「いま」から「いま」へ

 

(今日のコトバ)

 

振り返るのはやめよう、

「いま」がもったいない。

 

 

 

人生を振り返る。

時々、人は自分の過去を

想い出したくなる。

時に、想い出すことも

心をいやす効能があるだろう。

ただ、振り返る時、

「いま」の自分がイケてないから、

過去ばっかり見つめてしまう時がある。

イケてないということは、

前進していないということ。

過去を振り返っている時は、

「いま」は使えてない。

「いま」という人生で一番貴重な時間を

使えてないのだ。

そう思うと、

振り返らなくても生きていける

生き方をしたい。

つまり、「いま」やることがある人生。

「いま」から「いま」へ。

やることが数珠つなぎである。

そうすれば、

振り返る時間はない。

人生は、短い。

「いま」を有効に使うことが

大切なのだ。

未来

 

(今日のコトバ)

 

過去はもう清書が終ったもの。

未来はこれから思いっきり

落書きができるもの。

 

 

 

振り返る過去は、

美しかったり、

優しかったりする。

時間の経過が

その時の事実よりも

美しいデコレーションをして、

いい思い出にすることもある。

あるいは、二度と思い出したくない

苦しい記憶、

辛い出来事があったかもしれない。

ただ、過去はもう過ぎ去った時間。

変えることはできない。

反対に、未来はまだ何もしていない時間。

いくらでも新しいことを創り上げられる。

もちろん、自分の生活があって、

何をしてもいいということではないことは

わかっている。

それでも、生活の中で新しいことを

創り上げられる。

そこを大切にしたい。

未来は、まだまっ白。

自分で創り上げられる。

自分のために、

自分らしい生き方ができる

可能性がある。

そのことを忘れてはいけない。

 

 

ケンカをしない選択

 

(今日のコトバ)

 

売られたケンカを

高価に買うのではななく、

相手にしないという振舞いで、

安く買いたたいてもいいんだ。

 

 

 

予期せぬところで、

あるいは、必然として、

人生の場面でケンカを

売られることがある。

どうしても、

そのケンカを買わなければ

ならない時もある。

だが、あえて買わなくてもいい時や

買いたくない時もある。

その時は、相手にしないで

ケンカを買わないという選択もある。

熱くならず、いちいち反応せず、

かわす、場合によっては、

逃げてもいい。

あえてケンカしない。

ケンカしないことで、

その後のコミュニケーションが

円滑に進んでいくなら、

その方を選ぶ。

生きていく上で、

ケンカをする、

ケンカをしないは、

大きな分岐点になる。

そこを意識して、

いい選択をしたいものだ。

 

相手にだけ完璧、潔癖を求めない

 

(今日のコトバ)

 

人生を潔癖にしずぎて生きると、

誰も寄りつかなくなって、

寂しい人生になってしまう。

 

 

 

人との付き合いに、

キレイなものを求めすぎる。

人間関係で清濁あわのむではなく、

清だけ求める。

といっても、自分の基準のキレイなものであり、

自分の基準の清でしかない。

相手にだけ完璧、潔癖を求めると、

自分がどんどん孤独になる。

人に完璧、潔癖を求めるがために、

自分が孤立することにもなりかねない。

そんな人がまわりに

一人ぐらいいるだろう。

人間関係は難しい。

自分の気持ちと相手の気持ちが

100パーセント合致することはない。

そこで、自分の意にそわない人、

自分の基準に満たない人を

避けてしまうと、

心を許せる人は数少なくなる。

人には、いいところもあって、

わるいところもある。

そこを理解しながら、

関係を良好にするのも

生きる知恵。

孤立せず、

寂しくならず生きる知恵。

人は人と支えあって生きていく

生きものなのだ。

 

 

嫌いなものを嫌いというのも処世術

 

(今日のコトバ)

 

「嫌いなものは嫌いだ」と

はっきりいった方が、

嫌われなかったりする。

 

 

 

人に気を遣って、

嫌いなものを嫌いといわない。

あえて、自分の意志をぼかし、

態度を鮮明にしない。

この社会を生きる処世術のひとつと

思っている人がいる。

ただ、どうだろう。

自分のまわりに態度を鮮明にしない人が

必ずしも好かれているかというと、

そうでもない気がする。

むしろ、鮮明でない分、

「何を考えているかわからない」と

思われたり、

「あいつ、風見鶏だな」と

いわれたりして、

いい印象を与えないこともある。

反対に、

嫌いなものは嫌いだと、

自分の意志を鮮明にする人は、

案外、嫌われない。

意志を明快にする分、

はっきりしていて、

わかりやすい性格とか、

サッパリしているとかいわれて、

好かれることも多い。

そう思うと、

嫌いなものは嫌いで意志を

はっきりすることも処世術。

ストレスなく生きて、

嫌われない、

一つの処世術。

どっちがいいか考えてみよう。

逃げずに立ち向かえ

 

(今日のコトバ)

 

逃げながらやろうとすると、

現場から遠くなる。

その分、時間がかかるし、

その分、労力を使うから、

逃げなかった人間より、

結局、しんどくなるのだ。

 

