命は情熱に温められて

(今日のコトバ)

 

命は、たえず情熱で温めないと

生きていけない。

 

 

 

ゆっくり時間だけが流れていく。

ぼーっとしながら昨日と同じような今日がはじまる。

生きているのか、死んでいるのか、

境界線もわからない。

それも生き方かもしれない。

ただ、その生き方は長くは続かない。

生活というどうしょうもない時間がやってきて、

働いたり、学んだり、社会と接点をもたないと、

自由には生きていけない。

人間には命があり、何もしないと命は存続しないのだ。

ならば、この世界に誕生した喜びを

情熱に変えていきいき生きよう。

素晴らしい人生にするために、

かけがえのない人生にするために、

命に情熱が燃えていることを伝達しよう。

命は、情熱に温められて生きているのだから。

必ず誰かを

(今日のコトバ)

 

どんなちっぽけな存在でも、

誰かの支えになっている。

 

 

 

人は、人に支えられて生きている。

時々忘れてしまうけど、意識はしているはずだ。

反対に、自分が誰かの支えになっているかというと

自覚しないで生きていることが多いかもしれない。

ただ、考えてみてほしい。あなたがいなくなると困る人のことを。

あなたがいなくなると悲しむ人のことを。

人数に大小の差さえあれ、必ず誰かはいるはずだ。

孤独死などと新聞の紙面を飾ることもあるが、

死んだ人が誰かか知れば、必ず悲しむ人がいる。

どんなに敵が多くて嫌な人間でも、

その家族は、その人間を支えにしている。

生まれたての赤ん坊だって、

そのかわいい笑顔で親たちの心の支えになっている。

人間は、必ず誰かを支えて社会をつくっているのだ。

だから、自分の存在に自信をもとう。自分の存在に誇りをもとう。

過信は困る時もあるが、常に自分が誰かを支えているんだと

意識していけば、自分の生きる道もしっかり見えてくるはずだ。

おもしろい21世紀のために

(今日のコトバ)

 

ドンキホーテになっても、

想像はあきらめない。

 

 

 

考え発想することをやめてはいけない。

自分がやめた瞬間に自分が退化し、

日本人がやめた瞬間に日本が破滅し、

人類がやめた瞬間に地球が滅亡する。

想像力があったからこそ、

人類がこれだけ進化したのだ。

けれど、デジタルの時代になって

スピードが速まれば速まるほど、

新しい発想が失われようとしている。

現代の音楽なんて、

同じリズムの中に言葉をのせるだけの

ものがどんどん精密機械のように生産される。

ほんとうに表現したいものがあるなら、

まだ聞いたことのない音楽への挑戦があってしかるべきだ。

1970年代頃まではミュージシャン個々が強烈な個性をもち、

他のミュージシャンが真似できない音楽をつくっていた。

デジタルが進化し簡単に音楽がつくれるようになると、

オリジナリティは加速度的に失われていった。

文学だって、言葉を追いかけるうちに衝撃をうけ、

立ち上がれないほど感動をうれる作品にめぐりあえない。

日本だけでも三島由紀夫、安部公房、筒井康隆、寺山修司の

ような文才に肩を並べる作家は出現していないと思う。

海外だって同じことだと思う。

ただ、媒体が変わってマンガとなると、

ここまで凄いのか!と感動させらる作品が、

21世紀になっても発表されている。

手塚治だけではない才能があふれている。

だから、どんな世界でもいい。

ドンキホーテといわれるぐらいはみ出して、

自分の発想を発表しよう。

ドンキホーテがたくさんいる社会だったら、

おもしろいじゃないか。

すこし騒がしいかもしれないが、

日々刺激があってわくわくするじゃないか。

人間よ、もっともっと想像しよう。

そして、もっともっとおもしろい21世紀にしよう。

 

「コトバザウルス」は本日、満一周年を迎えました。

読んでいただいた皆様、ありがとうございます。

これからも、どんどん遊びに来てください。

人をほめる大切さ

(今日のコトバ)

 

人をほめてあげよう。

自分をほめるのは後でいい。

 

 

 

