力を借りて復活

(今日のコトバ)

 

立ち上がるために、

人の手を借りたっていいじゃないか。

 

 

転んだり、倒れたり、傷ついたり。

生きていれば挫折なんてナンボでもある。

小石につまずく時もあれば、不意に殴られることもある。

もう立ち上がることをあきらめて、

人生が躍動しなくなった人もいる。

でも、いま生きている人は、みな立ち上がってきたんだ。

もし、いま転んでいる人がいて立ち上がることが苦しかったら、

ひとりで立ち上がることばかり考えないで、

誰かのサポートをうけて立ち上がることを考えてもいいのだ。

孤独だと立ち向かえないが、仲間がいれば立ち向かえる。

生きるために人の力は、壮大な力をもつのだ。

意地をはらず、壁をつくらず、

苦しい時は、人の力を借りて復活するのだ。

才能の証明

(今日のコトバ)

 

止まらないで歩いていくことを、

才能という。

 

 

才能って何だろう、とよく考える時がある。

持って生まれて人より秀でている、特出した技術をもっている、

物事を簡単に習得できる、光輝くセンスがある、、、、。

どれも当っていると思う。

ただ、ほんとうの意味で才能とよべるのは、

何年でも、何十年でも、ペースを変えずに

ひとつのものを続けていける力ではないかと思う。

例えば、持って生まれたものも、磨かなければ光を失う。

特出した技術も、研鑽しなければ使えない技術になる。

物事を簡単に習得できてもやる気がなければ、人前で誇れない。

光輝くセンスも、賞味期限が切れてただの石になることもある。

だが、自分の負担と思わずに継続できるものは、

圧倒的に凄い。年月がたてば、さらに輝きを増す。

才能が自分自身の武器になる。

止まらないことは、どんな理由より才能の証明なのだ。

希望の成果

(今日のコトバ)

 

希望は、もっとも短期間で発明できる快適です。

 

 

希望をもっている時って、

つねにポジティブであり、つねにハッピーになれる。

何かを成し遂げようとする気持ちに火がつくことは、

自分自身が明るくなれる。

もっといえば、簡単に心地よい時間が生まれるのだ。

ならば、この希望をもつという魔法を使わない手はない。

小さくても、大きくても希望を数多く持つことが、

毎日生きる上で高いモチベーションの起爆剤になる。

つくってみよう、希望を。

失っても、またつくろう、希望を。

明日がくることがワクワクしたら、

それは、希望の成果なのだ。

人は光を放つ

(今日のコトバ)

 

 

そこにいるあなたが、ランドマークになろう。

 

 

ものごとの中心になって行動する人は、

自然に輝きを放ち目を見張る何かがある。

目には見えないのに、華があったり、オーラがあったり、

注目をさせる何かがある。

もちろん、生まれもって華がある人もいる。

ただ、ほんとうの意味で注目される人は、

ものごとの中心でアクションを起こしている人だ。

同じ人生なら、このアクションで、行動力で、

人生の輝きを放とう。

もし、輝きをまわりの人から確認されたら、

あなたはものごとの中心にいてハンドリングをしている。

ものごとを楽しんでいる。

人は、光を放てる生き物なのだ。

支えて、支えられて

(今日のコトバ)

 

人は、誰かを支えていることを

忘れてしまって悲しんでいる。

 

 

どんなに孤独だと思っていても、

人は誰かに支えられて生きている。

よく自分のまわりを考えてみると、

支えてくれる人がいることに気づくと思う。

そして、その支えられていることと同じように、

僕らはまわりの人を支えていることを忘れてはならない。

時々、挫折したり、自暴自棄になると、

誰も自分のことをわかってくれないと心で嘆いてしまう。

自ら寂しさを装い、孤立していくと、

さらに悲しい気持ちになってしまう。

だが、自分がどれだけ人のために動いてきたか。

自分がどれだけ人のことを思ってきただろうか。

なにも恩にきせることはないけれど、

自分が辛い時、自分が悲しい時は、

まわりにいる信頼できる人に愚痴をいってもいい。

親友とよべる人の前なら大声で泣いてもいいと思う。

そのために、人は人との関係の中で生活しているのだ。

忘れてはいけない。人は人を支えて生きている。

時に人に支えられて。時に人を支えて。

それだけで、ちょっと気楽に生きていけるはずだ。

無欲の勝利になる

(今日のコトバ)

 

欲しいものに、無欲になれ。

 

