努力する価値

 

(今日のコトバ)

 

努力とは、

運をつかむために

握力をつけること。

 

 

 

「努力をすれば、夢は叶う」

という人がいる。

だが、努力で必ず夢が叶うとは

いいきれない。

もちろん、努力の意味は人によって違う。

努力をすることで、

夢を叶えることが

できる人もいるだろう。

ソフトバンクの王元監督は、

現役の頃、「努力は必ず報われる。

もし報われない努力があるならば、

それは努力と呼べない」

という名言があった。

そうかもしれない。

ただ、すべての人にこの名言が

当てはまるとも限らない。

少なくとも、

自分では相当な努力をしても

叶わない夢はあった。

だから、自分では

努力をこう考えることにしている。

「努力とは、

運をつかむために握力をつけること」と。

少なくても努力することで、

夢に近づくことは間違いない。

その力を信じるために、

自分の能力が育っていることを

イメージする。

努力の意味をそこにおけば、

努力する価値を大切にできるはずだ。

 

同じ夢を持つ者を探せ

 

(今日のコトバ)

 

世界は、

自分と同じ夢を持つ者を探す

人生ゲーム会場である。

 

 

夢とか、目標があって、

そこに通じる道を歩いていく。

人生はそんなものだと思っている。

その道を歩く途中考えていることは、

自分の同じ道を

歩く人はいないかということ。

前でもいい、横でもいい、

後ろだっていい。

自分と同じ道で歩く人を探している。

例えば、進学からそうかもしれない。

自分の実力で行ける学校を探し、

自分の目指す夢を

実現しやすい学校を選ぶ。

そこで出会った仲間こそ、

自分が探していた人といえる。

さらに、就職においても、

自分のやりたいものを探して

会社を選ぶ。

当然、入社した会社は

自分と似た夢や目標を

持っている人が多い。

つまり、

自分と似た夢を持つ

同志がいる場所に行く。

そう考えると、

この世界は、

自分と似た夢を持つものを探す

会場だともいえる。

意識して生きるか、生きないか。

それだけで夢が叶うか叶わなかに通じる。

同じ夢を持つ人を探そう。

 

あきらめない気持ちを持て

 

(今日のコトバ)

 

成功から失敗を引くと、

「あきらめない気持ち」が

残りました。

 

 

 

成功の一因で必ず上げられるもの。

それは、あきらめない気持ち。

誰もが持っていて、

誰もが使えるもの。

だが、誰もができるからこそ、

続けていくには強い意志が必要。

強い意志であきらめなかった人が

成功者になることは多い。

あきらめない気持ち。

簡単な言葉だし、

大概の人は持っているもの。

その気持ちを維持していくことが

成功だけでなく、

人生の差になっていくともいえる。

人の能力はそれほど変わらない。

どこで差が生まれてくるかというと、

やはり、

あきらめない気持ちでは

ないだろうか。

いま、何かに

成功したいと思っている人は、

あきらめない気持ちを持って

目標に挑んでみよう。

最低の条件だが、

最高の技術になるかもしれない。

完成のその先もある

 

(今日のコトバ)

 

完成すれば、

未完成の想像力を失ってしまう。

 

 

完成を目指す。

誰もが完成というのゴールを向けて

前進する。

正しい完成の捉え方だ。

ただ、完成という言葉は、

人にゴールを伝えるとともに、

終わりを告げてしまうこともある。

終わりとなると、

それ以上努力しなくなり、

歩みを止めてしまうということもある。

完成したから終わりではないかと

思ってしまう。

ただ、たいがいのものは続きがある。

完成したその先も新しいテーマが続く。

そのためには、

未完成だと思う気持ちも大切。

未完成の持つ想像力は、

人間がもっとも必要とする能力。

完成したからといって、

想像力を放棄しては成長は見込めない。

だからこそ、

未完成の気持ちを大切にする。

何かが足りない。

どこかがまだ見つからない。

満足できない何かがある、、。

その気持ちを忘れずに

生きていきたいと思う。

 

 

隣りに信頼する人を

 

(今日のコトバ)

 

幸せとは、

お金や名誉ではなく、

隣りにいてくれる人のことです。

 

 

なにはなくても、

気持ちを許せる人が

近くにいることが

人生を有意義なものにする。

人生のムダなものを

削っていくと、

最後に人だけが残る。

そして、その人が

自分の気持ちを汲んでくれる人だと、

人生はなんとかなる。

幸せという言葉が思い浮かぶ。

考えてみれば、

人間関係が上手くいっている時は、

人生が順調にいっているように思える。

反対に、

人間関係が上手くいっていないと、

不幸だと思ったり、

気分が沈んだりする。

だからこそ、

まずは信頼する人をつくる。

できるだけ自分の近くにつくる。

その人は

幸せをたくさんつくっていれる。

自分の人生を

素晴らしいものに変えてくれる。

隣りに信頼する人がいる人生。

考えて生きていきたいものだ。

いろいろな形がある、いい関係

 

