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(今日のコトバ)
人生は、
明日という「もう一回」の
連続です。
生きている限り、
明日は続いていく。
今日を生きているなら、
明日を想定して生きている。
その明日とは、
どう意味があるだろう。
意味ではなく、
生きていれば時間が経過し
明日になっていく。
そんなことはわかっている。
だが、明日が人生で背負うものは
あまりに大きい。
例えば、過去も、今日という現在も、
「明日のための準備だ」
ということもできる。
もちろん、継続性のないもの、
今日終了するものは、
明日と直接関係がない。
ただ、過去の財産が、
今日手にしたものが、
明日につながることは多々ある。
そう思うと、
すべてが明日に
つながっていると思ってもいい。
その上、日本語では
明るい日と書く。
過去、現在は、
明るい日につながっていく。
そう思うと、
生きる意欲がわいてくる。
明日は人生にとって
大切なものなのだ。
(今日のコトバ)
夢中とは、
一生懸命が
最速になった状態である。
才能がある。努力できる。
根気がある、、。
人にはいろいろな長所がある。
ただ、
その中で圧倒的に長所になるのは、
夢中になれる力ではないかと思う。
集中力もあるかもしれないが、
一心不乱に物事に突き進む人は、
いい結果を出す確率が高い。
さらにいえば、
夢中になっている人は
楽しんで取り組んでいる。
集中して、
夢中になれるということは、
いい結果を出せて楽しめる。
一石二鳥にもなる。
人間の持っている機能で、
こんなにいいものはない。
だからこそ、
夢中になれるものを目標にする。
そして、まっしぐらに取り組む。
人生を充実させるために
大切なことだ。
(今日のコトバ)
本日のトリを飾る言葉は、
「ありがとう」です。
今日一日を
どんな気持ちで終わるか。
一日の中には
様々な出来事があって、
夜眠る前の気持ちは、
一定ではないはずだ。
楽しい気持ち、
悲しい気持ち、
怒りの気持ち、
落ち着いた気持ち、
落ち着かない気持ち、、。
日によって違うと思う。
「今日という日を
ちゃんと生きられた。
嫌なことがあったとしても、
いろいろな人にお世話になった。
自分の体と心もがんばった」
そう思うと、
様々な気持ちの上に、
感謝の気持ちが
生まれるのではないか。
「ありがとう」と
つぶやいてもいいのではないか。
人は80年生きて約3万日生きる。
そのうちの多くの日を、
感謝の気持ちで終わる。
それだけで人生が
素晴らしいものになっていく。
感謝は、
生きるために大切な役目を
果たしていると思う。
(今日のコトバ)
努力を売り物にしている
ということは、
まだ何も売り物がない
ということ。
難しい「努力」という概念。
誰が見ても
たいしたことをしていないのに、
本人が「努力」しているという。
反対に、
「彼はあんなに努力している」と
いわれているが、
本人はまだまだだと思っている。
こうもいわれる。
「努力が成功を約束しないが、
成功した者はすべて努力している」と。
どこからが「努力」していて、
どこからが「努力」していないのか。
基準はないのかもしれない。
だが、一ついえることがある。
それは、「努力」を
売り物にしているうちは、
まだ何も自分の売り物がない
ということ。
「努力」したんだけど。
「努力」してるんだけど。
という状況はまだ何事も途中の状態。
結果も出ていないし、
発展途上といっていい。
そう考えると、
「努力」は結果に付随する言葉。
「努力」の先の目標が
達成していないということ。
そのことを忘れはいけない。
(今日のコトバ)
孤独は、
自分の心と
いちばん会話がはずむ。
一人なって、寂しくなって、
良いことがあるとしたら何だろう。
時々考える。
いちばん感じるのは、
普段、聞かなかった自分の声を、
じっくり聞けることかもしれないと思う。
忙しい毎日、
生きる循環が上手くいっている時、
人は自分の声を聞いたりしない。
だが、何かをきっかけに、
孤独で寂しくなったり、
何もしない時間が長く続くと、
自分の声を聞くようになる。
その声は、ほとんどが弱音か本音。
自分の声だから飾ることもなく
真摯に聞く。
本来は、自分にとって大切な声だ。
だが、孤独でなくなると、
忙しくなると、
忘れてしまうこともある。
だからこそ、
孤独の時間の声は
大切にしなければならない。
自分の弱音や本音は、
人生への不安が含まれている。
これから生きていく上で、
注意しなければならないことが
含まれている。
人生への良い警告。
そう思って
孤独な時間の声を肝に銘じるのだ。
