嫌いなものを嫌いというのも処世術

 

(今日のコトバ)

 

「嫌いなものは嫌いだ」と

はっきりいった方が、

嫌われなかったりする。

 

 

 

人に気を遣って、

嫌いなものを嫌いといわない。

あえて、自分の意志をぼかし、

態度を鮮明にしない。

この社会を生きる処世術のひとつと

思っている人がいる。

ただ、どうだろう。

自分のまわりに態度を鮮明にしない人が

必ずしも好かれているかというと、

そうでもない気がする。

むしろ、鮮明でない分、

「何を考えているかわからない」と

思われたり、

「あいつ、風見鶏だな」と

いわれたりして、

いい印象を与えないこともある。

反対に、

嫌いなものは嫌いだと、

自分の意志を鮮明にする人は、

案外、嫌われない。

意志を明快にする分、

はっきりしていて、

わかりやすい性格とか、

サッパリしているとかいわれて、

好かれることも多い。

そう思うと、

嫌いなものは嫌いで意志を

はっきりすることも処世術。

ストレスなく生きて、

嫌われない、

一つの処世術。

どっちがいいか考えてみよう。