無欲の勝利になる

(今日のコトバ)

 

欲しいものに、無欲になれ。

 

栄光をつかむために。勝利をつかむために。

夢をつかむために。希望をつかむために。

人は、欲しいものをつかむために欲望をギラつかせる。

ただ、その欲望がギラギラしすぎて

他人から見ると醜くうつる時がある。

欲望のあまり策を選ばず、悪事でも、インチキでも手を染める時や、

まわりの人を踏み台にして、自分だけ欲しいものをもぎとろうとする時だ。

前者は、一瞬勝ち組になったりもするが、結局、自分の過去に

足を引っ張られ、到達点につく前に自滅してしまう。

後者は、やはり力づくで他人をつぶしていると、はじめの段階では

到達点に近道したように感じられるが、結局、踏みつけた分は、

利子をつけて返ってきて、本当の意味で栄光や夢をつかむまでは至らない。

では、どうやって欲望を成就させればいいか。

それは、自分の欲に誠実になることではないだろうか。

よく、「無欲の勝利です」などとスポーツ中継されたりするが、

まさに、ほんとうに欲望を達成する時は、無欲でただひたすら

がんばっている時に起こるような気がする。

もちろん、目標に向かっての方法論は必要だ。

そこで、自分なりの方法をたて、悪事や他人を踏みつけることを考えるのではなく、

自分を切磋琢磨して、自分の中でたゆまぬ努力をしていく。

それだけでいい。それ以外の他人をつぶしながら手に入れた欲望は

必ず顔にでる。そして、必ず人生にでる。

ほら、あなたのまわりにも、もう顔に出ている人がいるでしょう。

身近な人の言葉

(今日のコトバ)

 

ほんとうの師は、いつもすぐそばにいる。

 

占いの先生、大企業の社長、成功した有名人、、、、、。

自分とは遠くの世界で生きている人を尊敬したり、奉ったりするけれど。

遠くにいる人は、最大公約数の解決法を話しているだけで、

けしてあなたのために言葉を伝えてくれるのではない。

自分の価値観を声だかに講演したり、お金のために適当なことを予言してくれる。

ただ、他人の芝生ではないけれど、遠くの人の声の方が

実はよく耳に届いているだけなのだ。

年をとってくればくるほど、大先生の凄い言葉を

もう子供のころ、親にいわれた、親友にいわれた、先輩にいわれたと気づく。

そう、ほんとうは身近にいる人が、いい言葉、警鐘、行方を暗示する伝言の

すべてを自分の耳元で伝えてくれているのだ。

嘘だと思うなら、今日から自分の身近な人の言葉を

注意深く聞いてみよう。

思わぬ人がいいことを話してくれている。

思わぬ人があなたのことを考えてくれている。

外へ一歩

(今日のコトバ)

 

街に出るから、

人生はエンターテインメントになるのだ。

 

 

家にいても情報は得られる。

ゴロゴロしても一日は暮れていく。

自分に鍵をしめてしまえば、プレッシャーもうけない。

人間には、個人の生き方の自由がある。

ただ、体から感じる愉しみは、

外に出て、街を歩いて、好きなものを見つける行為を

忘れていてははじまらない。

自由とか、快楽とか、幸福とかを満喫するためには、

街に出ていった方が圧倒的味わえる。

あらゆるエンターティンメントは、

街に落ちているのだ。

もし、外に出ることが億劫になったり、

人生がつまらなくなったら、

外へ、街へ、とりあえず出てみよう。

人はめんどうくさがり屋なので、

一歩が踏み出せなくて、

愉しくない日々をおくっていることもあるのだから。

未来の扉を開ける瞬間

(今日のコトバ)

 

さよならは、

未来に向かうためのピリオドです。

 

 

別れは、人にとって寂しい記憶だ。

ひとつの出会いが終り、喪失感が込み上げてくる。

しかし、その別れあるからこそ、想い出に終止符を打ち、

新しい扉を開くことができる。

別れは、分かれでもあるのだ。

この別れから、また、新しい歴史がはじまる。

また、新しい自分に出会えるかもしれない。

想い出は、美しくしまっておけばいい。

大切な記憶は、心の隅に飾っておけばいい。

ただ、さよならを告げた瞬間から、

もう新しい歴史がスタートしていることを忘れてはいけない。

別れは、未来の扉を開ける瞬間でもあるのだから。

次に活かせばいい

(今日のコトバ)

 

点数で泣いても、経験が笑っている。

 

 

 

人生のさまざまな場面で、

「あと1点に泣く」ことがあったはずた。

数字の話ではなく、もう少しで負けてしまった時のことだ。

限界に挑戦して、猛然と戦って、死ぬほど努力して。

結果的には、負けてしまった、、、、、、。

ただ、この負けを結果だけとらえて、

ネガティブになる必要ない。

人生のターニングポイントになる場面で負けてしまえば、

すべてが終ってしまったような気になることもわかる。

だが、負けはしたものの、そこまでかんばったことは、

確実に身についているはずだ。

負けた瞬間に失ってしまうものでは絶対にない。

財産ともいうべきその経験を、

次に活かせばいいのだ。

積み重ねた修練は、体が忘れない。

その忘れないものを、新しいテーマに注ぎ込めばいいのだ。

人は、「あと1点に泣く」ことで進歩しているのだ。

心を汚さないために

(今日のコトバ)