(今日のコトバ)
不可能に挑戦している人なんて
ほんとうはいない。
可能だと思ったからこそ
挑戦したんだ。
可能と思うものを探せ。
「不可能に挑戦する」
言葉づらはかっこいい。
まだ見ぬ夢へ全力で挑む感じがする。
だが、とも思う。
「ほんとうに不可能と思っていることに
挑戦するだろうか」と。
他の人から見て
不可能であっても、
挑戦する本人が、
まったく不可能だと思うものに
挑むだろうか。
「高い壁ではある。
だが、努力をすればなんとかなる」
と思っていることに
挑んでいるのではないか。
手を伸ばせば
届くかもしれないという気持ちが、
挑戦させているのではないか。
そう思ってしまうのだ。
だとしたら、
「なんとかなる、
簡単ではないが可能だというものに
挑戦している人」
でいいのではないか。
人は、目標がないと前進できない。
その目標が漠然としたものより、
具体的な方が達成する確率も高い。
だからこそ、
可能だと思う目標を探す。
生きるために大切なことだ。
(今日のコトバ)
「出来ない」と降りてくれた人は、
人生の席を空けてくれたのだ。
「出来る」といって
座ってしまおう。
チャンスは、
そうそうやってこない。
準備ができた時に
やってくる保証はないし、
準備ができない時に
やってくることもある。
さらにいえば、
誰かが降りてくれたから
チャンスが巡ってくることもある。
自分の準備状況はともかく、
チャンスが目の前にある。
そんな時は、
迷わずチャンスに飛び乗ろう。
人生、チャンスの回数の保証などない。
この先、いつ来るかもわかない。
それが、誰かが降りたというだけで
自分の目の前にある。
上手くいけばラッキーだし、
上手くいかなくても
経験が蓄積される。
そもそも無くて当たり前の
チャンスなのだから、
逃したところで
傷つく必要もない。
とにかく、
空いたチャンスを自分のものにする。
その意識で生きれば、
チャンスを捉える確率は上がるはずだ。
(今日のコトバ)
不安でエネルギーを
消耗するなら、
感謝でエネルギーを
補給しよう。
何か先のことを考えて、
不安になる。
起きてもいないことを
想像して、
エネルギーを消耗する。
そんなことは、
生きていると何度もあった。
このエネルギーの消耗ほど
ムダなことはなかった。
起きてもいないことに
不安になる。
不安で放出するエネルギーで
疲れてしまう。
では、エネルギーを
消耗しないための
方法はあるだろうか。
誰でもできることが一つある。
それは、感謝すること。
「ありがとう」という気持ちを
伝える。
自分のまわりの人が、
自分のためにしてくれたことに
感謝する。
できれば、声に出して伝えるといい。
言葉を発すると同時に
エネルギーが出る。
このエネルギーは
自分の力になる。
感謝の気持ちがあると、
前向きになるし、
パワフルにもなれる。
気持ちの循環も良くなる。
だからこそ、
感謝を忘れず生きる。
エネルギーある生き方をするために
大切なことだと思う。
(今日のコトバ)
あきらめるということは、
運の停止ボタンを
押してしまうことである。
目標に向かって行動する。
だが、遅々として達成しない。
もうダメだと思って、
あきらめてしまう。
誰にでも、
そんなことの一つや二つあるはずだ。
ただ、人生を思い返すと、
あきらめたことで
後悔することがあまりにも多い。
「やり続けていれば、、、」
そう思ってしまうことが
たくさんあるのだ。
では、なぜ、後悔するのか。
それはあきめず続けていれば
手に入ったであろう運が、
手に入らなかったから。
もし、続けていたらと思ってしまう。
だとしたら、
あきめることをあきめて
続けていく。
自分が納得するまで続けてみる。
ちょっとやそっとの困難で
あきらめない。
それが、運を手に入れるための
大事な方法。
大変だが誰にでもできることだ。
(今日のコトバ)
先延ばしすることは、
「いま」のムダ遣いである。
「やりたくないな」と思うと、
先送りしてしまう。
手をつけなかったり、
あえて知らんぷりしたり、
触れないようにする。
その結果、どうなるか。
必ずどこかで
その問題を
処理しなければならなくなる。
だとしたら、
思い立ったら吉日、
すぐにやってしまう。
その結果、未来に問題を残さず、
未来に新しい取り組みができる。
未来という時間を有効に使える。
だからこそ、
「いまの問題は、いま解決する」
その意識を持つと、
時間が有効に使える。
いまより自由に使える時間はない。
そう思っていまを大切に使おう。
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