何でも自分でできる人生

 

(今日のコトバ)

 

金持ちは、

金がないと何もできないという

弱点をかかえて、

ふんぞり返っている。

 

 

 

 

何でもできる。

自分の力で、

お金がなくても何とかなる。

そんな生き方ができる人を

素敵だと思う。

もちろん、生きるのに最低のお金は必要だけど、

ほとんどお金をかけないで、

人生を愉しむことができる人。

何でも自分でつくれてしまう人、

何でもすぐに楽しめる人、

ものすごく会話力のある人、

そして、ある分野に特殊な才能がある人等。

まわりにもいるはずだ。

お金持ちでお金のある人は、

こんな生き方ができるだろうか。

できる人もいるだろう。

ただ、お金があれば、

お金で解決してしまうことが増えるはず。

度を越えたお金持ちなら、

すべてをお金で解決するかもしれない。

いいわるいではない。

どちらが愉しい人生か。

お金がなくても、

自分で何でもできる人生と、

お金があって、

すべてお金で解決してしまう人生。

自分にとって愉しい人生を

選びたいものだ。

 

特別でない幸せこそ、ほんとうの幸せ

 

(今日のコトバ)

 

幸せを

特別にしなくていいほどの

幸せはない。

 

 

 

 

いちばんわかりやすいのは、

健康でない時の気持ち。

風邪でも、ケガでも、手術でも、

健康を失うと、

ただ健康なだけで平凡だった日が、

どれだけ素晴らしいかわかる。

ちょっと喉が腫れている。

こしが痛い。

頭痛が治らない等。

体調不良になると、

体調良好な時がいかに

気持ちよく幸せに生きたかがわかる。

メンタルにしてもそう。

いつも通りに仕事をこなしていたのに

ミスがあって、

お得意が激怒している。

対応の仕方、

謝罪をしなければいけなくなると、

仕事がとてもつらいものになる。

あのミスさえなければ、

なんでもない平凡な日。

その平凡な日は、

人生において

とても幸せな日だったことを悟る。

幸せが特別でない幸せ。

もっというと、

幸せを特別にしなくていい幸せが

人生にある。

それを知ると、

普通の一日がとても愛しくなるのだ。

 

 

プライドの高さにチャンスが避ける

 

(今日のコトバ)

 

プライドが高過ぎて、

チャンスものぼっていけない。

 

 

 

自信をもつのはいい。

切磋琢磨して、

自分の能力を信じるようになる。

卓越した能力を発揮し、

プライドをもつことも大切だ。

だが、能力に見合わない

プライドをもつ人がいる。

まわりから見て、

どう見てもプライドが高すぎる。

その高さに能力は見合っていない。

まだまだ実力が達していない。

そう思われると、

困ったことが起きる。

まわりの人間が

じょじょに距離を置きはじめる。

苦手意識をもち、

まわりの人が避けていく。

そうなると、

人生における様々なチャンスも

避けて通る。

あたりまえだが

チャンスは人が運んでくる。

人気がある人のところに

チャンスも生まれやすい。

そう考えると、

プライドが高過ぎて

人から避けられると、

人生のチャンスは圧倒的に減る。

他人だけではなく、

自分もプライドが高過ぎて

チャンスを失っていないか。

自分のプライドの高さを考える。

大切なことだ。

 

人生の問題が、いいブレーキになる

 

(今日のコトバ)

 

すこしばかり問題をかかえているから、

浮き足立たずに生きていけるのだ。

 

 

 

視界不良の世の中で、

人は目を凝らしながら、

しっかり生きようとしている。

いいかげんにならず、

浮き足立つことなく

生きていこうする。

では、どうしていい加減にならず、

浮き足立つことなく

生きていけるのか。

それは、いま、生きるために

様々な問題をかかえているからでは

ないだろうか。

人それぞれ、大きな問題、

小さな問題あるだろうが、

みな問題をかかえている。

この問題があるからこそ、

現実を直視する。

借金をかかえている。

持病をかかえている。

人間関係に悩んでいる。

会社のストレスが半端ではない等。

これ以外の問題もあるだろう。

それらの問題が

調子にのって

間違いをおかしそうな人生に

ブレーキをかける。

人生の問題。

対処するには面倒だが、

人生にはいいブレーキの役割を

果たしてくれる。

生きる上で問題をかかえるのも

幸せに生きるために

大切な役目を果たしているのだ。

 

あの人は、一生ものの宝物

 

(今日のコトバ)

 

人は忘れてしまう生きもの。

それでも忘れなかったあの人は、

大切にしなければならない

一生ものの宝物である。

 

 

 

長く生きていると、

忘れてしまう人と

忘れない人に

大きく分けられる。

側にいれば忘れないが、

距離ができると忘れてしまう人。

反対に、何年も会っていないのに、

いつも忘れずにいる人がいると思う。

その忘れない人で、

それもいい想い出で彩られている人は、

きっと、一生ものの宝物なのだと思う。

何も宝物はダイヤモンドではなく、

人であってもいい。

それも自分の人生にいい想い出を

つくってくれた人なら、

間違いなく宝物。

では、その宝物と

自分はどう付き合っているだろう。

大切にしているか。

あたためているか。

絆を結んでいるか。

何もしないでいると、

宝物も輝かなくなる。

「あの人は一生もの」

と思ったら、

宝物を扱うように、

大切に

絆を結ぶ。

人の宝物ほど

人生にとって大切なものはない。

そのことを忘れてはいけない。

極めれば、絵になる

 

