幸せを感じて生きるために

 

(今日のコトバ)

 

上を向けば星が輝いている。

下を向けば花が咲いている。

前を向けば道が続いている。

人生、何の不足があるんだ。

 

 

 

幸せを数えると、

たくさんの数の幸せに

囲まれている。

生きるということは、

幸せに囲まれていること

ともいえる。

だが、日々の暮らしの中で、

辛いこと、苦しいこと、

悲しいことなどがあって、

幸せではないと思うこともある。

その時、

自分がいかに

幸せに恵まれているかを

数えてみる癖をつけてみる。

その意識だけで、

随分幸せを感じられる。

人生はいかに幸せを

共有できるかだとしたら、

幸せな環境にあることを

感じて生きる。

毎日を前向きに生きるための

一つの方法だ。

 

 

 

自分を使うことは、いいことずくめ

 

(今日のコトバ)

 

誰かを頼る時に、

自分自身という人間も

頼れることを忘れずに。

 

 

困った時に誰かに頼る。

自分の領域ではないと、

自動的に自分以外の誰かに頼る。

効率的な判断だ。

ただ、一度立ち止まって

考えてみると、

誰かをまったく忘れていることがある。

それは、自分という人間。

自分ができる領域を理解せずに

誰かに頼んでいる。

そんなことが結構ある。

「やってみたら自分でできた」

ということが経験もあるはずだ。

だからこそ、

まず自分に本当に頼めないか

考えてみる。

どうしてもできないなら

誰かを考える。

自分という選択肢を

最大限に使うことで、

生活も楽になり、

自分のスキルもアップする。

自分を使うことは

いいことずくめなのだ。

 

未来を可能性のために使う

 

(今日のコトバ)

 

未来は、

まだ不可能という言葉を知らない。

 

まだ何も起こっていない。

未来という時間は、

無限の可能性がある。

その可能性を使いきる。

できれば、そういう人生にしたい。

ただ、人は感情の生きもの。

可能性にすべてを

使いきれないこともある。

そこで、

未来について意識することがある。

「夢中になる気持ち」

未来の持っている可能性を

存分に使うために、

夢中になることを用意する。

何か夢につながるもの、

目標に向かって必要なものを用意する。

それこそが未来という時間を可能性に変える。

未来を有意義なものにするために

大切なことだ。

人間関係のまん中に人柄がある

 

(今日のコトバ)

 

人柄がいいと、

援護射撃する人が集まってくる。

 

 

「結局、人柄!」

そう思うことがある。

自分の生きていきたい方向に

なんとなく進んでいける。

特別才能がなくても、

誰に妨害されることもなく、

いいポジションで

自分の生きたい方向へいける。

その差は何だろう?

考えれば考えるほど、

人柄のような気がしてくる。

人柄がいいと敵ができにくい。

もっというと、

味方及び味方に近い人がいてくれる。

これほどありがたいことはない。

人が敵にならない。

人が味方に近い存在でいてくれる。

それは、

生きるために

いちばんいい距離かもしれない。

自分が何かを目指す時も、

いい意味でアシストしてもらえる。

ただ、簡単に

人柄が変わるものではない。

だが、人柄は人間関係のキラーソフト

であることは間違いない。

人柄といっても、

いい人であることがすべてではない。

親身になってくれる人、

面白さを提供してくれる人、

人付き合いがいい人など、

様々な要素がある。

その中で

自分の人柄に近いものがあれば

意識してやってみる。

自分の得意とする人柄を

意識するだけで、

人が集まってくる。

人に恵まれてくる。

生きることが楽になってくる。

人間関係のまん中に

人柄がある。

そのことを忘れてはいけない。

 

 

意志のある方向に大きな看板を立てる

 

(今日のコトバ)

 

看板を掲げろ。

できれば誰にも見えるように

大きな看板がいい。

その大きさに比例して

自分も大きくなる。

 

 

何を考えているか

わからない人がいる。

意志を伝えようとしない、

あるいは、意志を伝えるのが下手な人や、

本当に何も考えていない人もいる。

ただ、少なくても

自分の意志が伝わらない人は、

生きていく上で

あまり得をすることはない。

目立たないことで、

意志の方向にあるチャンスも

逃れていってしまう。

チャンスは、

その人の前を素通りしたり、

その人ではない人の元に届いてしまう。

いいワルいではなく

選択だと思う。

だが、自分がどうしても

つかみたいチャンスがあるなら、

意志表示をしっかりしなくては

損をする。

できれば、

大きく意思表示をした方がいい。

大きな看板が立っていれば見やすい。

小さな看板では見落としてしまう。

意志のある方向へ

大きな看板を立てる。

人生において大切なことだ。

魂は売らない

 

