情が少なくなった時代だからこそ

 

(今日のコトバ)

 

人情や愛情などの「情」を

ケチってはいけない。

「情」はあふれるほど与えてこそ

伝わるのだ。

 

 

 

 

人の情という。

最近は、あまり聞かなくなった気もする。

特に、人情や愛情を

感じることが少なくなった。

自分自身が人情や愛情を

誰かに注いでいるかというと、

それも疑問だ。

言い訳をすれば、

情を必要とする場面が少なったともいえる。

その原因の多くは、

「メール文化になってしまった」

からのような気がする。

会わないでで解決してしまう。

しゃべらないで解決してしまう。

本音のないところで解決してしまう?

人と人とが顔を見ないで

コミュニケーションをとると、

情の生まれる場所が少なくなる。

昔、フェイス・トゥ・フェイスとは

よくいったもので、

よりよいサービスをするためには、

面と向かうことが基本だったはずだが、

そんなことは20世紀の遺産に

なったのかもしれない。

つまりは、顔を見て、

しゃべることが少なくなると、

人の情は生まれにくくなるのだ。

もちろん、メールの言葉で

救われることはある。

メールだからこそ許される、

メールだからこそ安心することもある。

ただ、その先の心模様のようなものは、

あまり感じることはなく、

必然的に情は生まれるなくなる。

仕方ないことかもしれない。

だが、人間は弱った時、

人の情に支えられたい生きもの。

面と向かおうが、

メールだろうが、

情は必要になる。

そして、その情は、

情が少なくなった時代だからこそ、

あふれるほど与えなければならない。

人間の心に情があることを、

しっかり伝えることで、

人間は安心して生きていける。

そのことを忘れてはいけない。