 

悪い奴は、金の近くに住んでいる。

 

人生は、お金だけではない。

ただ、お金のまわりに人は集まっていく。

特に、悪人ほど番人のようにお金のそばにいる。

お金を求めて、その番人のところへいってしまうと、

身ぐるみはがされ、酷いめにあってしまう。

ほどほどの距離で、ほどほどの付き合いを肝に命じよう。

お金が悪いのではないが、お金だけを求めて生きると、

心が汚れていくことに鈍感になる。

その心を汚さないために、夢や愛があって感動や快適がある。

お金と引き換えにしても守らなければならないものを、

きちっと心にもっておこう。

人生は、心の命ずるままに歩いていくのだから。

幸福と不幸のリズム

(今日のコトバ)

 

幸福は、ときどき人の不幸の上に立ってしまうから、

長生きしないのだ。

 

 

 

勝者に幸福があれば、敗者には不幸がある。

他人を犠牲にして、自分が獲得することがある。

幸福と不幸は、天秤のようにどちらかが上がれば、

どちらかが下がる。

どちらか一方が続きすぎると、人間が生きていけなくなる。

そう考えてバランスがとられているような気がする。

忍耐力がどれほどある人間だって、

次々に不幸が訪れればまいってしまう。

反対に、幸福ばかりでも幸福の価値がなくなり、

毎日の生活に感動がなくなってしまう。

よくできたものなのだ、幸福と不幸は。

幸福になったと思った時は、思いっきり喜ぶ。

でも、不幸になったからといって、悲しむだけでなくてもいい。

基本的に長続きしないし、幸福が訪れた時に感動は二倍になる。

そして、この幸福と不幸のリズムがあるからこそ、

人生がおもしろくなっていることを忘れずに生きてみよう。

もつべきものは元気

(今日のコトバ)

 

元気は、嫌気をはね飛ばす盾になるのだ。

 

 

仕事をする時、依頼された時など、

自分が好きでないものだと嫌気がさして、

手を抜いたり、時間を守らなかったり、

いい結果が出ないように努力してしまう。

嫌いなものだからしょうがない、という気持ちにもなる。

ただ、世の中とは不思議なもので、

嫌いなものがお金になったり、かけがえないものだったりする

可能性が高い。とすると、モチベーションによっては、

作業をすることが不幸と一緒に時間を過ごすようなものになってしまう。

できれば、気分が悪くなる不幸な時間などない方がいいに決まっている。

では、どう嫌気から自分を救うか。

それは、空元気でもいいから元気に作業にあたること。

元気にトライすると嫌なことが小さく見える。

もっというと元気にはじめると、やっている最中におもしろくなる。

おもしろくならないまでも、コツを覚えたり技術をマスターすると、

大変だと思った作業がたいしたことでなくなることもある。

つまり、はじめる前に元気を忘れずに持ち込めば、

大概のことは不快にはならずに遂行できる。

もつべきものは、元気。

元気は、前進するための原動力なのだ。

感謝が先にある

(今日のコトバ)

 

感謝できればできるほど、

人生はツイてくる。

 

心の底から「ありがとう」と思えることがいくつあるだろう。

あの人がいてくれて「ありがとう」と思えることがいくつあるだろう。

人は、いいことがあった時に人は感謝している。

つまり、感謝できることがある時、

必ずいいこと、必ずツキがあるのだ。

恵まれた人生、運がある人生をおくる人は、

すべからず何かに感謝している。

最初は、いいことがあったから感謝したのかもしれない。

だが、逆にいえば感謝しているからこそ、いいことが起こるともいえる。

運とか、ツキとか、いいこととか、

自分にメリットがあった方にばかり気がいってしまうが、

ほんとうは感謝が先にあるのかもしれない。

だから、自分の環境に感謝してみよう。

いま、ここに生きていることに感謝しよう。

まわりにいる人々に感謝しよう。

感謝できるところから運は訪れ、

感謝できるところから人生はツイてくるから。

臆病を持病に

(今日のコトバ)

 

臆病は、人間の命を守るための病気です。

 

 

臆病者は、蔑称ではない。

生きるために正しくレーダーをはれる人間の

カテゴリーネームなのだ。

もし、人間に臆病機能が備わっていなかったら、

危険な行動を起こす者が氾濫し、

死者も膨大に増えてしまうだろう。

極端な例を示しているようだが、

実際、臆病になることを失った人類を想像してみよう。

かなり厄介な世の中になると思う。

ただ、人生の岐路で「臆病になるな」と、

先達者に叱咤激励された経験は誰にでもあるはずだ。

それは、あまりに自分を大事にしすぎて

前へ出れない人間の背中を押すためのエールなのだ。

だからこそ、臆病という病を持病として持ち続けよう。

英雄には、臆病者が多いという話もある。

人生を危機から救うために、

そして、人生をしっかりした軌跡で生きていくために。

臆病であることがとても大事な機能なのだ。