人生は積み上げていくもの

 

(今日のコトバ)

 

「これまで」を大切にした人に、

「これから」が大切にしてくれる。

 

 

 

人生は、積み重ねの部分が大きい。

準備もなく、突然何かが成就したり、

何もしなくて幸運が紛れ込むことは

ほぼない。

仮にあったとしても、

幸運のようなものは、

一瞬で過ぎていき、

人生に根ずくことはない。

反対、何事も長きにわたって

積み上げたものは、

人生を裏切ることが

ほぼない。

これまで積み上げたものが、

これからの人生の財産になる。

あたりまえのようだが、

行動として、

この理屈がわからない人が多い。

突然何かできる。

ただ運頼みだけ。

努力を回避する。

長期間のスパンで考えない等々。

積み上げることから、

ほど遠い生き方をする。

それでは希望通りの人生にはならない。

いつも不満をかかえて生きることになる。

だからこそ、誰もがわかっている

「人生は積み上げていくもの」を

心のどこかに張り付けておくべきだ。

人生は一度きり。

上手くいくこと、いかないこと、

どちらもたくさんある。

その中で少しでも、

上手くいくことを増やしたい、

これからの未来を希望通りにしたいと

思うなら、

積み重ねていくことを

忘れてはいけない。

そこに、これからの希望を叶える

財産であり燃料があるのだから。

人はほめられたい生き物

 

(今日のコトバ)

 

誰かが「良くできました」と

いってくれない日は、

自分で「良くできました」と

いってあげよう。

 

 

 

どれだけがんばっても、

誰からもほめられない時もある。

特に、大人になれば、

そんなことは多々ある。

人は、ほめられることを

無上の喜びとする生き物。

「良くやった」

「素晴らしかった」

「最高だ」等々。

誰かにほめてもらいたい。

誰かにほめてもらって、

一日を終わりたい。

ただ、誰もほめてくれない、

見えづらいがんばりもある。

自分以外はわからないというのは

いい過ぎだが、

その行動を見ている

まわりの人もほめてくれない。

そんな時は、

自分で自分を

思いっきりほめてあげよう。

ご褒美を自分で与えてもいい。

散財してもいいじゃないか。

気持ちがいいこともいいじゃないか。

自分で自分をほめることが大切。

そのことで、自分の人生か

良い方向に行っていることを確認する。

人生にとって必要なことだ。

転んだ後に、足りないものを知る

 

(今日のコトバ)

 

転ぶ。倒れる。傷つく。

だから気づくのだ、

足りないものが何であるかを。

 

 

 

失敗した記憶があるから、

大切なことに気づく。

後悔もするし、反省もする。

いろいろな気持ちがあふれる。

つらい気持ち。

うまくいかないジレンマ。

どうしようもない劣等感。

そこで考える。

つらさを乗り越える方法。

うまくいくためのメソッド。

どうにかしようとするモチベーション。

失敗して

痛い目にあった記憶があるから、

どうすれば失敗しないかを考える。

そうして、人は成長していく。

今日の夜中、サッカー日本代表は、

ワールドカップで予選突破の大一番がかかる。

ここまで、日本代表は、

転び、倒れ、傷つきながら、

立ち上がってきた。

勝つために足りない何かに

気づいたように思う。

人として、チームとしての成長を見せ、

最高の結果を出して欲しい。

そして、厳しい人生の乗り越え方の

お手本を見せて欲しいと思う。

 

 

 

外面も自分

 

(今日のコトバ)

 

外出着を着た建て前の自分、

裸のままの本音の自分、

どちらも自分の姿であることを

忘れてはいけない。

 

 

 

他人は、人間のことを外面で評価する。

親友や恋人などの特別な関係の人は、

素顔を知って付き合ってくれるかもしれない。

だが、会社の付き合い、学校の付き合い、

取引先の付き合いなどの、

公で付き合う人は、

外面しか知らない。

内面がいい人であることなんて

関係ない。

外面でその人間は評価される。

と考えると、

外面も自分なのだ。

オンとオフとか、

公と私とか、

裏と表とか、

人の顔も様々だ。

その顔がどちらも自分として

評価される。

そのことを忘れてはいけない。

 

 

意地は孤独でできている

 

(今日のコトバ)

 

そんなに意地をはらなくていい。

意地の半分は孤独でできているのだから。

 

 

 

人生のさまざま場面で、

人は意地をはる。

特に、意見が合わない場合に

意地をはるのだが、

その意地をはる時の

深さにはいろいろある。

ちょっとした

気持ちの行き違いもあれば、

本気で相手が嫌いになって

意地をはる場合もある。

日々の暮らしのなかで、

ささいなことで意地をはる場合は、

すぐに解決できるかもしれない。

ただ、本気で意地をはると、

取り返しのつかないことに

なることもある。

さらに、意地の原因を探ると、

自分の孤独にいきつく。

意地をはったから孤独なのか。

孤独だから意地をはったのか。

どちらが先かわかない。

ただ、意地の多くは

孤独で占められている。

そう思うと、意地を張り過ぎると、

気持ちは孤独でいっぱいになる。

わざわざ

自ら孤独になることもないと思うなら、

意地を無理してはらなくていい。

人生、孤独の時間を

無理につくることはないのだ。

他力が魅力を感じる自力になる

 

