生きてきた時間を信じろ

 

(今日のコトバ)

 

生まれてから今日まで生き延びてきたんだ。

生き抜く方法なんて、もう身につている。

 

 

 

 

明日に向かう時、

新しい一歩を踏み出す時、

不安になることがある。

どれだけ準備をしても、

どれだけ訓練を積んでも、

怖さがぬぐえない。

そんな時、

忘れてはいけないことがある。

生まれてから今日まで、

生き延びてきたということを。

この長い時間に、

途轍もない数の経験を積んできた。

その経験の中に、

明日へ向かうための知見、

新しい一歩を踏み出すための自力が

身についている。

そのことを思い返せば、

怖れることはない。

否、怖れることは半減するはずだ。

もっと簡単にいうと、

生きてきた時間を

信じればいいということ。

自分は、自分が思うほどヤワじゃない。

生き抜てきた時間は、

自分を裏切ることはないのだ。

人生の正解を生きているか

 

(今日のコトバ)

 

どこにいるより、

ここにいることが輝いている。

そう思えたら、人生正解。

 

 

 

 

ここで仕事をすることが天職だ。

ここで生きることがイキイキする。

ここで過ごすことが一番楽しい。

そういう人生をおくれたら、

最高だと思う。

と同時に、

人生は間違っていないとも

思えるはずだ。

生きるということは、

楽しいことだけが守備範囲ではない。

苦しい、つらい、悲しい、寂しい等、

最高とはよべない気持ちになることも

たくさんある。

様々な感情が生まれては消えていく。

その中で、

いま生きることが最高といえる場所に

いることができたら、

人生は正しいと思える。

正解を生きている。

最高だと思っていい。

ただ、人生の正解は時間が経つと

変わっていく。

5年前の正解が、

今年の正解だとは限らない。

そのことを理解しながら、

精一杯生きる。

そう、人生は正解探しの旅なのだ。

 

弱みこそ丁寧に付き合う

 

(今日のコトバ)

 

短所は、短気に扱わない。

 

 

 

短所。弱点。

自分には弱みがある。

その弱みを

雑に扱ったり、

短気に扱うと、

より弱みを強調してしまう。

あたりまえだが、

弱みだから人より劣っている部分。

その劣っている部分と

いいかげんに付き合っていると、

後で大やけどをする。

弱みだけに、

責められると崩壊は早い。

だからこそ、

丁寧に弱みと付き合う。

大切に弱みを扱う。

補強できるのであれば

補強して弱みを弱みでないレベルへ

近づける。

それこそが弱みとの付き合い方。

少し意識するだけで、

弱みが大きな弱点にならずにすむ。

弱みこそ、丁寧に付き合おう。

そこにいることで風景になる

 

(今日のコトバ)

 

そこにいるだけで、

あなたはあの人の

やすらぎになっている。

 

 

 

ただ、そこにいるだけで安心する。

会社で、学校で、家で、、、。

同じ位置に座っている。

それだけでいい。

人間だけど、

そこにいることが、

一つの風景になっている。

それは、変わらないという

一つの安心になり、

そこに集まる人の

やすらぎになっているのだ。

わかりやすくいうと、

長期の入院で、

いつもの席にいるべき人がいない。

その席のまわりを見るたび違和感を感じる。

あるいは、ある人が退職して、

席が空いている。

とてつもなく寂しくなることがある。

ただ、そこにるだけだが、

いないと寂しいと思うことは

誰にでもあるだろう。

つまり、そこにいることによって、

人も風景になり、

心が落ち着かせる役目を果たしているのだ。

他人もそうだが、

自分もまわりの人から見ると、

ちゃんと風景の役まわりをしている。

そして、まわりの人のやすらぎになっている。

そのことを忘れてはいけない。

みんな弱点を持っている

 

(今日のコトバ)

 

オオカミは海で泳ぐことはできない。

サメは陸を走ることはできない。

敵はいつだって

弱点を持ちながら戦っている。

 

 

 

非の打ちどころがないとか、

万能とか、言葉では聞くが、

ほんとうに弱点がない人に出会ったことはない。

腕力があれば、知識不足だったり、

仕事はできるが、人柄が良くなかったり、

実力があるのに、ネガティブだったり、

愛想はいいが、陰口が酷かったり、、、。

人は、どこか欠けたものがあって

生きている。

人生の勝負の時、

その欠けたところが弱点になる。

ここ一番で弱点からほころびはじめる。

つまり、誰にでも弱い部分がある

ということは、そこを狙えば、

誰にでも勝機があるということ。

弱点ばかりを責めるのが、

日本人の意識として正しいかはわからない。

ただ、勝つためにはいろいろな戦術が必要。

その時、弱点を見つけて、

弱点を狙って、弱点を責めることも、

一つの戦術になる。

忘れてはいけないことだ。

できないは、やりたくない

 

(今日のコトバ)

 

「やりたくない」に支配された気持ちで、

「できない」というな。

 

 

「できない」という気持ちの

正体は何だろうと、

考えることがある。

ほんとうは、

「できない」のではないのではないか。

それより、もっと大きく気持ちを

占めるものがあるのではないだろうか。

では、その正体は?

