愛情の加減

 

(今日のコトバ)

 

愛情は押しつけるものではない。

振り向いた時に、

無条件でそばにいてくれるものだ。

 

 

 

愛情。

その加減が難しい。

愛しているから、

優しくするのはわかる。

この優しさもどこまでが優しさなのか。

しつこくかまったり、

必要以上に注目したり、

みさかえなくスキンシップをしたり、、、。

愛情という優しさを具体的に現わすと、

かなり押しつけがましいことになる。

わかりやすく愛情を

理解してもらうには、

目に見えた方がいいかもしれないが、

少し引いてみると、

かなり押しつけがましいし、

場合によっては見苦しい。

ほんとうは、愛があって、

愛情があるなら、

押しつけたり、

披露することなどしなくてもいい。

ただ、そばにいてあげるだけでいい。

そして、何か相手に問題が起こった時、

そっと手を伸ばしてあげればいい。

愛情とは、決して相手に押しつけて、

相手を遠ざけるものではない。

ほどぼとの加減が大切なのだ。

 

夢に近づく人生

 

(今日のコトバ)

 

あのころ見上げた星より、

いまここで見た星の方が近くに見えたら、

これまでの人生はいい方へ動いているのだ。

 

 

 

 

夢を見た。

あのころ、

こんなことを実現したいという夢を見た。

その夢に、いま近づいているか。

遠ざかっているか。

もし、近づいている、

あるいは実現したなら、

それほどワルい人生ではない

のではないか。

そう思うのだ。

人生は、

夢という目標に前進している時が、

いちばん躍動する。

そう考えると、

夢を追いかけている時間が

長く続いていて、

さらに、その夢が近づている。

人生、そんな楽しいものはない。

時間のある時、

少しだけ考えてみるといい。

あのころの夢は、

いま自分に近づいているか。

近づいていれば、

人生は楽しい、

そして、

素晴らしいものになっているはずだ。

 

人は行動を好きになる

 

(今日のコトバ)

 

人は思うほどあなたの容姿を見ていない。

人は思うよりあなたの行動を見ている。

 

 

 

 

自意識過剰の人がいる。

否、人は大なり小なり、

自意識過剰かもしれない。

ただ、その自意識過剰の時、

なんとなく自分の顔や体に

注目が集まっていると思っている。

ほんとうにそうだろうか。

よっぽっど個性的でないと、

容姿に注目はしていない

のではないのだろうか。

容姿より、人の行動、

何をするかを

注目しているような気がする。

そして、何をするかで、

人は好きになったり、

嫌いになったりする

のではないだろうか。

もちろん、容姿もあるが、

いちばんは行動が大切。

そうやって生きてみると、

一つ一つの行動が愛しく、

大切になっていくはずだ。

 

長所、得手から考える

 

(今日のコトバ)

 

出来ることは、

出来ないことを出来るようにするための

基礎体力になる。

 

 

 

 

「得手を伸ばす」という。

長所をより磨ていて、

より長所を強いものにする。

また、長所を磨くことによって、

短所を補う。

さらにいうと、長所のいいところを借りて、

出来ない部分にチャレンジする。

やり方はさまざまだが、

長所、得手で、

自分の未開の部分を開拓していく。

実は、それがいちばん効率的。

まったくできないもの、

基礎を何も知らないもの、

不得手なものから、

出来るようになるのは、

長い道程が必要となる。

そこを自分の長所、得手からはじめる。

否、得手と結びつけてはじめる。

それだけで、少し出来ないことが

難しくなくなる。

難しくなくなるということは、

出来ることに近づくこと。

ちょっと進歩したといってもいい。

自信も生まれる。

まずは、長所、得手から考える。

ここからはじめてみよう。

休みも大切

 

(今日のコトバ)

 

骨を折ってあげることも大切だが、

骨を休めることも大切だ。

 

 

 

 

人に気を使いすぎる人がいる。

そこまでやらなくてもと思うが、

しっかりやってくれるため、

期待してまたやってもらう。

まわりにいる人は、

有難くて、ついついお願いしてしまう。

ワルくいうと、

いいように

利用しているのかもしれない。

みんなワルいとは思っていても、

利用できるなら

利用しようと思ってしまう。

その時、守る者は?

