わかりにくさに嘘がある

(今日のコトバ)

 

極めれば、単純になる。

 

 

 

技術を身につけるために、切磋琢磨し、熟練されたものは

すべからく単純になる。

世の中の技術・商品・行為で、

わかりにくく伝えられているものは、偽物と判断していい。

わかりにくくしていることで、人を騙し、心をあざむき、

悪い奴らが利権を得ようとしているのだ。

「これは私にしかできない」を疑え。

難しい言葉を使い、優しい笑顔で近づいてくる人物を疑え。

あなたが理解できなければ、きっと、嘘の何かが隠れているはずだ。

怒りよ、ちょっと待て

(今日のコトバ)

 

一秒おけ、一分おけ、一時間おけ、一週間おけ。

それでもダメなら一年おけ。

アタマにきたものは、みんなカラダから抜けていくから。

 

 

 

 

若い時ほど瞬間的に怒ることはなくなったが、

いわゆる「アタマにくる」という状況は、

毎日の生活の中で必ずあらわれてくる。

そして、この数えきれないほど「アタマにきた」ことによって

学んだことがある。それは、誰かに怒るとソンをすることだ。

例えば、激情した場合。

いままで築きあげた関係が一瞬で壊れ、二度と元に戻らない場合がある。

戻ったとしても、ぎくしゃくした付き合い方になってしまう。

例えば、勘違いの場合。

怒った後、得た情報が間違えだと気づき恥ずかしい思いをする。

面と向かって怒ってしまえば、すぐにアタマを下げて謝らなければいけない。

例えば、辞めてしまった場合。

あまりの怒りに行動を辞めてしまった場合、ゴールをみずにレースを終えてしまう。

完成を知らずに、達成感もなく、行動がストップするということは、

生きるテーマを失ってしまうことでもある。

それに引き換えトクをすることは、皆無に等しい。

あるとすれば、一瞬胸がスッとすることぐらいだ。

でも、その後の嫌悪感もまた覚悟しなければならない。

つまり、「アタマにきた」怒りをストレートにぶつけるのは

人生の停滞をまねいてしまう。人生で作り上げたものが無くなってしまう。

もっと前へ、もっと高く、夢へ挑みたいのなら、

ちょっと待って、ゆっくり待って、じっくり待って、

「アタマにきた」ものが去って行くまで辛抱すればいいのだ。

モジトルは美しい

英語でもなく、フランス語でもなく、

イタリア語でもなく、ハングル語でもない。

新しくて聞き慣れない言葉が約半年前、この世に生まれた。

モジトル。

西洋の書道といわれるカリグラフィーを、

斬新な現代の発想で表現するアーティスト集団の総称である。

基本的に西欧の歴史上の名言などを、

ダイナミックにビジュアル化していく芸術。

しかし、このアーティスト達は、個々の才能をいかんなく発揮し、

まったく新しい芸術として作品を発表している。

まずは、言葉。西欧の名言はもちろん、オリジナルの言葉も

作り上げ過去の財産に頼ることなく、未来に向けて想像の翼を広げている。

そして、カリグラフィー作品。イラストとも違う、レタリングとも違う、

美しさだけをキーワードに、アーティスト個々の作法で表現されている。

メディアが発達した弊害で、商業主義、マーケティングが徹底されたことで、

新しい表現を目にすることは少なくなったが現在、

モジトルの作品には新鮮に驚いてしまう。

さらに、モジトルのウェプサイトでは、写真家、ミュージシャン、

コピーライター、教師など様々な分野の賛同者とコラボレーションしている。

ともあれ、百聞は一見にしかず。

www.mojitor.comへアクセスしてほしい。

あなたに新しい世界が広がるかもしれない。

普段の中に真剣勝負を

(今日のコトバ)

 

勝ちぐせではない。勝負ぐせをつけておけ。

どんな時も平常心で戦うために。

 

 

 