(今日のコトバ)

 

いびつだけど、

温かい関係がある。

ととのっているけど、

冷たい関係がある。

 

 

人間関係は難しい。

表面上は

うまくいっているようでも、

裏ではまったく

うまくいっていないこともある。

利害関係が一致しているだけで、

利害がなければ

口もききたくない人もいる。

反対に、

敵対する組織にいるのに、

妙に考え方が合う人もいる。

ケンカ腰になるけれど、

汚れた言葉で話し続けるけれど、

どこかで信頼している。

困った時は、

まず一番に相談することもある。

人間関係は

キレイな形が

いい関係になるのではない。

だからこそ、

人と人のコミュニケーションは、

一面的に考えてはいけない。

いろいろないい関係がある。

人間関係は複雑でも

いい関係は成立するのだ。

 

人間の一生は永久になる

 

(今日のコトバ)

 

あなたという生きものは、

あなたがこの世から

いなくなったら、

絶滅してしまいます。

 

 

 

あなたという生きもの、

そして、わたしという生きものも、

命が果ててしまえば絶滅してしまう。

どんな生きものそうかもしれないが、

人間ほど、歴史を残し、記憶に刻まれ、

データで再生できる生きものはいない。

一人がこの世から去ることは、

一つの生きものが絶滅するに等しい。

だからこそ、

ちゃんと生きた証をつくるべきだ。

何も偉業をつくらなくてもいい。

一生懸命生きて、

夢や目標を叶えて生きていく。

この世から姿を消しても、

歴史、記憶、録画などで、

人生を永久のものにする。

人間の素晴らしい一生を

残して生きていこう。

夢中は、努力の負の気持ちを払拭する

 

(今日のコトバ)

 

努力を夢中に変えた人から、

夢を叶える。

 

 

ただ努力というと、

しんどいとか、

きついとか、重いとか、

人として前向きになれない

気持ちを内包している。

努力すれば、

夢や希望が叶えられる

かもしれないのだから、

あたりまえかもしれない。

だが、前向きになれないものを

長く続けるのは至難の業だ。

なんとか前向きになれる方法はないか。

そう考えると、

ひとつの言葉が思い浮かぶ。

夢中という言葉。

夢中になるということは、

なにもかも忘れて一つのことに

集中すること。

没頭といってもいい。

自分が夢中になれば、

努力の負の気持ちも

払拭できる。

もっというと

忘れてしまっている。

そうなればしめたもの。

負の気持ちどころか、

時間も忘れて集中できる。

とにかく夢中の状態をつくるのだ。

そうなれば、

努力も前向きになれる。

夢や目標も前向きに

叶えようと思える。

夢中になること。

そこに気持ちが進めていこう。

 

笑顔の裏側の悲しみを救おう

 

(今日のコトバ)

 

笑顔の裏にある悲しい顔も

笑顔にしてあげよう。

 

 

 

いつも笑顔でいる人。

いつも優しい人。

いつも気を遣ってくれる人、、。

そんな人がまわりには何人かいる。

ただ、そんな人がどんな気持ちで

生きているかはわからない。

いつも支えてもらってばかりいるが、

ほんとうに笑顔や優しさで

対応できる状況なのか。

実は、

心の底で泣いているのではないか。

後々、

「とても笑っている場合ではなかった。

悲しいことが続いていた」等と

聞くこともある。

笑顔の裏に悲しい気持ちでいる人も

いるのだ。

できれば、そんな人の悲しみに

気づいてあげて、

優しさを伝えられる生き方をしたい。

自分が苦しい時、辛い時、

笑顔や優しさで支えてもらったのだ。

お返しに笑顔と優しさを届ける。

人間という生きものができる

優れた能力の一つだと思う。

 

 

 

小さく気を遣う

 

(今日のコトバ)

 

大きなお世話は勘弁。

小さなお世話は歓迎。

 

 

調子のいい時、

ワルい時がある。

人には見せないが

不調であることもある。

まわりの人に大きく気を

遣ってほしくはないが、

少しぐらい

気を遣ってほししい時もある。

また、ほっておいてほしいのに、

やたらとおせっかいをしてくる人がいる。

「お願いだから

そっとしてくれ」といいたくなる。

つまり、大きなお世話は

勘弁してほしいと思っている。

ただ、人間は複雑な生きもので、

まったく相手にされないと、

それはそれで悲しくなる。

小さな気遣いなら、

ありがたかったりする。

大きくなく、小さく気を遣ってほしい。

それが真意。

だからこそ、

自分のまわりの人は、

小さく気遣ってあげる。

もちろん、本当に困ってる時は、

大きく気遣ってあげていい。

ただ、普通に生きている場面では、

小さく気遣う。

生きるためのマナーだと思う。