(今日のコトバ)

 

魂を安売りしたら、

売った先で使い捨てられる。

 

 

「魂を売るな」

時々、いろいろな現場で誰かがいう。

警告の意味をこめて、

また、おせっかいも含め、

大切なものを売ってはいけないと

注意される。

どうしてもを売るしかない場合、

あるいは、それほど

大切と思っていない場合あるだろう。

ただ、魂を売るなという警告は、

たいがい正しい。

魂のような大切なものを

売ってしまったからといって、

売られた先で

大切にされるとは限らない。

否、むしろ大切になどされずに

雑に扱われることが多い。

それはあたりまえといえば

あたりまえで、

自分のものでもなかったものが

大切にできるかというと、

そうならない気がする。

だからこそ、

魂のような大切なものは

売ってはならない。

どうにか売らない方法を考える。

ジタバタしてもいい。

かっこワルくてもいい。

魂のような大切なものでも、

他人にとっては二束三文になる。

だからこそ、

自分で大切に持ち続けるのだ。

ありがとうは、気持ちを表す言葉

 

(今日のコトバ)

 

ありがとうは、

平凡な暮らしを温かくする。

 

 

「ありがとう」という言葉を、

普段の暮らしでは案外聞かない。

自分でもあまりいわない。

「すいません」とか、

「どうも」とか、

「うん」とか、、。

「ありがとう」といってもいい時に、

簡単な言葉しかいわないことが多い。

まわりの人を見ても、

ここは「ありがとう」

だろうと思う時に、

あまり「ありがとう」

といってる様子はない。

簡単にいえそうでいえない

「ありがとう」。

それは、

心がこもる言葉

なのだからかもしれない。

普通の言葉の中でも、

心をこめる必要があるもの。

そう思うと、

反対に、もっと

「ありがとう」という言葉を

伝えていいと思う。

心をこめるのが億劫で、

短い言葉でお茶お濁すのではなく、

ちゃんと心をこめていることを表す。

そのために

「ありがとう」という言葉はある。

気持ちを表すことのできる

大切な言葉だ。

泣いた後、希望がはっきり見える

 

(今日のコトバ)

 

泣いた後に笑う。

そして、笑った時、

もう希望を見つけている。

 

 

「泣いたカラスがもう笑った」

ではないが、

泣いた後、

スッキリして笑うことがある。

おそらく涙を流すことで

浄化作用があるのは間違いないだろう。

ただ、それだけではない気がする。

泣いた後、笑えるのは、

その先の希望を

見つけたからではないか。

そんな気がする。

泣くことでリセットして、

新しいテーマが見つかる。

そばにいる人が心配して

助けてくれるなど。

涙を流すことで、

人生の嫌なものを

捨てることができる。

そこで残ったものの中に

希望がある。

生きている間、

希望が途切れることはない。

どんな時も希望がある。

泣いた後、

心が、目がクリアになって、

希望がはっきり見える。

それだけのことだ。

 

 

行動で解決させる

 

(今日のコトバ)

 

あの人のことを

考える時間が長くなるなら、

あの人のために

行動する時間を長くしよう。

 

 

考える。

大切なことだ。

だが、それが長時間

考えてばかりいるのは、

決していいことだとはいえない。

考えているといっても、

発展的ではなく、

同じことを

堂々めぐりしていることもある。

特に人間関係の時は、

考えすぎてしまうことが多い。

「嫌われてないだろうか」

「なぜ、理解してくれないのか」等。

もちろん、研究のように

考え抜かないこともある。

ただ、こと今日の課題は考え過ぎない。

そして、

できるだけ行動するようにする。

行動することで

解決することもある。

行動することで

解決の糸口が

見つかるものがある。

少なくても、

行動することで

前向きになれる。

ほとんどがいい方向に向かう。

いま、人間関係等で

考え過ぎる人は、

行動するよう意識してみる。

そこから、

考えの答えが見えてくるはずだ。

 

自分ほど好奇心がわくものもない

 

(今日のコトバ)

 

世界一未知な生きものは、

自分です。

 

 

一生、生きていて、

一生、わからないもの。

それは自分ではないだろうか。

名前を持って、

自分の看板で生きているのだから、

たいがいのことはわかるはず。

ただ、他人の目から見たら、

まったく自分という人間像が

違うことがある。

あるいは、自分でも

想定外の自分を知ることがある。

また、状況によって変わる自分もいる。

少なくても、

いいワルいは別にして、人生で

自分にあきる人もあまりいない。

自分。

いちばん近くにいて、

一生離れない生きもの。

命果てるまで未知と出会う生きもの。

自分ほど好奇心がわく生きものも

いないのだ。