本日より、数日間、「コトバザウルス」にアクセス
できなくなりました。こちらのミスで大変申し訳ありません。
復旧次第ブログでお知らせしますので、
どうか見捨てずに長い目でみてやってください。
ちなみに「今日のコトバ」は、
ブログの方で毎日更新していきます。
よろしくお願いします。
(今日のコトバ)
キミは、愛されるために生まれてきたのだ。
今日を生きるためのコトバ
本日より、数日間、「コトバザウルス」にアクセス
できなくなりました。こちらのミスで大変申し訳ありません。
復旧次第ブログでお知らせしますので、
どうか見捨てずに長い目でみてやってください。
ちなみに「今日のコトバ」は、
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よろしくお願いします。
(今日のコトバ)
キミは、愛されるために生まれてきたのだ。
(今日のコトバ)
気は遣うもの。
遣わなくては気づかれなくなってしまう。
あまり気ばっかり遣うのも大変だけど。
自分が生きる社会の中では、
あるていど気を遣うべきだと思う。
気を遣っていれば仲間も相手も、
自分に対して気を遣ってくれる。
反対に全く気を遣わないと、
相手もいざという時、我関せずの態度をとるだろう。
日頃からコミュニケーションをとらないと、
ここ一番では頼りにならないのだ。
「かまわないでくれ」といっていても、
それは必要以上に触れてくれるなということであり、
気を遣うなということではない。
いま、自分のまわりがコミュニケーション不足だと思ったら、
ちょっとだけ気を遣おう。
たまに気疲れすることがあっても、
人生で損することはないと思う。
(今日のコトバ)
ケンカにも、非常口をつくってあげる。
腹が立ってケンカしたい時は、
生きていれば様々な場面である。
怒鳴りあったり、殴ったり(暴力はいけません)、
理性の枠から感情が飛び出してしまう。
俗にいうブチきれた状態になってしまう。
感情をノーコンにすると、
人は人ではなくなり獣になってしまうのだ。
ケンカにもどこか許しあえる
扉をつくって、自分も許してもらえる、
相手も許してあげられる状況をつくろう。
ケンカは、戦争ではない。
一時的に感情同志がもつれあう台風のようなものだ。
終った後、嫌な感情を吐き出し、
爽やかな気持ちになれることが、
実はケンカの醍醐味だったりする。
たから、ケンカをしてもいい。
ただし、感情のしこりが残らないよう
心の非常口を開くのを忘れずに。
(今日のコトバ)
不健康なカラダだから、
健康に生きられる。
ひとつ持病をもつことが、まったく健康より、
健康的に生きていけることがある。
たしかに子供の頃のように、
怪我はあれどどこにも痛みもなく、
脅威の回復力をもっていると、
無理や無謀なことを平気でやってしまう。
大怪我や大病しないとわからない人もいる。
若さゆえに暴走することだってある。
ただ、慢性的な持病をもつと生き方は変わる。
まず、その疾病とどうつきあうかから
日々の暮らしを始めなければならない。
それは、けして悪いことではなく、
一日、一ヶ月、季節、一年にペースをつくり
カラダを大事にする習慣をつけてくれるのだ。
だから、人はちょっと不健康ぐらいでちょうどいいかもしれない。
健康すぎると自分の限界点をすぐ忘れてしまう生き物だから。
(今日のコトバ)
終わったことを後悔しろ。
思いっきり後悔しろ。
その記憶が進化の種になるのだ。
「反省はしても後悔はするな」という。
だが、それは嘘だ。人は思いっきり悔しくて、
思いっきり後悔したところから、
次の戦いへのテーマを見出す。
後悔を心からできない人間に、
まともな反省などできるわけがない。
「悔しい」と本気で感じ、
怒りや興奮がわき上がったところから
失敗を成功に、敗北を勝利に導こうとする
パワーが生まれてくるのだ。
言葉に惑わされず、かっこ悪くても後悔しろ。
後悔すれば、自然と次の打開策という反省がはじまる。
それこそが、進化の、成長の源になるのだ。
(今日のコトバ)
緊張している時は、
人生の舞台がまわってきている時だ。
心臓がバクバクして、気持ちが高揚している。
手に汗を握りながら、落ちつかない。
緊張している時は、本来の自分を見失いそうになる。
だが、その緊張の場面を思い出してみよう。
試合、試験、面接、告白、、、、。
すべてが自分がチャレンジする時に、
体に起こる現象だ。
つまり、人生の大舞台に直面している時に
起こる体の異変なのだ。
だとしたら、緊張をポジティブに受け止めよう。
緊張がはじまる、それはチャンスがはじまっているのだ。
さらに、緊張している時は、自分の最高を
表現しようとしている時に他ならない。
人は、緊張によって大きく成長しているのだ。
緊張よ、ウェルカム。
その後にくる進化を楽しむのだ。
(今日のコトバ)
競走は結果のために走る。
結果は人生のために走る。
人生は幸福のために走る。
勝ったり、負けたりしても、
最終的には幸せになれるかどうかだ。
日々の競走は、勝つために走るが、
ただ勝てば幸せかというとそうともいえない。
負けたから、もうプレッシャーから解放されて良かった
と思うことだってある。
数億円もの宝くじが当って幸運だと思っても、
その後、悲劇にみまわれるケースも知っている。
人生の目標は、あくまでも幸せになることだ。
ならば、幸せという観点から、
人生を見つめるクセをつけよう。
勝って幸せになれればそれでいい。
成功して幸せになれればそれもいい。
ただ、負けても幸せになることもある。
辛さの後の夢だって幸せのひとつだ。
とにもかくにも歩みを止めず生きていく。
生きていれば幸せなことに、
いくらでも出会えるのだから。
(今日のコトバ)
ころんだ先にも、道はつづく。
人生を歩いていれば、まっすぐな道ばかりではなく、
デコボコ道や砂利道、曲がり道、坂道、いろいろな道に出会う。
元気がよくて、天気がよくて、運気もよければ、
どんな道も気持ちよく歩いていける。
だが、鬱々としている時、考えごとをしている時、
お先真っ暗な時、ついていない時は、
足元の小石にぶつかったぐらいでころんでしまう。
ケガをして立ち上がれなくなる時もある。
しかし、人生の道は死なない限り、そこでは終わらない。
目の前にはまだまだ道がつづいていく。
つらくても立ち上がって、また、歩き出さなければならない。
ギブアップしてその場に座り込みたい時でも、
歩き出さなければ、いまある世界からとり残される。
ただ、反対に考えれば、ころんでも、ころんでも、
道はつづいていくのだ。明日への道はつづいていくのだ。
失敗してもいい。負けてもいい。休んでもいい。
スターティング・オーバー。
立ち上がる気持ちとあきらめない意志があれば、やり直せる。
もう一度、歩き出そう。
まだ見ぬ感動や成功が待っているかもしれない。