栄光をつかむために。勝利をつかむために。

夢をつかむために。希望をつかむために。

人は、欲しいものをつかむために欲望をギラつかせる。

ただ、その欲望がギラギラしすぎて

他人から見ると醜くうつる時がある。

欲望のあまり策を選ばず、悪事でも、インチキでも手を染める時や、

まわりの人を踏み台にして、自分だけ欲しいものをもぎとろうとする時だ。

前者は、一瞬勝ち組になったりもするが、結局、自分の過去に

足を引っ張られ、到達点につく前に自滅してしまう。

後者は、やはり力づくで他人をつぶしていると、はじめの段階では

到達点に近道したように感じられるが、結局、踏みつけた分は、

利子をつけて返ってきて、本当の意味で栄光や夢をつかむまでは至らない。

では、どうやって欲望を成就させればいいか。

それは、自分の欲に誠実になることではないだろうか。

よく、「無欲の勝利です」などとスポーツ中継されたりするが、

まさに、ほんとうに欲望を達成する時は、無欲でただひたすら

がんばっている時に起こるような気がする。

もちろん、目標に向かっての方法論は必要だ。

そこで、自分なりの方法をたて、悪事や他人を踏みつけることを考えるのではなく、

自分を切磋琢磨して、自分の中でたゆまぬ努力をしていく。

それだけでいい。それ以外の他人をつぶしながら手に入れた欲望は

必ず顔にでる。そして、必ず人生にでる。

ほら、あなたのまわりにも、もう顔に出ている人がいるでしょう。

身近な人の言葉

(今日のコトバ)

 

ほんとうの師は、いつもすぐそばにいる。

 

占いの先生、大企業の社長、成功した有名人、、、、、。

自分とは遠くの世界で生きている人を尊敬したり、奉ったりするけれど。

遠くにいる人は、最大公約数の解決法を話しているだけで、

けしてあなたのために言葉を伝えてくれるのではない。

自分の価値観を声だかに講演したり、お金のために適当なことを予言してくれる。

ただ、他人の芝生ではないけれど、遠くの人の声の方が

実はよく耳に届いているだけなのだ。

年をとってくればくるほど、大先生の凄い言葉を

もう子供のころ、親にいわれた、親友にいわれた、先輩にいわれたと気づく。

そう、ほんとうは身近にいる人が、いい言葉、警鐘、行方を暗示する伝言の

すべてを自分の耳元で伝えてくれているのだ。

嘘だと思うなら、今日から自分の身近な人の言葉を

注意深く聞いてみよう。

思わぬ人がいいことを話してくれている。

思わぬ人があなたのことを考えてくれている。

外へ一歩

(今日のコトバ)

 

街に出るから、

人生はエンターテインメントになるのだ。

 

 

家にいても情報は得られる。

ゴロゴロしても一日は暮れていく。

自分に鍵をしめてしまえば、プレッシャーもうけない。

人間には、個人の生き方の自由がある。

ただ、体から感じる愉しみは、

外に出て、街を歩いて、好きなものを見つける行為を

忘れていてははじまらない。

自由とか、快楽とか、幸福とかを満喫するためには、

街に出ていった方が圧倒的味わえる。

あらゆるエンターティンメントは、

街に落ちているのだ。

もし、外に出ることが億劫になったり、

人生がつまらなくなったら、

外へ、街へ、とりあえず出てみよう。

人はめんどうくさがり屋なので、

一歩が踏み出せなくて、

愉しくない日々をおくっていることもあるのだから。

未来の扉を開ける瞬間

(今日のコトバ)

 

さよならは、

未来に向かうためのピリオドです。

 

 

別れは、人にとって寂しい記憶だ。

ひとつの出会いが終り、喪失感が込み上げてくる。

しかし、その別れあるからこそ、想い出に終止符を打ち、

新しい扉を開くことができる。

別れは、分かれでもあるのだ。

この別れから、また、新しい歴史がはじまる。

また、新しい自分に出会えるかもしれない。

想い出は、美しくしまっておけばいい。

大切な記憶は、心の隅に飾っておけばいい。

ただ、さよならを告げた瞬間から、

もう新しい歴史がスタートしていることを忘れてはいけない。

別れは、未来の扉を開ける瞬間でもあるのだから。

次に活かせばいい

(今日のコトバ)

 

点数で泣いても、経験が笑っている。

 

 

 

人生のさまざまな場面で、

「あと1点に泣く」ことがあったはずた。

数字の話ではなく、もう少しで負けてしまった時のことだ。

限界に挑戦して、猛然と戦って、死ぬほど努力して。

結果的には、負けてしまった、、、、、、。

ただ、この負けを結果だけとらえて、

ネガティブになる必要ない。

人生のターニングポイントになる場面で負けてしまえば、

すべてが終ってしまったような気になることもわかる。

だが、負けはしたものの、そこまでかんばったことは、

確実に身についているはずだ。

負けた瞬間に失ってしまうものでは絶対にない。

財産ともいうべきその経験を、

次に活かせばいいのだ。

積み重ねた修練は、体が忘れない。

その忘れないものを、新しいテーマに注ぎ込めばいいのだ。

人は、「あと1点に泣く」ことで進歩しているのだ。