通過点

(今日のコトバ)

 

 

 

勝者でも、敗者でも、前進。

ただし、被害者意識を持たなければだ。

 

 

 

 

昨日終わったアジア杯サッカー。日本が優勝して国民が

歓喜にわいた。ここで優勝するかしないかは、大きな違いだ。

優勝チームと準優勝チームでは、まったく功績は違うだろう。

ただ、ここで勝者になったとしても、敗者になったとしても、

下を向く必要はない。胸をはって次の戦いに挑めばいい。

戦いが終われば、また0からのスタートだ。

だが、この時、勝者が目的を失って歩みを止めたり、

敗者が反省ではなく後悔と被害者意識で歩みを止めたら、

この次の結果は最悪になる。

ひとつの結果は、ひとつの結果。それでいい。

そして、その結果をふまえた上で、次の戦いへの目標を見据え、

その目標に向かって歩み始める。

あくまでも通過点として考え、次の高いレベルへ挑む。

そこに人生を生きる価値があるのだ。

 

 

 

 

 

 

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人生はエンドレスゲーム

(今日のコトバ)

 

 

 

人生はエンドレスゲームだ。

ゲームオーバーなんてただの標識でしかない。

 

 

 

 

今日未明のサッカー日本対オーストラリア戦はしびれた。

韓国戦と同様に延長戦。後半、李忠成の豪快なボレーシュートで

優勝を決めた。今回のアジア大会は苦境からすべて勝ち上がるという

ドラマのような展開だった。観客、視聴者としては最高のゲームだった。

ただ、素晴らしい結果だけれど、この試合もあくまで通過点。

選手は欧州や日本に帰ってリーグ戦があるし、

ロンドンオリンピック予選、ワールドカップ予選も始まる。

ゲームは終わっても、次の目標へのゲームが始まる。

人生も同じ事がいえる。今日結果を出しても、

また明日から新しい戦いが始まる。

有名な経営者が「成功は今日で忘れろ」といったが、

人生もまたしかり。少し成果が出ていい気分にひたるのはいいが、

いつまでもゆるんだ気持ちのままで生きてはいけない。

人生のゲームは死ぬまで終わらない。

たとえ負けたとしても、再び戦って勝ちに行けばいい。

今日の勝利は「今日のよくできました」であり、

明日は「また一生懸命がんばりましょう」なのだ。

 

 

 

 

 

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許容範囲というテリトリー

(今日のコトバ)

 

 

 

誤解という理解も、ひとつの幸せ。

 

 

 

ちゃんと知らなかったから、良かったことがある。

知り過ぎたために、怖くなったり、腹が立ったりして、

聞かなければ良かったことがある。

人生は理解が深まれば有意義になることが多い。

だが、無知であることが大切な時もある。

「知らなくていい情報」というやつである。

知らなければ飛び込めたのに、

知ってしまったから足がすくんで飛び込めなくなった。

知ってしまったから、やる気が起こらなくなった。

そんなことが誰にもあるはずだ。

だから、自分のテリトリーで知らなくてはいけない知識は、

どんどん知見を高めればいい。

だが、特に範疇外の分野では知るべきことと、

そうでないことを分けてもいいと思う。

知り過ぎたために、不幸になることもある。

人間には、許容範囲というテリトリーがあるのだ。

 

 

 

 

 

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持病力

(今日のコトバ)

 

 

 

 

オトナは、不健康を1つ持って健康優良児になる。

 

 

 

年をとるにつれ、健康であることがありがたくなる。

年をとるにつれ、どこにも異状がないという状態がなくなる。

持病のひとつやふたつ持って生きることになる。

さらに、不摂生がたたり、満身創痍で生きる人もいる。

では、この100%健康でない状態でどのように生きればいいのだろうか。

一番健康を保っていけるのは、

ひとつ持病を持つこと。その持病を悪化させないように生きることが、

健康を管理するきっかけになる。

「これ以上飲んではいけない」

「早く眠らなければ体調が悪くなる」

「ちゃんと3食摂る」等、基本的なことから自分の生活を改善し始める。

すべてどこも持病がないに越したことはない。

だが、自分の体をケアしようと思ったら、

ひとつ持病があるほうが真剣に健康を管理する。

この持病の力を使うのだ。

どこかにある悪いところを悪くしないために、

節度ある暮らしをする。

それが健康的な生き方なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「今」は自分の存在証明

(今日のコトバ)

 

 

 

「過去」に目を奪われていると、

「現在」に後頭部を狙われる。

 

 

 

 

昨日の思い出は美しい。

楽しかった昨日は、より楽しく。

辛かった昨日も、笑い話に。

振り返って過去に浸ることは、

簡単にラクになれるひとつの方法だ。

だが、あまりに長く過去の思い出に浸っていると、

「今」というリアルに襲われてしまう。

今、解決しなければならない問題。

今、やらなければならない問題。

今、出発しなければならない問題。

今やらねばならないことは、今やらねば機を逸する。

振り向いてニヤニヤしている間に、

今は高速で過ぎていく。

だから、生きている「今」という時間を大切にしよう。

過去で心を癒すのはほどほどにして、

「今」をしっかり捉える。

そこに、充実した生活が生まれる。命が躍動する。

「今」は、自分の存在を証明する時間なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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泥だらけで勝つ

(今日のコトバ)

 

