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(今日のコトバ)
普通の人は、お金が足りないという。
お金持ちは、幸せが足りないという。
幸せな人は、普通がいちばんだという。
普通に生きている人は、
「もっとお金があったらいいなあ」と
思って暮らしている。
働けど、働けど、
何でも買えるほど稼げないし、
貯蓄もたまらない。
ただ、それでも仕事が順調だったり、
家族との団らんがあったり、
たまに外食したり、
晩酌できる暮らしは嫌いではない。
貧乏だがまあまあの暮らしだと思っている。
お金持ちは、お金はある。
買いたいものは、来年の税金は意識するものの
買うことはできる。
お金で解決できるものは、
何でも解決できる。
ただ、何かが足りない。
お金があるゆえの不安、
猜疑心、プレッシャー、、、。
お金持ちも大変だ。
そう考えると、
普通の暮らしをしている人も、
それほどワルい暮らしではない。
お金が潤沢にあるわけではないが、
まあまあの暮らしをしている。
普通の暮らしをしている。
つまり、それは、
幸せな暮らしをしている、
といっていいのではないだろうか。
人生は、人それぞれその人生がある。
お金があるにこしたことはない。
だが、お金持ちの暮らしも大変。
もっといえば、幸せはお金だけではない。
そう考えると、
まあまあの普通の暮らしも、
十分幸せな暮らしといえる。
年をとるとそう思うのだ。
(今日のコトバ)
みんなの意見を聞いていたら、
まったくおもしろくない提案に
なりました。
アイデアを提案する。
あれやこれや考えて、
いいアイデアをつくろうとする。
この時、大きなミスをすることがある。
独善的になって、自分のアイデアは
完璧だと押し通す場合。
あまりにもまわりの目を無視すると、
お門違いのアイデアをつくってしまう。
だが、それよりもっとワルいものがある。
ひとつのアイデアをみんなで吟味し、
みんなのアイデアを取り入れること。
せっかく、粗削りでも新しい芽があるものを
みんなで丸くして、つまらないアイデアにする。
みんなで吟味することが、
すべてワルいわけではない。
ただ、人が増えれば増えるほど、
アイデアは丸くなる。
なぜなら全体の平均をとろうとするからだ。
だからこそ、アイデアを決める時、
たくさんの人を介さない方がいい。
斬新なアイデア、いいアイデアのために、
人を増やして合議するのはやめよう。
(今日のコトバ)
あなたの失敗の数が、
あなたをかっこよくした。
あなたの間違いの数が、
あなたを美しくした。
失敗も間違いも、
すべてあなたに必要だった。
生きていれば、
たくさんの失敗と間違いをする。
失敗に傷つき、
間違いに頭を抱えたこともあっただろう。
だが、それら一つ一つの経験は、
人生で考えると自分の実になってきた。
失敗があったからこそ、
間違いがあったからこそ、
自分が成長した。
そして、いまの自分があるといえる。
だからこそ、
失敗や間違いを前向きに捉えよう。
その数が、
その一つ一つが人生の糧になる。
そう信じて生きていければ、
人生はもっともっと豊になるはずだ。
(今日のコトバ)
いつでも臆病。ときどき仮病。
健康優良児だけでは健康でいられない。
現代は、超ストレス社会。
オンラインが定着したといっても、
自宅まで仕事が追いかけてくる
世の中ともいえる。
仕事が目の前にあれば、
いつも元気でいられないこともある。
そんな時にカラダを傷めず、
心が折れないように生きることも大切。
例えば、少し臆病に生きてみる。
特に、カラダのメンテナンスは
早め早めがいい。
臆病なぐらいカラダの調子とチェックする。
心のバランスがよくない時は、
仮病ではないにしても、
少しぐらいズルく休んでもいい。
健康を意識する。
健康のふりをしないようにするのだ。
時に、ゆっくり。
時に、避けながら、
自分の心とカラダの調子を整える。
健康に生きるために必要なことだ。
(今日のコトバ)
人は小さいけれど
無数の幸せを持っている。
その幸せは、
いつか大きな不幸がやってきた時、
わがもの顔をさせないために、
力を合わせて守ってくれるんだ。
幸せを意識しない時ほど、
幸せな時だという。
たしかに、幸せを考える時は、
幸せな状態ではない気もする。
だが、幸せは思った以上にたくさんある。
一度、数えてみるばわかる。
あれもこれも幸せだと感じるはずだ。
無事、朝を迎えただけでも幸せ。
晴れただけでも幸せ。
食事がおいしいだけでも幸せ。
もちろん、その日に朗報があれば幸せ、、、。