 

 

厳しい状況におかれたり、

苦手な問題をつきつけられると、

逃げ出したくなってしまう。

できるだけ、

その状況、

その問題を避けて、

遠ざかろうとする。

ただ、逃げて逃げきれるものは、

案外、少ない。

逃げても、結局、

解決しなければならなくなるので、

しんどい思いをすることになる。

であれば、

逃げずに立ち向かう。

逃げない分、

遠くに行かずにすむ。

立ち向かえば、

最速で解決することもある。

逃げないことは、

結局、しんどいことを

最低限で終わらすことができる。

そう思って、生きていいのだ。

意識して心の荷物を降ろす

 

(今日のコトバ)

 

背負って疲れるなら、

降ろして楽をしよう。

ほら、まだ、荷物をかつぎ過ぎている。

 

 

 

人は、知らず知らずのうちに、

荷物を持ち過ぎている。

世の中の、人間関係の、

重い荷物を持っている。

時に、その荷物が

自分の許容量を超えてしまうことがある。

バッグの荷物のように、

はかって、目に見えてわかるものは、

荷重オーバーがわかるのだが、

心の荷物ははかり知れない。

重すぎる荷物を

長く持ち過ぎていることだってある。

意識して心の荷物を降ろさないと、

心がいっぱいいっぱいになってしまう。

そこを忘れてはいけない。

「意識して心の荷物を降ろす」

忘れていると、

突然、自分に良くない変化を

及ぼすこともある。

心にも荷物があることも意識しよう。

努力を楽しむ

 

(今日のコトバ)

 

昔、努力は強制された苦しみだった。

今、努力は自由意志の楽しみになった。

それでいい、努力の意味は、

目的のために力を尽くすことなのだから。

 

 

 

昔、「努力をしろ!」といわれると、

かなりの強制感があって、

重石をつけられた気がした。

「訓練をして

時間をかけて一人前になれ。

苦しいことがたくさんあるから

覚悟しろ」

そういわれているような気がした。

だが、今の人たちは違う。

努力も選択している。

自分が選択する行為になっている。

だから、「楽しみたい」という人が

増えてきた。旧い世代にとって、

努力が楽しみながらできるとしたら、

こんな素晴らしいことはない。

ゆとり世代やさとり世代のアスリートに、

とてつもない怪物に育っているが、

この人たちは、きっと、

努力を楽しめていると思うのだ。

時代が変わって

昔とは違う概念のものがある。

昔は許されたが、

今は許されないものがある。

昔は許されなかったが、

今は許されているものがある。

努力も概念が変わった

一つかもしれない。

楽しんで訓練、修練できたら、

人生の楽しい時間は増えていく。

できるなら、今を生きる人は、

努力を楽しめるようになるといい。

人生がもっと幸せな気持ちで

過ごせるようになるはずだ。

最高傑作はNext One

 

(今日のコトバ)

 

最高傑作だと思っても、

時間がたつと

ただの作品になることがある。

それは作品の問題ではない。

自分が成長したから、

傑作がただの作品に

思えるようになったのだ。

 

 

 

 

自分が作った作品を、

何か月、何年かして見返すと、

粗が見えたり、

稚拙に思えたりする。

時間が冷静な分析を

させてくれるようになったともいえる。

作っている時は、

熱くなり過ぎていたので、

落ち着いてみると、

ベストではなかったと思ったりする。

ただ、懸命に作った時点では、

最高傑作を作ったはず。

では、なぜ粗が見てくるのか。

それは、懸命に力を発揮して、

完全燃焼した結果、

自分が成長したからに他ならない。

成長して実力がその作品を超えたのだ。

そう思うと、

自分の作品の足りないところが見えても

あたりまえになる。

そして、だからこそ、

次の作品は最高傑作でなくてはならない。

チャップリンがいうように、

「最高傑作はNext One」

そう信じて作品をつくるのだ。

叶うまでの距離は、少しずつ

 

(今日のコトバ)

 

少しずつだけど良くなっている。

少しずつ、少しずつ、少しずつ。

良いことは、少しずつ自分にとって

良くなるのだ。

 

 

 

願ったことが突然出来てしまったら、

それは素晴らしいことだけど、

ほとんどの場合、

そうはいかない。

紆余曲折、一進一退、スランプあり、

敗北感ありの道をたどりながら、

願いを叶えていく。

「今日こそ、今日こそ」と

願いが叶うことを考えているのだが、

叶うまでの距離は、

少しずつしか縮まらない。

反対に、少しずつだが、

手を抜かなければ前進しているともいえる。

その少しずつを理解して生きていけるか。

理解して切磋琢磨していければ、

願いは叶う。

理解できずにあきらめてしまうと、

願いは叶わない。

いってみれば、それだけの差。

できれば、

「少しずつ前進している」ということを、

自分の意志の最先端において、

頑張っていく。

そこを忘れないで生きていければ、

願いの叶う素晴らしい人生に

なるはずだ。