勝ちたい、勝ちたい、勝ちたいと思うと気負って負けてしまう。

怖い、呑まれてる、不安だと思うと実力を出し切れず負けてしまう。

いずれにしろベストパフォーマンスができず、

思い通りの結果が出ずに終わる。

もっている能力を100とすると、きちんと100を出せずに

戦ってしまったことになる。

では、この100を出すためにどんな準備をしたらいいのだろう。

それは、常に本番の用意をしていることではないだろうか。

練習を本番の試合ように。受験の前の模擬試験を本番の入試のように。

社内打ち合わせを本番のプレゼンテーションに。

勝負は実力だけでは決まらない。政治の力で決まることもある。

談合の力で負けることもある。縁故の力で落とされることもある。

そして、運の力で左右されることもある。

社会に出れば、無敗で生きていくことできない。

でも、勝負なら自分の力を100%出し切って戦いたい。

ならば、普段の中に真剣勝負を持ち込もう。

本番をつくろう。場慣れさえしていれば、

結果はどうあれ、平常心をもって自分のベストで戦えるはずだ。

悲しいけれど冷静に、不幸だけどまっ白な

(今日のコトバ)

 

人間は、喪失感の中だけで真実がわかる。

 

 

 

失ったり、無くしたり、寂しくなったり、孤独を突きつけられた時、

今まで自分がいかに理想の形で成り立っていたかを、

純粋な気持ちで知ることができる。

あなたのまわりを彩るたわいもないこと、

近くにいてくれた人、あたりまえだった健康、

まとわりついて離れないペット、駐車場で毎日待ってる車などなど。

失うと、去っていったものを愛おしさだけを、

悲しいけれど冷静に、不幸だけどまっ白な気持ちで見つめ直せる。

真実は惰性や快楽にまぎれて、

その正体を隠していく。

だからこそ、何かを喪失した時に

正体をあらわす真実をしっかり把握しよう。

その経験は、本当に大事なことを大切にしようとする。

そして、きっとあなたが大切なものを失いかけた時、

この経験が生きてくる。

真実はここにあるよ、とあなたを導いてくれる。

リーダーの意識の下に

(今日のコトバ)

 

動かぬボスはいらない。

動くリーダーが必要だ。

 

 

 

席から一歩も動かない。口だけで何も実行しない。

職権を乱用して私腹を肥やしている。

あなたの部の一番窓側の席にもいないだろうか。

ボスという名の給料泥棒が。

一昔前、バブル以前の社会なら、

人より偉くなることは、人より楽をすることと、

勘違いしていたかもしれない。

しかし、グローバルスタンダードの世の中になった

現代では、ポストにつながろうとする社畜は、

まったく必要とされない。

仕事に対して自らが足を運び、自らが決着をつける

リーダーがいればいいのだ。

そして、リーダーの時代になったいま、

現場をまかされているビジネスマンのすべてが、

リーダーでありリーダーにならなくてはいけない。

考えようによっては、現代の方が上司の腰巾着になって

仕事をするより、よっぽどいい時代になったかもしれない。

外資企業の管理職がプレジデントの下に、

バイスプレジデントしかおいていないように、

現場とトップだけで構成される時が、もうそこまで来ている。

あなたもリーダーとなるべく日々研鑽すべきではないだろうか。

心があってありがとう

(今日のコトバ)

 

光よりも速く、太陽よりも暖かく、青空よりも優しいもの。

それは人の心だ。

 

 

 

