきたいものだ。
(今日のコトバ)
悔しが本能を目覚めさせたら、
敗北もまた成功である。
負けた時の悔しさは、
人生の悔しさのベストを
選ぶ時、必ず入ってくる。
誰の人生でも
目標を設定したら、
勝負という戦いが待っている。
その戦いで負けたら、
最高の悔しさを感じる。
その時ほど
気落ちすることもないが、
本能として勝ちたいと
思うこともない。
この本能を感じることは、
生きていてそうそうない。
勝ったり、成功したりしても、
本能を感じることは
あまりない。
悔しさの中にある本能を
感じるには敗北が一番だ。
そして、悔しいと思って
本能が動き出して、
勝ちたい、
成功したいと思ったら、
その人間の人生として
素晴らしいことではないか。
悔しさという本能を生む敗北。
それは人生の宝物。
そう思って生きれば、
敗北も自分の武器になる。
(今日のコトバ)
マイナスの状況は、
プラスの情熱を発電しやすい。
毎日生きていると、
マイナスの状況に陥る日もある。
どんなに前向きな考え方の
持ち主でも、
状況は厳しいと思う。
そんな時、
ふと思うのが
マイナス状況の時ほど、
自分のエネルギーを使う。
言葉を選べば、
プラスのエネルギーで
挑んでいるともいえる。
だからこそ、
マイナスの状況を
マイナスに捉えるのではなく、
プラスのエネルギーを発電するには
いいチャンスと考える。
追い込まれた時、
自分がどんな力を発揮するか。
そのエネルギーの源泉に
マイナスの状況がある。
そう思って
生きてもいいと思う。
(今日のコトバ)
約束は、
いちばんあたたかい
未来をつくる。
約束。
口約束。
何も契約書を交わすわけでもなく、
ただ、言葉だけの決め事。
言葉が通じていれば、
この人はやってくれる、、。
裏切らない、、。
信頼できる、、。
簡単な言葉だけど、
何とあたたかい言葉だろう。
「彼と約束したんだ」
というからには
信じる気持ちがそこにある。
もちろん、約束しても
裏切られることもある。
酷い目に会うこともある。
ただ、それでも約束は、
血の通った、気持ちのある
言葉だ。
その約束という言葉を
信じて生きていけたら、
素晴らしい人生になる。
だからこそ、
約束を大切にして
生きていきたいと思う。
(今日のコトバ)
夢は、続編も傑作になる。
「続編に傑作なし」
映画などでよく語られる言葉だ。
確かに、「続・〇〇」や
「〇〇〇〇バート2」という作品で、
最初の作品を超えたものは
あまり記憶にない。
最初の作品が良いと、
続編には期待値も上がる。
必然的に厳しい目も向けられ、
作品の出来不出来以上の
プレッシャーがかかってしまう。
続編といわれるものには、
大なり小なりしんどい状況になる。
ただ、夢はどうだろう。
夢が叶って成功しても、
夢破れて失敗しても、
意志があれば続編はつくれる。
その夢の続編に対して、
最初の夢より
素晴らしい夢にならないと
思うだろうか。
本人は思わないだろうし、
まわりの人も思わない。
もっというと、
夢から夢へ前進すると、
新しい夢の方が
素晴らしいことが多い。
続編になればなるほど
素晴らしくなる
といってもいい。
たった一度の人生、
そう信じて生きるのも
素敵なことだ。
(今日のコトバ)
欠点は生まれつき
欠けているから、
そこに自分の視野が生まれ、
そこに自分の形が生まれる。
欠点がある。
生まれつきといっていい。
治しようのない自分の癖。
一生物といってもいい。
ただ、
それは社会の仕組みから
考えると欠点というだけであって、
見方を変えれば、
自分の強みにもなる。
例えば、鈍感。
仕事の中で
敏感に感じてくれないと
困る場面はあるが、
あまり理解できない。
仕事では困るかもしれない。
ただ、生きるためには
鈍感だから
神経がすり減らずに済むことは
多々ある。
気にしないと
ふてぶてしく生きていける。
メンタルが強い要因にもなる。
一例だがそれだけではない
欠点の強みはたくさんある。
自分が生きていく道に合わせて
欠点がいかに有効になるか。
確かめながら生きるのも
ワルくないと思う。
(今日のコトバ)
高い目標を掲げることは、
人間の狂気を
引き出すための手段なのだ。
目標を掲げる。
特に、高い目標を掲げると、
達成のための力の入れ方は
尋常ではなくなる。
少しばかり頑張る程度では
達成できない。
全身全霊で挑み、
全力を尽くす。
時には狂気になりながら
邁進する。
「高い目標」
それは、自分の限界との戦い。
高い目標をクリアするたびに、
成功は約束されないが
成長はしていく。
人間にとって大切なもの。
それが「高い目標」なのだ。
(今日のコトバ)
希望とは、
夢の背中を見つけること。
どこまで生きても
希望はあると思う。
もう何十年も生きてきて、
希望がなかったことがない。
絶望とか、喪失とか、
悲しみとか、
希望の対局にある気持ちに
なることはあったけど、
だからといって、
希望を失うことはなかった。
もしかすると、
希望とは未来への望みだけでなく、
生きることそのもの
かもしれないと思う。
なぜなら、
生きていることを意識したら、
いつも希望がそこにあるから、
生きる=希望とも
いえるのではないか。
深く考えると、
理由が必要になるから、
とにかく、
生きることが希望であると
定義してしまう。
そう考えると、
毎日生きること自体が
明るい未来になる。
それだけで、
少し得した気分になる。
希望は生きることの
別名なのだ。
(今日のコトバ)
人間は得意技でできている。
いつ、何時、
誰が挑戦してきても、
得意技があれば
勝ち抜けるのだ。
得意な分野は強い。
誰もが自分の得意分野で
勝負できれば、
ほぼほぼいい結果が生まれる。
だとしたら、
世の中という荒波を、
自分の得意技で
生き抜いていけばいい。
ここぞという人生の勝負の時、
必ず自分の得意技を出す。
常に得意技を出せる
状況をつくり、
そこで勝負する。
人生の勝負所の勝率を上げ、
自分が思い描いた人生を
歩んでいけるはずだ。
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