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(今日のコトバ)
なまけていると、
自分という目撃者がしっかり見ている。
「意外と見ている」
「それほど見ていない」
自分はどう見られているか
気になるが、見られていたり、
見られてなかったり、いいかげんなものだ。
ただ、これだけはいえる。
どんな状況でも、
「自分だけは自分を見ている」と。
いちばん近くにいて、
「自分は真実を知っている」と。
なまけていることも
しっかり見ている。
がんばっていることも
しっかり見ている。
どうしても騙せないのが自分なのだ。
だが、人は時々、
自分をも騙そうとする。
騙そうとする時、
それは自分がなまけている時。
言い訳をいっぱい考えて、
なまけようとする。
その言い訳を考える分、
かんばってもいいのだが、
なまける誘惑に負けてしまう。
だからこそ忘れてはいけない、
「自分は、自分をいちばん知っている」と。
その自分を騙していいのか。
そう考えると、生き方の答えは出る。
自分は騙してはいけないと思うはずなのだ。
(今日のコトバ)
愛だけは、有償より無償が勝る。
有償の愛を愛と呼べるが別として、
とくに愛においては、
無償なものに勝てない。
よく家族愛、子供への愛を
無償の愛という。
たぶん、見返りを求めないで、
人を愛すること。
献身的な愛といえるかもしれない。
そこに、有償なものはない。
お金をいくら積んでも、
何を差し出しても、
動かない感情が愛になる。
いま、その無償に愛せる人、
無償に愛してくれる人が
いるということは、
素晴らしいことだ。
人生に一つ柱が
立っているといっていい。
無償で気持ちが通じている。
その愛がどれだけ自分の人生を
揺るがないものにしているか。
そのことを噛みしめる。
生きるために大切なことだ。
(今日のコトバ)
右折して、左折して、屈折して、挫折して、
それでもまっすぐ歩き続けるものを魂という。
生きていれば傷つく。
あっちで転んで、
こっちで滑って、
痛い思い、苦しい思い、
悲しい思いを何度も乗り越えて、
人生を歩んでいく。
その中でも、
絶対ブレないもの、
いつも自分が自分の中に持っているものこそ、
魂といっていい。
どんな困難にあっても、
離れず前へ進む。
夢や希望をつかむために、
自分の中で自分を導く。
その目に見えないけれど、
強固な魂を大切にしよう。
曲がってしまおうとする自分を、
あきらめてしまおうとする自分を、
必ずまっすぐな道に戻してくれる。
魂とは、そういうものだ。
(今日のコトバ)
劣等感は、人間を最強の狙撃手にする。
あきらかに劣っている。
出来がわるい。
勝てるとは思えない。
そう他人に対して感じることがある。
劣等感(コンプレックス)。
自分と他人と比較して
劣っているとわく感情。
この感情ばかりが
一人歩きすると、
醜く、かっこわるい人間に
なってしまうが、
この感情を自分の震源地にして、
向上のエネルギーにすると、
途轍もない力になる。
そもそも、もっと上に行こう、
もっと成功したいと思う気持ちには
劣等感は必需品でもある。
劣等感が自分のあらゆる機能に
火をつけて、
自分がばく進できる。
そう考えると、
劣等感をもつことは、
決してわるいことではきない。
むしろ劣等感を持つことで、
自分の可能性を
大きく伸ばしていくことにもなる。
だからこそ、
自分の劣等感を大切にしたい。
うまく付き合えば、
自分が成長する起爆剤になる。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
優しさも、もらってばかりでは、
ただの借金になる。
甘えられる人がいる。
困った時には助けてもらって、
自分を支えてくれる。
苦しい時にも救ってもらって、
自分の力になってくれる。
ありがたい人。
だが、このありがたい人に、
いつもいつも甘えてばかりいるのは、
自分にとってとても危険なこと。
一方的に自分だけ助けてもらっていては、
それは甘えではなく借金になる。
甘えはエスカレートするから、
ありがたい人に想像以上の
負担をかけてしまう場合もある。
人によっては、甘えられていることを
ほんとうは嫌になっている人もいる。
そう思うと、
甘えられるありがたい人には、
こちらも支えることを意識する。
ありがたい人が困っている時に、
手を差し伸べてあげる。
少なくとも、
ありがたい人は味方のはずだ。
その味方を味方でいてもらうためにも、
こちらからも手を差し伸べる。
忘れてはいけないことだ。
(今日のコトバ)
反省とは、後悔を希望に変えることだ。
何事もうまくいかないと
後悔する。
そこまでやったことを考えて、
あれこれ足りないことを見つめてみる。
どうして?
なぜ?
ダメだ!
そんなことか!