無数にある。
仮に、よくないことが起こった時、
この幸せの数を思い返す癖をつけると、
ちょっとだけよくないことを
跳ね返せることができる。
幸せを数えて生きる。
人生のリスクに少しだけ役立つ行為だと思う。
(今日のコトバ)
勝利を目標にしてきたのに、
勝ってしまうと、
ほんとうの目標は、
幸せであることに気づいてしまうんだ。
何かに勝利したり、
何かを達成したりした。
その瞬間は、気持ちよかったり、
達成感があったりする。
だが、少し時間が経つと、
何だかむなしくなる。
そんなことがある。
勝ったのに、達成したのに、
状況は変わらず
自分以外が喜んでいない。
結果を出したのに、
何かが自分に届かない。
それは何か。
一言でいってしまうと
幸せになる。
喜んで、満足して、
望んだ状況にステップアップする。
まわりの人もこの状況を喜んでくれる。
そうなれば、幸せになれる。
勝利の、達成のご褒美が、
ちゃんと届いたことになる。
そう考えると、
あらゆる目標は幸せになることと
定義していい。
もし、その目標をクリアしても
幸せになれないなら意味はない。
目標クリア基準は、幸せになること。
そこを目指して生きていこう。
(今日のコトバ)
どんなに転んでも、
どんなに倒れても、
どんなに傷ついても、
立ち上がったら、
もう希望が前を歩いている。
人生は、いいことばかりではない。
転んだり、
倒れたり、
傷ついたり、、、。
つらい状況に陥ることは多々ある。
生きている以上、
人はそのたびに立ち上がってきた。
では、なぜ立ち上がれたのか。
それは、いつも希望があったからに他ならない。
何かのために、
誰かのためにという気持ちが、
希望につながっていたのだ。
そして、人の心は、
常に希望を求めるようにできている。
考えてみると、
どんな状況になっても、
どこかで希望を探している。
大きい小さい、
深い浅いあるかもしれないが、
それでも希望を探している。
だからこそ、
生きるための希望を大事にしよう。
どんな状況でも希望がある。
希望がついてくる。
そんな人生を
忘れずに生きていきたい。
(今日のコトバ)
誰もが昨日のプロフェッショナル。
そして、誰もが明日のアマチュア。
人は、現在・過去・未来を生きている。
正確にいうと、現在だけしか生きてはいない。
過去と未来は、生きていない。
ただ、過去は生き抜いた財産になり、
未来は生きるべき未来図になる。
もっといえば、
今日まで生きると、
過去の財産を積み上げた
人生最長のベテランであり、
明日の初心者になる。
さらにいえば、
誰もが昨日のプロフェッショナルであり、
誰もが明日のアマチュアである。
そう思って生きると、
現在の自分をいいように解釈していい。
昨日のプロとして生きる。
明日のアマとして生きる。
どちらでも自分が
生きやすい気持ちで生きればいい。
そのために昨日と明日がある。
そう捉えてもいいと思う。
(今日のコトバ)
足りないものはたくさんあるけど、
幸せはいつも隣りにある。
そんな人生にしたい。
「貧乏暇なしだよ」と
笑いながらいう人がいる。
貧乏で、暇がないのに、
少しも不幸そうではない。
むしろ、嬉しそう、幸せそうだったりする。
話を聞いてみると、
お金はないけれど、
家族や環境はうまくまわっている。
楽しい人生をおくっているという。
まさに、それこそが
いちばんいい幸せの状態のような気がする。
お金を含めて足らないものはいっぱいある。
だけど、自分のまわりには大切なものが、
ちゃんとある。
家族だったり、
仕事だったり、
趣味だったり、、、。
人を中心として、
自分を幸せにしてくれるものがある。
そんな人生はいいものだ。
人生の理想は、
どれだけ幸せが集まっているかで決まる。
そのために、
自分のまわりの環境を
楽しいものするのは大切なことだ。
(今日のコトバ)
今日という迷路は、
明日への進路になる。
いつも悩んでいる。
今日も何かに悩んでいる。
答えが見つかる時もあるし、
見つからない時もある。
ただ、今日まで悩んだことで、
何かをつかめることもある。
新しい展開を見つけることもある。
もちろん、正しい答えを見つけることだってある。
今日悩み、今日迷うことは、
人生にとって進歩、
明日への進歩でもある。
人生は、いつも何かの課題がある。
その課題を解決しようとして、
自分を磨いていく。
その磨くことが成長につながっていく。
そして、
磨かれた自分が未来をつくっていくのだ。
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