(今日のコトバ)

 

命を削るほど生きたから、

人生はいいカタチになりました。

 

 

 

命を削るほど

目標に向かって生きている。

自分の道で切磋琢磨し、

素晴らしいキャリアをつくっている。

この分野であれば、

自分としての成就の方程式がある。

言葉にすると

「絵になる人」となるだろうか。

何も芸能人やスポーツ選手だけでなく、

職人であっても、営業職であっても、

仕事で極めた人は絵になる。

その絵になるまで何をしたか。

それは、命を削るほど

努力したのではないか。

だかこそ、人生がいいカタチに見える。

まわりを見渡してみてほしい。

自分のスタイルをもって生きる人は、

みんな絵になっている。

いいカタチになっている。

そこで自分はどうか。

もし、人から見て、

絵になっているように

見えているなら、

努力は実を結んでいるのではないか。

絵にならない、

スタイルがわからないと思われるなら、

まだまだ努力が必要。

そういうことではないだろうか。

実力者は時間がかかる

 

(今日のコトバ)

 

遅くまで時間がかかったのは、

人生の財産を

たくさん積んできたからです。

 

 

 

 

なかなか芽がでない人がいる。

遠まわりをして

たどり着くのが遅い人がいる。

不器用でひとつの習得に

時間のかかる人がいる。

だが、何年か、何十年かすると、

しっかりとした足取りで

先頭集団に追いついてしまう。

そんな人を何人か見たことがある。

「昔はたいしたことなかったんだよ」

などといわれながら、

トップにふさわしい実力を備えている人。

苦しい思いも、

悲しい気持ちも、

痛い目も知って、

それらをすべてクリアしてトップに立っている。

まぐれとか、コネとか、いんちきではない。

時間は遅かったけれど、

その時間を実力を身に着けるために

使ったのだ。

遅れてきた実力者。

この実力者ほど、強く、

嘘のない人はいない。

戦う相手としてはやっかい。

味方にするには頼もしい。

本物の実力者。

仕事をするなら、

そんな本物としたいものだ。

追いかけて雑念を払う

 

(今日のコトバ)

 

追いかけることは、

夢中になりながら成長することである。

 

 

 

どんなことでもいい。

追いかけることは、

夢中になる。

夢中になるということは、

集中していること。

信じられないぐらい

自分の力を発揮できて、

結果、大きく成長することができる。

追いかけるという行為は、

あらゆる雑念を払って、

前へ進んでいくこと。

もし、自分が成長しない、

自分に集中力がないと思ったら、

追いかけるべき標的を

見つけること。

標的の背中を追いかければ、

雑念は排除され、

夢中になり、集中力が高まる。

自分の力の最大マックスを越えていく。

追いかけている間に

自分は大きく成長できる。

人生で成果を出すために、

夢中になることと

集中することは必須。

追いかけることは、

この二つの力を

手に入れることができる。

まさに一石二鳥の素晴らしい行為なのだ。

善人の弱み、悪人の弱み

 

(今日のコトバ)

 

善人には、

どこかに攻めきれない弱さがある。

悪人には、

どこかに守り切れない弱さがある。

 

 

 

 

よく善人といわれる人は、

いい人と思われている分、

人のいうことをよく訊いてくれる。

あまり断を下さず、

いいよ、いいよといってくれる。

また、あれこれ依頼しても、

わりとやってくれたりする。

能動的というよりは受動的。

攻撃的というよりは守備的な人が多い。

反対に、よく悪人という人は、

自分の主張が強く、

また、嘘も平気でついてしまう。

誰かのいうことに

耳を傾けるというよりは、

自分のペースでものごとを進めようとする。

受動的というよりは能動的。

守備的というよりは攻撃的。

善人と悪人の特性として、

まったく相容れない違いがある。

考えてみれば、

善人には善人の強みがあり、

悪人には悪人の強みがある。

同じように、

善人には善人の弱み、

つまり守備的に生きて

攻めに弱いという性質があり、

悪人には悪人の弱み、

つまり攻撃的に生きて

守りに弱いという性質がある。

どちらがいいかという話ではない。

ただ、この特性を知っていれば、

善人の対応、悪人の対応がわかる。

どんな状況で善人・悪人が現れても

心の準備ができる。

善人・悪人のペースにのせられないで

生きていくことができる。

生きるために知っておく

ちょっとした知恵かもしれない。

いつもの場所は自分をアイコンにする

 

(今日のコトバ)

 

自分を見失わないために、

いつもの場所に座れ。

他人が見逃さないために、

いつもの場所に座れ。

 

 

 

 

いつものように自分の席に座る。

会社や学校などだと

あたりまえの光景だが、

いつもの場所にいることは、

人生においてとても大切なこと。

いつもの場所にいるということで、

自分をアイコン化ができる。

「あの人があそこにいるから大丈夫」

という一つの安心感もなる。

また、自分にとっても、

いつもの場所にいるから依頼がきて

チャンスが生まれる。

いつもの場所にいることは、

自分の力を発揮するためにも

大きな役割を果たしている。

反対に考えてみるといい。

行く場所がなく、

どこにも座る場所がない人は、

なかなかコミュニケーションをとるのが

難しい。

よくわからない存在になってしまう。

依頼することも難しければ、

チャンスも生まれづらい。

だからこそ、いつもいる場所は大切。

自分の存在を

アピールする定位置。

それが、いつも自分のいる場所なのだ。