人をほめるには、能力がいる。

口先だけで、いいことをいっても相手には届かない。

よいしょするために、言葉を並べててもかっこ悪い。

ほんとうにほめてあげる相手のいいところを見つけて、

評価してあげることが大切だ。

自分でも気づかないところをほめられると、

心の底から喜べる。

新しい自分の能力に自身をもてる。

新鮮で、いい気持ちになれる。

まわりにる人にも、この気持ちを満喫させてあげよう。

いい気持ちをもらった人は、いい気持ちをくれた人に

悪い感情をもたない。

むしろ、気持ちと気持ちで結びつき友好が深まるはずだ。

自分をほめるより、よっぽど様々ものを得られると思う。

もっといえば、人をほめることで、自分をほめることと

限りなく近い状態になるといえる。

だからこそ、ちゃんとまわりの人を見て、

正しくほめてあげよう。

眼の仕業

(今日のコトバ)

 

人間を変えてしまうのは、

人間の眼だ。

 

 

 

自信をもつのは大切なことだ。

自ら実力を身につけプライドをもつ。

生きるための支柱にする。

当然のことだ。

ただ、もう一方に外的要因として、

人間の眼があると思う。

自己の力を発揮し注目を浴びる。

その視線を受けて自分からオーラを出す。

最初に実力ありきだが、顔がいいだけでも

脚光を浴びオーラを放つ人間もいる。

他人からの眼の力で、

自分の中にある何かを発しているのだ。

反対に蔑視の視線にさらされ、

人の輪から疎外されると、

自信を失った気持ちからみすぼらしくなり、

弱々しく、おどおどした人格にみられる。

これもまた、他人の眼の仕業である。

とすれば、この眼を利用しない手はない。

自分の自信に、他人の眼の力をプラスし、

人間の中から発する力を大きく燃え上がらせよう。

人間は、そのオーラに引きつけられる。

人間は、そのオーラを尊敬する。

そのオーラを激しく、大きく発した者が、

夢を叶えやすいポジションにつき、

時代を築いてしまうのだ。

 

堀江貴文が94日ぶりに保釈された。

彼は人間の「眼」でどう変わったのだろうか。

そして、どう変わるのだろうか。

正しく走る

(今日のコトバ)

 

到達点は、自分の視線の先におけ。

 

 

 

 

たどり着くべき目的は、自分の実力の延長線上に

あるべきだと思う。誰もがわかっているようでいて、

行動がともなっていない人が結構存在する。

右を向いたり、左を向いたり、

もっての他の後ろを向いたり。

まだまだ目的を決めきれずに模索している間なら、

キョロキョロよそ見や振り向くこともいいだろう。

ただ、目的を決めたあと行動がブレると、

到達までのスピードが遅くなる。

あらゆるものがスピードの中で決済される現在、

スピードが遅いのが致命的になる場合がある。

そのスピードを遅らせないためにも、

まっすぐに目的に向かって走る意志をもとう。

猪突猛進にならなくても、

確固たる意志をもてばブレず走れる。

ブレずに走れれば最善の道も見つけだせる。

人間は、目的と意志をもてば正しく走れるのだ。

信じることから自己改革

(今日のコトバ)

 

今日がどんなにつらくても、

明日になれば新品になれる。

 

 

 

 

寝て起きれば、いろいろなことが忘れられる。

今日のつらさも、明日が解決してくれる。

などと、簡単に割りきれないが、

まず、日が変わると同時に、

すべてがリセットできると信じこむ。

この信じこむことが肝心で、

繰り返し信じことで、

リセットはほんとうに可能になるものだ。

もっといえば、忘れようと努力することで

忘れることもできてしまう。

大切なのは、自分自身で信じこむこと。

やれると信じこむこと。

そこから、あらゆる自己改革がはじまるのだ。

更生させるために愛情を

(今日のコトバ)

 

痛い目にあった。

更生する絶好のチャンスだ。

 

 

 