いろいろな言葉が頭をよぎり、
自分を追いつめる。
だが、この後悔こそ、
次のアクションへのエネルギーになる。
後悔、
つまり悔しいと思う気持ちがあるから、
次をどうしようかと考える。
そのどうしようの先には、希望がある。
何かをしようという気持ちが、
希望を見つける。
その希望を見つけると同時に、
反省もはじまる。
反省という後悔へのリベンジが
はじまるのだ。
だからこそ、
いま、後悔している人は、
後悔している先で見えているものを
しっかりとつかまえろ。
こうやりたい!
こうやり直したい!
次はこうする!
すべては希望であり、
反省という作業に変わるはずだ。
(今日のコトバ)
人生に無駄などなかった。
無駄という貴重な経験があっただけだ。
「こんなこと、しなければよかった」
「意味のない時間を過ごした」
「余計なことだったな」等々。
つい無駄だと思ってしまうことがある。
ただ、その時、その瞬間、
無駄だと思っても、
決して、無駄だけで
終わっているものはないと
時間が経つと気づく。
例えば、たいくつで意味ない時間を
過ごしたからこそ、
精神の安定が保たれる。
やらなければよかったと思うことが、
たいていの場合、次の人生の教訓になり
同じミスをおかさないことにつながる。
もっといえば、
無駄なことだとわかったという
貴重な経験を積むことにもなる。
人生を生きれば生きるほど、
すべての時間が自分にとって
必要な時間だと知る。
だからこそ、
いま無駄だと思っているものも
大切にするのだ。
必ず自分の人生の
役に立っているのだから。
(今日のコトバ)
手を抜いた数だけ、手を差し伸べられなくなる。
困った時に、手を差し伸べて欲しい。
一人ではどうにもならなくて
誰かの力を借りたい、と思う。
その時に、
誰かが手を差し伸べてくれるか。
誰も手を差し伸べてくれないか。
そこが人生の大きな岐路になる。
できれば、
誰かが自分の難題を、
一緒に解決してくれる、
もしくは、サポートしてくれる
状態でありたい。
そのためには、どう生きるか。
どんなにITの時代が進んでも、
人は感情の動物だ。
手を差し伸べてくれた記憶があれば、
手を差し伸べたくなる。
「自分を助けてくれた」という
出来事があれば、
どこかでその恩を返そうと思う。
だとすれば、
手を差し伸べてもらうためにも、
こちらから手を差し伸べる。
困った人には、率先して
手を差し伸べる。
その行動が
いずれは自分に返ってくる。
まずは、手を抜かず、
手を差し伸べる。
それが手を差し伸べてもらうための
第一歩と信じるのだ。
(今日のコトバ)
ヘタクソと自分のことを思っている人ほど、
進化を続ける人はいない。
自分のことをどう思っているか。
きっと、正しい判断からは少しズレている。
良く評価する人もいるだろうし、
低く評価する人もいる。
ただ、一言いえるのは、
自分を良く評価している人は、
伸びしろがなくなっている。
本人は自信と思っていても、
他人からすれば
自慢にしきかなっていない。
もっというと、
進歩がないと思われてしまう。
反対に、自分がまだまだと思っている人は、
言葉通り、まだまだ伸びしろがある。
卑屈になることなく、
切磋琢磨しようとしていれば、
目に見えて成長していく。
そこが、人生の差になるといってもいい。
自分がまだまだだと思っている人は、
次に会うときのスキルが向上してくる。
自分がまだまだと思えるなら、
そのまだまだを解決するために
前進する。
それが成長につながるのだ。
(今日のコトバ)
歩けばいい時と、
走るべき時と、
そして、休まなければいけない時がある。
オンとオフ。
アクセルとブレーキ。
働く時と休む時。
人生には、
切り替えが必要だ。
いつもいつも
全開で走り続けることは無理だし、
いつもいつも
開店休業のような状態でも困る。
あたりまえのようだが、
いわゆる仕事のできる人だったり、
人生を謳歌している人は、
この切り替えを上手に使っている。
仕事をバリバリやる人ほど、
休日もしっかり楽しむ。
絶対楽しめる趣味を持っていて、
そこで気持ちを切り替えている。
反対に、仕事が停滞する人ほど、
切り替えができず、
時間だけが長くなり
成果が出ない。
もちろん、クリエーター、研究者のように、
長時間没頭することで
成果が上がる可能性のあるものもある。
だが、いわゆる業務や作業の場合は、
切り替えが必要になる。
そのポイントは意識。
ここまではやる。
ここからはやらない。
この線を決める。
意識しているうちに、
切り替えられるようになっていく。
いま、働くべき時と休むべき時の
切り替えがうまくいかない人は、
意識からでいいから、
切り替える努力をする。
最初はうまくいかなくても、
徐々にできるようなる。
切り替えの意識革命。
ちょっとしたことだが、
続けることで気持ちの切り替えは
できるようになるはずだ。
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