(今日のコトバ)
痛い目にあった。
更生する絶好のチャンスだ。
小学の教師になった友人がいった。
「子供たちに手をあげるのは、まかりならぬ。
どんなことがあっても殴ってはならない。
懲戒免職の対象なのだ」と。
文明が発達することによって、
日本が先進国の上位にランキングされるようになって、
人が人を怒る姿を見なくなった。
人が痛い目にあう機械が少なくなったといっていい。
ひとつの考え方として、とてもいいことだと思う。
暴力が横行したら、暴力の強い者だけが、
のさばる社会になってしまう。
ただ、子供を叱る時は、ある程度の制裁はいけないのだろうか。
昔は、親も先生も先輩も殴ったものだ。
当然、理不尽で納得いかないこともあった。
愛情が必ずあったとはいわない。
でも、その痛い目にあったことで、人間としての
大切なものも教わった気がする。
やってはいけないこと、守らなければいけないこと、
常識として覚えなくてはいけないこと、、、、、、、。
叱られたり、殴られたりしながら覚えたものがたくさんある。
つまり、道を間違えそうになると、大人たちが教えてくれていた。
いま、子供を叱ると、子供にトラウマが残るという。
子供が引きこもるという。子供の未来に傷がつくという。
たしかに、殺すまでキレる親や加減しらずに殴りつづける大人は
言語道断だ。ただ、道を踏みはずしている人間を
更生するために愛情をもった指導は必要だし、
痛い目にあわせることも必要なのではないか。
あまりにもマスコミに、悪い例ばかりが出過ぎ、
人が人を教育する中にある「痛い目」という部分を
とりのぞき過ぎてしまったのではないか。
ゆとり教育が定着し、怒ることも御法度で生きてきた
子供たちが、社会へ出て荒波にのみこまれた時、
ちゃんと生きていけるだろうか。
子供の時に「痛い目」にあったことで、
強くなって生きていけることがたくさんある。
制裁ばかりがすべてではないが、
もう一度、大人たちは子供たちの生きるために何が必要か、
真剣に考える時がきていると思う。