幸せは、そこはかとなく醸し出る

 

(今日のコトバ)

 

しあわせに生きることが、

いちばんオシャレだ。

 

 

 

なんだかんだいっても、

幸せに生きている人が

いちばんステキだ。

はた目から見ても、

自分自身も幸せだと思える。

そんな人生がおくれたら最高だ。

もちろん、はた目から見て幸せそうでも、

実際は違うこともあるし、

自分自身がどこで幸せの

線引きをするかにも違う。

ただ、そこにいて、

幸せな人はわかる。

やっぱりどこかに

幸せオーラのようなものがある。

そのオーラの中に幸せの本質が

あるように思える。

幸せは目に見えないものだから、

断定はできない。

だが、どこかに幸せがあるとするなら、

そこはかなく醸し出すものの中に

幸せはある。

幸せを満喫している人は、

そこはかとなく醸し出す。

そう思えてしまうのだ。

点差は、目標と未来になる

 

(今日のコトバ)

 

敵に負けた点差に未来がある。

点差をつめて、

点差を超えたところに未来がある。

 

 

 

負ける。

点差をつけられて、

負けてしまう。

悔しい。

点差が現実を突きつけてくる。

才能の差、

実力の差、

運の差のすべてが、

点差となって現れる。

悔しい。

だが、この点差からくる悔しさは、

考えようによっては目標になるし、

未来になるともいえる。

「この点差を縮めるために、

努力する」

そう思えれば、

これほどわかりやすい目標も未来もない。

戦いの後の点差を必ず

次のテーマにする。

どう点差を詰めていくか。

どう点差を逆転していくか。

そこに向けて切磋琢磨する。

それこそが目標と未来になる。

そう思うと、

負けて点差がつくことも、

人生の目標設定という意味では、

いいものだと思う。

人間は、しんどい人生を笑って生きる

 

(今日のコトバ)

 

人間は笑いがなければ、

これだけしんどい人生を

生き抜くことはできなかった。

 

 

 

笑う生きものは人間だけという。

きっと、人間には、

いろいろな気持ちがあって、

笑いがなければ生き抜けなかったのだろう。

悲しみ、怒り、寂しさ、苦しさ、

人間にとってしんどい気持ちはたくさんある。

その気持ちに対して、

笑いという一撃でリラックスさせる。

もし、笑いがなかったらと考えると、

ちょっとゾッとする。

簡単に考えている笑いも、

として大切なもの。

自分のまわりで笑わせてくれる人、

テレビで笑わせてくれる人、

自ら笑いをつくる人、

みんなみんな生きていくために

貴重なのだ。

いま、生きることがしんどい人は、

まず、笑える環境を探せ、つくれ。

とにかく笑って、笑って、笑う。

そこにしんどさから逃れる道がある。

人間は、

しんどい人生を生き抜くために

笑いをつくったのだ。

凹んだ気持ちから、やる気、勇気、元気がわいてくる

 

(今日のコトバ)

 

凹んだ気持ちの中に、

勇気がいっぱい生息してる。

 

 

 

 

生きていれば、

凹んでしまうことは、

たくさんある。

人との諍い、

人から怒られる、

人から嫌われる、

人から孤立する等、、、、。

凹む原因のほとんどは、

人との関係から起こる。

ただ、この凹むという気持ちは、

問題が解決すると、

一気に治ってしまうものでもある。

問題の原因がわかり、

どう対処すればいいかわかり、

行動し解決する。

そこまでいけば、

凹んだ気持ちは治まっていく。

もっといえば、

凹んだ部分から、

勇気とか、やる気とか、

元気とかがわいてきて、

今まで以上にがんばろうと思うこともある。

だからこそ、

凹んだら、その問題をいち早く解決する。

解決すると、

それまで以上の熱い気持ちがわいてくる。

そう思って、

一歩踏み出すのだ。

相手ではなく、自分

 

(今日のコトバ)

 

空の青さは何も変わってないのに、

同じ色に見えないのは、

あなたの目の色が変わったからです。

 

 

 

いつも見ているものが、

いつものように見えない。

違ったように見える。

いちばんは人間関係。

昨日までは、

楽しく笑いながらやっていたのに、

今日になると、

無視されたり、

しかめっ面になったりして、

違った表情に見える。

人生にはあることだ。

それは、良くもワルくも

自分の行いが変わって、

相手がいままでと違った反応をする。

まずは、自分が変わってしまったことを

忘れてはいけない。

もちろん、イジメのようなことで

相手が作為的に変わった

アクションを起こすこともある。

だが、まわりが変わって見える時、

自分が変わっているということも

肝に銘じておくべき。

相手ではなく、自分。

そこに何かある。

そこを理解しないと、

昔と同じようには見ることはできない。

そう思うのだ。

臆病が危機を感知する

 

(今日のコトバ)

 

臆病者は、

人生の貴重品を肌身離さず持っている。

 

 