 

 

死球で一塁に出て、盗塁で二塁を奪い、

落球で三塁へ進み、暴投で本塁を踏む。

そんな人生だってあるさ。

 

 

 

 

まっすぐ生きたいけど、まっすぐ生きられない。

障害物があり、落とし穴があり、

蜃気楼ありの不測の事態に直面する。

その時、どんな対応をして生きていくか。

想定外の出来事に不安になり、

動けなくなってしまうか。

バラエティに富んだ出来事とポジティブに受け入れるか。

その差が人生を決めていく。

死球で一塁に出ても、進塁は進塁。

相手の目を盗んで一足先に塁を奪っても、進塁は進塁。

相手がミスをして次の塁を奪っても、進塁は進塁。

相手があきらめて勝利の本塁を踏んでも、進塁は進塁。

綺麗ではない。かっこ良くもない。おしゃれでもない。

そんな勝ち方もある。否、そんな勝ち方がたくさんある。

それが人間の人生なのだ。

 

 

 

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自信喪失を吐き出すな

(今日のコトバ)

 

 

 

 

グチは、自信喪失を吐き出している。

 

 

 

グチは、どういう時に吐くのだろう。

弱った時か、怒った時か、悲しい時か、、、、。

全部正しいようで、全部正しくないような気がする。

一番近いのは、自信を喪失した時に出る弱音ではないだろうか。

自分の人生がうまくいっている時に、

グチを吐く場面はほとんどない。

他人の状況を見ていても、

イケイケの状況でグチを吐く人間を見たことがない。

つまり、グチと自信は密接な関係にあって、

自信を失えば失うほど、

グチが大量放出される。

ということは、グチが出たら自信を失ってると

自分で察知することができるのだ。

少々のグチは聞いてもらえても、

グチばかりの人間は煙たがられるから、

グチを止める必要がある。

その時、グチの源である自信喪失は何かを考えよう。

きっと、根本を解決し自信を取り戻せば、

グチは止まる。まわりの人間を不快にせずにすむ。

社会を渡っていく上でのコミュニケーションとして

グチを吐かないことも大切なことだ。

 

 

 

 

 

 

 

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全部

(今日のコトバ)

 

 

 

一部になるな。全部になれ。

 

 

 

何事も成就しようと思ったら、

一部でコソコソやるだけでは結果は出ない。

全部を制覇するぐらいの勢いがなければならない。

コツコツ頑張ったり、細部にこだわったりすることは大切だが、

途中で終わってはいけない。

最後の最後まで、完成まで、続けなければならない。

生きることは、始まりと終わりの連続である。

どうせ始めるのなら、結果が出るまで挑戦しよう。

頑張って自分の願いが叶う人生の方が楽しいじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ヒトアレルギーは笑顔で対処

(今日のコトバ)

 

 

 

ヒトアレルギーは、温熱療法で治そう。

 

 

 

大嫌いな人がいる。嫌いな人がいる。

好きになれない人がいる。苦手な人がいる。

抵抗したくなる人がいる、、、、、、。

心のアレルギーで付き合えなくなることは、

人生の場面でたくさんある。

アレルギーがあるからといって、

付き合わなくてすむならそれでもいい。

だが、どうしてもその人を避けて通れない場合は、

どうすればいいのだろう。

それは、一もニもなく、積極的にコミュニケーションをとることだ。

最初は面倒くさいと思うが、

自ら近づいて話しかける。

アレルギーがあるのだから、

ニコニコ笑いながらというわけにはいかないが、

コミュニケーションは少しずつ円滑になる。

アレルギーの大半は食わず嫌い。

話してもいないのに、日頃の言動が気に喰わなくて遠ざかっている。

こんな人は話してみると意外とこだわりが強いだけで、

普通に付き合える場合もある。

何か同じ苦労をすることで、距離感が縮まることもある。

助けてあげると急に味方になったりする人もいる。

もちろん、煮ても焼いても喰えない人もいる。

その人には時間を使う。

何度でも扉を叩いて笑顔のあいさつをする。

その人が根負けするまで笑顔を続ける。

最後は、心の扉も開かれる。

人間は、孤独ばかりでは生きられない。

できれば、笑って付き合いたいと思っている生き物。

とにかく、笑顔で扉を叩き続けよう。

そこから、扉も開いて人間関係が生まれるのだ。

 

 

 

 

 

 

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キッカケをあげる

(今日のコトバ)

 

 

 

優しさとは、冷めた心の温度を上げてあげること。

 

 

 

ベッタリとくっついてあげることではなく、

過保護にして何でも手を差し伸べることでもなく、

ほんとうの優しさは、相手の心の温度を少しでいいから

上げてあげること。

アドバイスをして自ら元気になるよう支えてあげることなのだ。

行動で、言葉で、陰になり、日向になり、

もう少し頑張るためのキッカケだったり、

立ち直るためのキッカケをつくってあげる。

そこまででいい。それ以上過剰に人生に入り込むと、

依存が始まる。依存は限界を知らない。

もっと、もっと、もっとと要求して、

優しさの範疇を越えてしまう。

さらに言えば、要求に応えないと、

憎しみや恨みの対象になってしまうこともある。

だから、優しさはキッカケづくりでいい。

それが、ほんとうの優しさ。

ほんとうの人間関係なのだ。

 

 

 

 

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