いい人でない時間を生きる

 

(今日のコトバ)

 

いい人というレッテルを貼られて、

いい人を期待通り演じていると、

いい人も有給休暇をとりたくなります。

 

 

 

どこにでも一人ぐらいいるだろう、

いい人といわれる人。

ものわかりが良くて、

基本的に怒らなくて、

笑顔に近い表情でいる。

まわりから、

「いい人だからなぁ」と

いわれている人。

ただ、そんないい人も、

知らず知らずのうちに

いい人を演じてしまっていることもある。

そこまで怒らないではいられないけど、

あえて怒らずにいる。

そこまで笑っていられないけど、

あえて笑っている。

まわりからのいい人というレッテルを

演じてしまっている。

だが、そんないい人も

どこかの沸点に達すると、

突然キレたりする。

まわりのいい人という眼に

自分が合わせていって、

本当の自分と乖離したいい人という

自分を演じてしまっているのだ。

そう思うと、

いい人にも限界がある。

あまりに自分でいい人を演じている人も、

まわりでいい人といわれるっている人も、

必要以上に、

いい人というレッテルを

貼り過ぎないようにする。

もっといえば、

いい人といわれた自分にも、

ちゃんと休みをあげる。

いい人ばかりではない自分を

さらけ出していい。

人は、いい人ばかりでは

生きていけない。

時に、本当の自分で生きていく。

長い人生を生きるには、

大切なことだ。