 

生きれば生きるほど、

臆病は人生を救ってれると思う。

臆病だから、無謀なことをしない。

臆病だから、敵をつくらない。

臆病だから、持っているものを手放さない。

臆病だから、、、、、。

簡単にいうと、ビビりだから、

危険なことをしないのが臆病。

もう少し説明すると、

臆病というレーダーが感知すると、

危機を避けて生きるということ。

若く、青春の日々では、

勇気がなく、挑戦者でもなく、

かっこワルいことこの上ないが、

それでも生きていくには、

臆病は大切な機能。

この臆病をちょうどいい具合に

身に着けて生きていけると、

人生は安心して生きていける。

人生は、戦うだけですまされない。

逃げたり、避けなければならない時もある。

その時、自分の中の臆病は

大きな武器になる。

そのことを忘れてはいけない。

あなたは、誰かの希望

 

(今日のコトバ)

 

 

あなたは、

誰かの希望として生まれてきた。

 

 

 

 

あなたは、

きっと、誰かの希望として

生れてきた。

両親や家族とよばれる人たちに

歓迎されて生まれてきた。

仮に、そうでない人がいても、

生れた後のあなたの存在が

誰かの希望になっていることは

たくさんある。

ということは、

あなたという存在は、

ほぼ必ず誰かの希望になっているのだ。

希望。

簡単に希望というが、

誰かの希望になることは、

とても大変なこと。

ちょっとやそっとでは、

希望になれない。

そう考えると、

あなたは誰かの

希望になれたということだけで

存在価値がある。

どこかで、誰かの

生きる喜びになっているのだ。

だからこそ、

あなたはあなたを

大事にしなければいけない。

「自分なんか、、、」と思う必要はない。

あなたは、かけがえのない誰かの希

望になっている。

そこを忘れずに生きていけば、

あなたもあたたかい気持ちで

生きていけるはずだ。

心の扉は、自分にも、相手にも

 

(今日のコトバ)

 

心の扉は、自分にも、相手にもある。

まず、自分の扉を開かなければ、

相手の扉が開くはずもない。

 

 

 

よく心の扉というけれど、

相手の心の扉を意識しているだけで、

自分の心の扉のことを

忘れていることが多い。

「なぜ、あの人は心の扉を開いてくれない?」

そう思っていることが多い。

だが、心の扉は自分にもある。

自分は心の扉をちゃんと開いているのか?

相手の気持ちを

引き出す行動をしているのか?

そう問いかけることをおろそかにしている。

心の扉は、自分にも、相手にもある。

そのことを忘れてしまうと、

コミュニケーションがうまくいかない。

相手の心の扉を開きたいなら、

まず、自分の心の扉が開かれているか、

そこを理解して行動する。

人と人とのコミュニケーションを

円滑にするために大切なことだ。

張り合いのある人生に、ライバルを

 

(今日のコトバ)

 

勝ち続ければ、感動は薄れていく。

負け続ければ、戦意が喪失していく。

だから、勝ったり負けたりする相手を選ぶ。

その相手の名をライバルと呼ぶ。

 

 

 

 

何が人生を楽しくしていくか。

もっというと、

どうやって、

人生をあきないように生きていくか。

それは、もう少しで達成しそうな状況が

自分にある時、

人生はとても楽しいと思う。

なんとかなる。

なんとかしたい。

絶対に勝ちたい。

絶対に成功させたい、、、。

そう思っている時は、

人生にあきることがない。

そう思うと、

自分にライバルがいると、

人生は楽しいものになる。

生きる張り合いも出てくる。

ライバルだと、

一方的に勝てる相手ではない。

もちろん、一方的に負ける相手でもない。

その勝てるか負けるか

わからないところで生きていける。

人生は、

とても張り合いのあるものになる。

だからこそ、人生にライバルをつくりたい。

楽しく、張り合いがある

生き方をするためにライバルが必要なのだ。

 

真実は、慎重に

 

(今日のコトバ)

 

真実は最後まで持っていろ。

そして、使う必要がなければ、

使わなくていい。

使わなくていい時ほど、

人生はうまくいっている。

 

 

 

嘘も怖いけど、

真実も怖い時がある。

真実をいってしまうと、

関係が終わってしまったり、

真実を知らない人が、

真実を知ってしまうと、

どれだけショックか考えると、

真実をいえない時もある。

そう思うと、

真実をいつもいつも

語る必要はないと思うのだ。

必要最低限に真実を伝える。

あえて真実が必要ない時は伝えない。

もちろん、真実を伝えなければ、

間違いが起こる時などは、

しっかり伝える。

真実があまり重いものにならなければ、

伝えるのもいい。

ただ、真実を伝えるのは、

慎重になるべき。

真実は、時に痛く、

時に辛いこともある。

できれば避けたい時も、

避けたいこともある。

その気持ちをくんで判断する。

相手の気持ちを思いやることも

大切だ。