一言でいってしまうと、

「やりたくない」ではないだろうか。

そう、「できない」というよりは、

「やりたくない」という気持ちが強い。

否、すべてといってもいいかもしれない。

つまり、「やりたくない」という意志の問題を

「できない」という

能力の問題にすり替えている。

「やりたく」ないというと、

意志が、気持ちが、弱い奴と思われるが、

「できない」というと、

能力、あるいは発注した側に

問題があるように問題点を変えられる。

もしかすると、

「できない」は、

都合のいい言葉なのかもしれない。

反対に考えれば、

「できない」といってしまいそうな時、

一瞬、立ち止まって

自分の意志を確認してみる。

それがもし、「やりたくない」だったら、

意志の問題だ。

モチベーションの問題だ。

そうなると問題は意志を

「やりたい」という気持ちの方向に

向けることが大切になる。

あくまでも、やる気の問題。

そこをしっかり理解できれば、

生き方は変わる。

「できない」といっている時は、

やる気がない時。

やる気を出すために、

何か足りないか考える。

そこからモチベーションを上げるのだ。

 

想い出は、都合よく美しい画像に変換する

 

(今日のコトバ)

 

想い出は、

美しくなろうと

永遠にメイクアップしていく。

 

 

 

 

今日の経験が、

昨日の経験になり、

過去の経験になっていく。

日に日に、細かいことは忘れ、

印象に残ったものだけが記憶に残る。

別のいい方をすると、想い出という。

この想い出のという画像は、

時間が経てば経つほど、

美しい画像に変わっていく。

その時、苦しいかったこと、

その時、辛かったこと、

さの時、悲しかったことも、

時間とともに、美しく変えたり、

笑い話に変えたりしていく。

「いまになれば、いい想い出だよ」

となっていく。

つまり、人間の記憶は、

都合よく美しい画像に変換する機能を

もっているのだ。

反対に考えれば、

いま現実として

苦しいことや辛いことがあっても、

いずれその出来事を越えて、

時間が経てば、

美しい想い出になるということ。

現実の痛みは消えた画像は、

ただただ人間に優しくなる。

そう思うと、少しだけ生きる勇気が

わいてくる気がするはずた。

 

「ために」は巡る

 

(今日のコトバ)

 

誰かのためになることが、

どれだけ自分のためになることか。

人生は、ちゃんと知っている。

 

 

 

「人のために」と意識すると、

恩着せがましくなるけれど、

自分ではない誰かのために、

救いの手を差し伸べる。

サポートする。優しい声をかける等、

「ために」に力を注ぐ。

その「ために」が、

いつか巡り巡って、

自分に戻ってくる。

考えてみれば自分も、

誰かに助けてもらって

生きているはずだ。。

「何でこんなに助けてくれる?」と

思ったこともあるはず。

もちろん、誰にも助けられたことがない

という人もいるだろう。

ただ、その人は自分も誰も助けていないはず。

「ために」をしていないはず。

だから、助けられることはないのだ。

日本には、お陰様という言葉もある。

人という文字は、

支え合って立っているともいう。

だからこそ「ために」は必要。

自分が生きる、まわりの人が生きるために、

「ために」を大切にする。

人生が揺るがない生き方の一つだ。

危機を回避するために危機を知る

 

(今日のコトバ)

 

無難だけで歩いていると、

遭難への道を歩いてもわからない。

 

 

 

 

いつも安全地帯で生きている。

大切なことだ。

危ない場所には寄りつかない。

自分の身を考えたら、それでいい。

だが、人生は簡単ではない。

いつ不意に危機が迫るかわからない。

その時、安全地帯だけで生きた人が

危機を察知できるか。

それは難しいと思う。

ある程度、危機を知っているからこそ、

危機を回避できるというものだ。

そのためには、

まったく安全しか知らないより

危機をどこかで体験している方が、

危機察知能力は養われる。

何も命を失うほどの危機へ

飛び込まなくてもいい。

ただ、知識として知る、

何かが起こった時のための

訓練をしておく等、

準備をしておく。

そのことを忘れずに生きてけば、

かなりの危機を回避できる。

準備をして生きていこう。

 

夢に綿密な予定表

 

(今日のコトバ)

 

夢は予定通りに進まないからこそ、

予定表をつくることが大切なのだ。

 

 

 

夢。

大きければ大きいほど漠然とする。

どのように動いて、

どのように頑張って、

どのように前進するか。

思い描くだけでは、

夢はいつまでも

夢のままで終わってしまう。

「できたらいいな」で終わってしまう。

では、夢を現実のものにするには、

何が必要か。

大切なものはたくさんある。

その中で一番大切なもの、

それは綿密な予定表だ。

どこまでに何をする。

そのために何をする。

足りないものは何だ。

身に着けるべきものは何だ。

時間をどう使えばいい等々。

予定を組むだけで、

やるべきことが決まってくる。

決まってしまえば、

夢に向かって予定を

クリアしていけばいい。

もちろん、それだけで夢が

現実のものになるとは限らない。

だが、夢の予定表をつくることで、

道筋ができる。

その道筋に沿って進むことがわかれば、

夢は着実に近づいていける。

だからこそ、夢に予定表が必要なのだ。