感動とか、感激とか、感謝とか、恋なんかもそうかもしれない。

一瞬で震えたり、熱くなったり、穏やかになったりする、

心が動いて起こるあらゆるものは、

自然の世界では算出できない素晴らしさをもっている。

サッカー日本代表がワールドカップ出場を決めたゴールの瞬間に

襲ってくるマッハの速さの感動、感激。

感謝し嬉しくて、ありがたくて涙したときの震度8クラスの震え。

愛する人に告白するときの体温計では感知されない体温の上昇。

それらの心の動きの中にこそ、感情という動物が大勢住んでいる。

そして、心が動くことで、夢が生まれ、愛が育ち、

幸せを手に入れることができる。

心があってありがとう。人生は心のおかげで想像を超えておもしろい。

映画 モーターサイクル・ダイアリーズ

その革命家は、医者を目指していた。

その革命家は、風貌に似合わず喘息もちであった。

その革命家は、社会の底辺で暮らす人々を救おうと思った。

その革命家は、アルゼンチン人なのにキューバ革命を戦った。

その革命家は、革命家として一生をまっとうした。

その革命家は、チェ・ゲバラといった。

彼のことを知らなくても、その革命家として、いや歴史上の人物として

他の追随を許さない美しい風貌は目に焼きついているはずだ。

いまだに書店へいけば写真集や自伝が陳列され、

街では共産主義国でもない日本で顔入りの赤いTシャツを着る若者がいる。

埼玉スタジアム2002では浦和レッズの応援で、

彼の顔がビッグサイズの旗になってふられている。

共産主義革命の中で、

思想だけで洗脳されず、言論だけで凝り固まらず、

私利私欲だけで動ごかない、壮大なるロマンチストだと思える人。

現代史の教科書の中で、

とりたてて大きな紙面をさかれない革命家なのに

彼は圧倒的な存在感をもち21世紀の今も僕らの心に生き続ける。

そんな彼が、まだ革命家になる前、医学生時代に南米大陸をバイクで旅した

記録を映画化したのが「モーターサイクル・ダイアリーズ」だ。

彼のイメージしか知らない僕は、あまりにも彼の生い立ちとのギャプに

少々面食らった。キューバ人ではなくアルゼンチン人。

ゲリラの卵ではなく医者の卵。

頑強な肉体の持ち主ではなく喘息持ちの青白い青年。

ただひとつ予想通りだったのは、社会の底辺で生きる人々を救おうとする心。

普通の人間なら、いやらしい偽善者にみえるのだが、

彼はその救おうとする心が壮大なるロマンにみえてしまう。

まだ学生のころ、なんの権力もなく、なんの金もないく、

無駄な若さだけがあり余っていたいた頃、

四畳半の友人の部屋で語ったあの気持ちを思い出す。

「このままの日本ではいけない。もっと、海外の人を受け入れなければ、

国際社会の一員とはいえない」

「いまここで酒を飲んでいることさえ浪費だ。みんなで金をためて

食べることさえままならない発展途上国の人々に物資をおくろう」

「いやそのレベルでは甘い。海外青年協力隊に参加して

苦しんでいる人々に技術を教えてあげよう」

「個人で動いても仕方ない。政治家になってこの国を動かす。

世界一のODA国家にしてみせる」

狭い空間で延々と議論した。

しかし、次の日が来ると、あたりまえのように腹が減り、

安い定食屋で日替わりの大盛りを頼み、合コンの話でもりあがるのだった。

この映画は、チェ・ゲバラが旅をするうちに、社会のひずみ、貧富の差、

病気をもつ者への差別に心を痛め、自分の中に内包する正義感、

理想社会実現への夢が芽生えはじめたところまでを描いている。

僕らとレベルが違うかもしれないが、

学生時代に誰しも持っていた純真な気持ちを思い出させてくれる作品だ。

ぜひ、若き日の純真を思い出したい方におすすめします。

志を大志にして

(今日のコトバ)

 

生きる道が違ってきたら、

生きる顔が違ってきた。

 

 

 

志した瞬間から人は変われる。新しい目的を捉え、

新しい道を歩き出せば、志が雰囲気を変える。

同じ志をもつ何かも引きつける。

そして、志した人自身の顔を変えてしまう。

志を表現した顔は、志通りの行動を生み、

人生の大志を貫徹できる。

自分の生き方の方向性が定まったら、

その道を思い切り邁進しよう。

スタートは不安がいっぱいだが、

信念をもってデコボコ道でも歩き続ければ、

やがて、あなたの思い描いた約束の地へたどり着くはずだ。

さあ、志を大志にしてあの場所まで行ってみよう。

ちょっと足を動かせば

(今日のコトバ)

 

つまらないとつぶやいた時、

あなたの足は止まっている。

 

 

 

「つまらない、何かいいことないかな」

と、口にしてつぶやている時って、誰にでもあるはず。

当然、まわりに楽しい出来事がなく、なんとなく、

刺激のない日々が続いているからだと思う。

でも、少しだけ自分の状況を考えてみてほしい。

つまらない時って、何も行動していない時ではないだろうか。

自分からのアクションを仕掛けてない時ではないだろうか。

つまり、「つまらない」のは自らまねいた結果だと思うのだ。

ならば、目標をつくって、アクションを起こせばいい。

ちょっとドキドキすること。ちょっと上達したいこと。

ちょっと企画してみたいこと。ちょっと挑戦してみたいこと。

ちょっと、ちょっと、ちょっと、、、。

小さなことでいい。ほんのちょっとだけ足を動かせば、

「つまらない」なんて言葉は忘れてしまう。

健康な人が健康な時、健康という言葉を忘れてしまうように。

さあ、ちょっと足を踏み出そう。ちょっと行動を起こそう。

明日、「つまらない」という言葉があなたから去ってしまうように。