それは自分しかいない。

時に、他人でも、

助けてくれる人もいる。

ただ、自分がどれほどしんどいか、

自分がどれほど疲れているかを

理解することはできない。

だからこそ、

気を使いすぎていると思う人は、

思いきって自分が休める環境をつくる。

意識して、環境をつくらないと、

生きることが苦しくなる。

気を使うために、気を休める。

骨を折るために、骨を休める。

いい生き方をするために

大切なことだ。

 

嘘の危険

 

(今日のコトバ)

 

嘘は、最後に敵のジョーカーになってかえってくる。

 

 

 

嘘はバレる。

人生の多くの状況の中で、

嘘はどこかでバレる。

すぐにバレてしまう嘘もあるが、

状況が大きければ大きいほど、

バレるまで時間がかかること多い。

大きな状況となると、

かかわる人も多ければ、

みんなの真剣度も違う。

その中では巧妙な嘘がつくられる。

当然、見破られるまでに時間がかかる。

だが、嘘が見破られる時がくる。

それが、

状況のクライマックスにあたる時だと、

状況を大きく変えてしまう

嘘になりかねない。

相手側にこの嘘が伝わってしまうと、

相手のジョーカーに

なってしまうこともある。

そう考えると、

嘘はとても危険な起爆剤になる。

小さな嘘、優しい嘘等、

そして、必要とされる嘘もある。

ただ、状況の核心を翻す嘘は、

自滅への道を歩ませることになる。

そのことを心したいと思う。

 

少しずつ心を強くする

 

(今日のコトバ)

 

心はいろいろなところに顔を出し、

たくさん傷つく。

そして、生きるための強さを

ちょっとずつ身につける。

 

 

 

 

心の問題という。

いろいろな意味で、

心のせいにする。

見ることもできない

実態のないものが責任を負う。

ほとんどの人は、

心のせいすることに

異論を持たない。

困ったことに、

心は実態のないものだから、

本来、どうしていいか

わからないものでもある。

だが、その心も試練を乗り越えると、

少しずつであるが成長する。

否、成長した気がするのだ。

そう考えると、

人生のいろいろ場面に遭遇し、

試練をクリアすることが、

心を強くする一つの方法なのだ。

だが、間違えてはいけない。

心を壊してはいけない。

壊してしまっては、

戻すことができなくなる

かもしれない。

あくまでも心を強くするために、

試練を乗り越えることも大切。

そのことを理解しておけばいいのだ。

 

消えていれば見つからない

 

(今日のコトバ)

 

誰もあなたを見つけてくれないのは、

あなたがあなたを見失っているからだ。

 

 

 

人生の節目で、

「何でわかってくれないのだろう」

「何で見つけてくれないのだろう」

そう思う時がある。

「こんなにがんばっているのに」

「こんなに才能があるのに」

そう思い続けている。

だが、そんな時、

気持ちは焦っていても、

自分の行くべき道が

しっかりと見えていないことが多い。

もっというと、

自分自身を見失っている時でも

ある気がする。

結果がでないことで

焦っている。

自分が輝くというよりは、

自分が消えている状況に

陥ってしまう。

当然、まわりも輝かないものを

見つけることができない。

そう考えると、

誰も見つけてくれない時、

自分の行くべき道もがブレでいると

理解しよう。

まわりの人が見つけようないほど

自分が消えている。

だからこそ、自分の道、

自分の輝ける道を見つける。

そして、その道を歩く。

意識をそこに集中するのだ。

タイミングのために軌道修正

 

(今日のコトバ)

 

やっと大人買いができようになったのに、

大人になると子供買いで充分な自分に気づく。

 

 

 

ものごとにはタイミングがある。

できる時、やれる時が、

いいタイミングでやってくる人は、

生き方が上手な人なのだと思う。

例えば、

子供の時に凄い才能があったのだが、

その才能を伸ばすことをせず、

大人になったら平凡な人なった人。

大人で才能を発揮できれば、

人生はもっと有意義なものに

なったはずだ。

また、人生ずーっとお金がなくて、

欲しいものが手に入らなかったのだが、

80歳を過ぎて遺産等が入って

金持ちになった人。

せめて40歳代で金持ちになったら、

お金をもっと自由に

使えたかもしれない等。

タイミングを逸して

人生にジレンマを感じる人もいる。

ただ、人生は自分の力である程度、

軌道修正できるもの。

自分が行きたい人生の方向に

修正もできる。

もちろん運命もあるが、

生きたい方向へ修正するのも

人生の醍醐味。

そのことを忘れてはいけない。

信頼はゆるまない関係

 

(今日のコトバ)

 

一度むすんだ絆だって、

ちゃんとむすび目を直ささないと、

すぐにほどけてしまう。

 

 

 

 

信頼関係を築くことができたとしても、

その信頼を放置したままだと、

信頼の絆はゆるんでしまう。

ましてや不義理が続くと、

信頼を失ってしまうことに

なりかねない。

もっといえば、

「可愛さ余って、憎さ100倍」

ではないが、

信頼した分、

信頼を失った時、

人は人をまったく信頼しなくなる。

信頼は生き物なのだ。

コミュニケーションをいつも大切にして、

信頼の絆をしっかりと結ぶ。

ゆるんだらしめ直す靴ひものように、

ゆるまない関係を大切にするのだ。