小学の教師になった友人がいった。

「子供たちに手をあげるのは、まかりならぬ。

どんなことがあっても殴ってはならない。

懲戒免職の対象なのだ」と。

文明が発達することによって、

日本が先進国の上位にランキングされるようになって、

人が人を怒る姿を見なくなった。

人が痛い目にあう機械が少なくなったといっていい。

ひとつの考え方として、とてもいいことだと思う。

暴力が横行したら、暴力の強い者だけが、

のさばる社会になってしまう。

ただ、子供を叱る時は、ある程度の制裁はいけないのだろうか。

昔は、親も先生も先輩も殴ったものだ。

当然、理不尽で納得いかないこともあった。

愛情が必ずあったとはいわない。

でも、その痛い目にあったことで、人間としての

大切なものも教わった気がする。

やってはいけないこと、守らなければいけないこと、

常識として覚えなくてはいけないこと、、、、、、、。

叱られたり、殴られたりしながら覚えたものがたくさんある。

つまり、道を間違えそうになると、大人たちが教えてくれていた。

いま、子供を叱ると、子供にトラウマが残るという。

子供が引きこもるという。子供の未来に傷がつくという。

たしかに、殺すまでキレる親や加減しらずに殴りつづける大人は

言語道断だ。ただ、道を踏みはずしている人間を

更生するために愛情をもった指導は必要だし、

痛い目にあわせることも必要なのではないか。

あまりにもマスコミに、悪い例ばかりが出過ぎ、

人が人を教育する中にある「痛い目」という部分を

とりのぞき過ぎてしまったのではないか。

ゆとり教育が定着し、怒ることも御法度で生きてきた

子供たちが、社会へ出て荒波にのみこまれた時、

ちゃんと生きていけるだろうか。

子供の時に「痛い目」にあったことで、

強くなって生きていけることがたくさんある。

制裁ばかりがすべてではないが、

もう一度、大人たちは子供たちの生きるために何が必要か、

真剣に考える時がきていると思う。

疎通のための言葉

(今日のコトバ)

 

喰えないやつは、よく噛んで喰え。

 

 

 

嫌いだからといって、避けて通るばかりではいけない。

お互い心を開いて、意志を疎通させなければならない。

特に、嫌いなだけでなく、喰えない人間だと、

疎通させるものが難しくなる。

それは、わかっている。わかっていてあえていうと、

まず、言葉を交わすことからコミュニケーションをはじめよう。

基本中の基本のように思えるが、

嫌いな人間、喰えない人間、合わない人間、

意志を疎通できない人間のすべてに対して、

コミュニケーションが不足している。

その時、言葉を交わす会話もほとんど無いといっていい。

「話みると、あいついいやつだよ」などと、

よく巷で聞くように、心を開くとまったく意志が通じない人間は少ない。

だから、とりあえず心を開いて、こちらから言葉を投げかけよう。

それだけで、かなりの嫌いな人間は、普通の人間になり、

場合によっては、好きな人間になっていく。

個人的な経験でいえば、第一印象最悪で顔を見るのすら嫌だった人間と、

長い付き合いをしている。親友とよべる人間は、ほとんど

まともな友人関係になるまで時間がかかっている。

反対に、最初から調子を合わせて近づいてくる人間の方が危ない。

あまりに愛想のいいのは、計算づくで近づいてくることが多いからだ。

とにかく、嫌いな人間とも言葉を交わそう。

その一歩から、かけがえのない人間が生まれるかもしれない。

そして、人間関係がしっかりできている仲間が多ければ、

人生はもっともっと豊かになるのだから。

新鮮な一日のために

(今日のコトバ)

 

心の窓を開けて、空気の入れ替えをしよう。

 

 

 

気候が良くなったから、

窓を開けて空気を入れ替えるように、

自分の心の窓も大きく開いて、新鮮な空気を入れたいものだ。

ただの窓とは違い簡単に開け閉めはできないが、

心を解放できる場所、気持ちよい時間を過ごせる場所を

日々の暮らしの中でつくることだ。

忙しい毎日が続くと、ついついこの場所を忘れがちに

なってしまうが、この場所の時間をもたないと

心の中が錆びついてしまう。

すこしの錆びつきなら、簡単なリフレッシュ法で

元に戻るが、完全に錆びついてしまうと、

心もポキッと折れてしまう。

一度、心が折れてしまうと、元に戻すのは至難の技だ。

だから、自分を解放できる時間をもとう。

この時間をもてば、ほぼ心を錆びつかせずに生きられる。

いきいきした気持ちをもって、新鮮に生きられる。

錆びている一日と、新鮮な一日、

どちらが暮らしやすいかわかると思う。

ぜひ、心の窓を開けて、新鮮な一日を。