(今日のコトバ)

 

他力だって、自力を持った者に味方する。

 

 

 

人の力を借りたい時がある。

大きな目標であれば、

どうしても一人では達成できない。

自分以外の力を借りて、

なんとか目標に近づきたい。

その時、人は力を貸してくれるか。

いろいろな人がいるから、

多少、力を貸してくれる人もいるだろう。

だが、最大限の力、求めている力を

他人から貸してもらおうとしたら、

自分自身にもそれ相応の力が

なければならない。

力は、力を知る。

いい意味でも、ワルい意味でも、

力ある力は、力ある力を求める。

他力だって、

自力のある人につながりたがる。

そう考えると、

大きな目標達成のために

優れた他力のサポートを仰ぎたいなら、

自分の自力も強化する。

他力が魅力を感じる自力になる。

そのことが一番大切なのだ。

能力を磨いて人生を有意義にする

 

(今日のコトバ)

 

誰にも似ていない

自分という才能に生んでもらったのに、

磨かなければ、

その他一般という無名に変えられてしまう。

 

 

 

何か才能を持っていると、

付き合いのあった人すべてに感じる。

身体能力に優れた人。

学習能力に優れた人。

芸術能力に恵まれた人

人格が素晴らしい人、、、、、。

人には、何か優れたものがある。

だが、その優れたものを放置して、

自分の力にできない人もたくさんいる。

せっかく、一生一度の人生だ。

自分の得意な能力で生きるべき。

そのためには、得意なだけでなく、

しっかり磨いて、

万人が認める力にすることが大切だ。

もし、磨かないと

「得意な能力を使わないで、もったいない」

ですまされてしまう。

人生は、自分の生きたいように

生きられることほど

素晴らしいものはない。

そのためには、得意な能力を磨いて

その力で生きる。

人生を有意義にするためには

大切なことだ。

いい訳も利用する

 

(今日のコトバ)

 

夢は、

いい訳する者に耳を貸すほど

お人好しじゃない。

 

 

 

自分に負い目があると、

何事もいい訳をはじめるのが

人間だ。

基本的に人間は弱い生き物だから、

いい訳をするのもわかる。

自分を振り返ってみても、

人生がしんどい時、

いい訳することが多い。

だから、

絶対いい訳がいけない等といえない。

だが、大きな目標をもった時、

いい訳をするようだと、

達成するための妨害行為になってしまう。

ただでさえ困難であろう道程に、

もう一つ障害物をつくるようなもの。

前進しづらくなることこの上ない。

反対に考えれば、

いい訳が出た時、

目標への過程を

うまく消化していないという

アラートだと思えばいい。

いい訳をするたびに、

軌道を確認する。

いい訳をチェックポイントにする。

そう考えれば、

いい訳も目標達成への障害物から

道標に変わる。

いい訳も利用価値が生まれて、

目標達成へ役立てることもできる。

いい訳も人生のために役立てよう。

 

 

そこまでではない自分

 

(今日のコトバ)

 

そこまででいいと決めてしまった人を、

そこまでの人という。

 

 

 

「あいつは、そこまでのヤツだ」と

いわれる人がいる。

力不足の意味もあるし、

やる気が持続しないという

意味もあるだろう。

もう一歩踏み込んで考えると、

「もう少しがんばればいいのに」

「そこまででいいなんて一線を引くなよ」と

思われている言葉のような気がする。

そこまでの人=

ここまでいいと

自分の人生を線引きした人でもある。

そう思うと、

そこまでの人と思われることは、

少しもったいない気がする。

たった気持ちが引いた一線で、

成長することをあきらめてしまう。

自分の可能性をあきらめてしまう。

自分の人生の扉を

閉めてしまうといってもいい。

だから、そこまででいいという

簡単な言葉で自分を縛るのはやめよう。

そこを越えれば、

もっと違う自分に出会える。

もっと成長した自分に出会える。

そこまでではない自分が生まれるのだ。

気にしないライン

 

(今日のコトバ)

 

気づくことは大切だが、

気にしないことは、

それと同じぐらい大切。

 

 

気を使い過ぎて、

しんどそうだなと思う人がいる。

よくいえば気配りが徹底している人だが、

ワルくいえば神経質過ぎる人。

必要な時だけ気を配って、

そうでない時は

気をつかわないことができれば、

気疲れすることもないだろう。

ただ、気配りができる人に限って、

いつも満遍なく気を使う。

では、どう気を配り過ぎるのを解決するか。

一つはオンとオフの切り替え。

公の場とプライベートの場は分ける。

リラックスする時間をつくる。

もうひとつは、

あえて気にしないことを意識する。

自分の中で線引きして、

ここからは気にしないというラインをつくる。

人生は複雑に絡み合っているから、

簡単に整理できるとは限らない。

だが、気配り過ぎることが

自分を苦しめるなら、

気にしないラインを決める。

そして、そのラインを意識する。

それだけで、

少しだけ楽になる生き方ができるはずだ。