習得していくイメージ

(今日のコトバ)

 

手すりにつかまって立ち上がったら、

歩き出すまでは早い。

 

赤ん坊がハイハイから手すりやテーブルにつかまって、

立ち上がったら歩き出すまではあっという間だ。

技を身につける時も、要領を得ないとなかなか進歩しないが、

一度上手に出来るようになると、瞬時に技を習得してしまう。

人間は、修練から生まれるきっかけで急激に成長する。

その習得のサイクルを意識していすれば、

ものごとに対する取り組み方も違ってくる。

繰り返しばかりの作業でも、

技を極めるための挑戦と考えれば、

もっと集中してがんばれる。

なにもかもが中途半端に終わってしまうと嘆いている人がいたら、

人が技を習得していくシーンをイメージしてみよう。

魔術ではなく、誰もができるやり方を丹念にやるだけで、

ある基準をクリアすることが出来ると信じればいい。

多少の時間の差があれ、身につけたい技は身につくはずだ。

SOS発信者を救え

(今日のコトバ)

 

声が聞こえなくなったら、

SOSを発信している。

 

 

 

日頃元気のある人があまり話さなくなる。

その段階で心の中の信号は、青でなくなっている。

自分での悩みや苦しみが、声のボリュームを小さくしている。

人は、口数が少なくなることで、

世の中にSOSを発信しているのだ。

早くSOSを家族や仲間がキャッチしてあげないと、

発信者は壊れていく。

孤立感を高まって、さらに声のボリュームが小さくなっていく。

その時、SOSの発信者を助けてあげるにはどうすべきか。

それには、言葉を用いて声をかけてあげることが大切だ。

以心伝心などと遠めで気をもんでいても、何の役にも立たない。

近くへいって声をかけてあげる。

発信者の心に響く言葉を伝えてあげる。

その積み重ねがあるだけで、

人はかなりの確率で復活してくる。

あなたにも経験ずあるはずだ。

「あの人の言葉で元気が出た」ということが。

その経験のようにSOSを発信している人を、

助けてあげられたら人間の幅はもっと広がる。

そして、力になれた自分にも自身がもてるはずだ。

強い絆で結ばれた人間関係

(今日のコトバ)

 

あふれるものがあるならば、

それを大切な誰かにぶつけよう。

 

 

肝心なことを、上手く伝えられない。

気持ちをはっきり伝える勇気がない。

そのことで損をしている人はたくさんいると思う。

夢だったり、恋愛だったり、

口にすると恥ずかしくて、かっこわるそうだから、

後まわしにしているうちに、

同じことを考えているライバルに抜かれてしまう。

自分の方が早く行動していればと、後悔する。

では、どのタイミングで、どのスピードで、

自分の意志を表現していくか。

自分で判断を下せない時に、

どこでふんぎりをつけるか。

それは、自分の信頼している人、大切に思ってくれる人に

アドバイスをもらうことだ。

ここで大事なのは、信頼できる大切な人であること。

となりにいる誰にでもということではない。

その人の意見なら納得する。その人の意見はいつも正しいと

思える人に相談してみる。

昨今、○○カウンセラーや○○アドバイザーなるものが

たくさんいるが、自分のことを親身になって考えてくれる人は、

最高のアドバイザーであり、最高のカウンセラーなのだ。

もう一度、自分のまわりにいる人を考えてみてほしい。

必ず、ひとりやふたりの顔が浮かんでくるはずだ。

そして、「この人なら」と思える人の

「この人なら」に、自分もなるように努力する。

それが、強い絆で結ばれた人間関係なのだ。

本能にある最高のチップ

(今日のコトバ)

 

夢と希望は、年中無休で生まれている。

 

 

季節にかかわらず、状況にかかわらず、

暑さ寒さにかかわらず、地位や肩書きにかかわらず、

性格にかかわらず、住んでいる場所にかかわらず、

夢と希望は、いつでもどこでも生まれていく。

人間は、不思議なもので、悲惨な状況では希望にすがり、

成功すればするほど天井知らずの夢をみる。

夢や希望は、人間の本能の中にうめこまれた最高のチップのようだ。

さらに、誰もがひとり残らず夢をみているとすれば、

人間が生きる上での最良のペースメーカーともいえる。

ならば、この夢や希望を利用しない手はない。

利用というと嫌らしいなら、この夢と希望に支えてもらわない手はない。

生きることは、時にとてつもなく辛いことだったりする。

その時、いち早く夢と希望をつくり、そこへ向けて走り出す

訓練をしておけば、人間はもっと強く生きられる。

さあ、人間の本能に与えてくれた最高のチップを最大限に活用しよう。

黒幕より幸せ

(今日のコトバ)

 

上には上がいて、

その上にも上がいる。

そして、その上には黒幕がいる。

 

 

 

ちょっと上の人は、目障りだしうっとおしい。

できれば、管理などしないで自由に泳がしてほしい。

だが、この上の人間は、どういうことはない小さな上司。

理想論だけを掲げてトップに君臨し、

全体を怒濤に迷わせる人間も実はどってことはない。

本当に怖いのは、けして表に出てこない人間だ。

黒幕とよばれるその種類の人間は、

一番の権力者であり、一番手を汚さない。

でも、上の上にいて殿上人になっても、

何がおもしろいのだろう。

人間は、ひとつひとつのテーマに、

あがいてころんで夢をつかむから楽しいのではないか。

奥の中に入って、私利私欲だけで人間を動かしても、

至福とか、快楽とかと無縁だと思う。

考え方次第だから、どれが良い悪いではないが、

幸せを選択したいなら上だけを目指す生き方は辛いと思う。

インタビュー記事で、

「社長業は、孤独で、辛くて、いつもハラハラしている」と

いった大社長がいた。至言だと思う。

そして、その社長より、ファンドだ、株だとかで、

汗もかかずに利益だけをむさぼる禿鷹のような黒幕は、、、、。

もう説明しなくてもいいだろう。

めぐりめぐって幸せとは、縁遠くなってしまうのだ。

才能を超えた運動量

(今日のコトバ)

 

運動量が豊富だと、

どの世界からも手放されない。

 

 

才能ともかく。コネともかく。理論派ともかく。

行動力があり、動きまわる人間は、

どの世界でも指名がある。

どの世界でも仕事が途切れない。

頭だけで、口だけで、何も行動しない人間より、

圧倒的に使える。

スポーツの世界でも、

技術だけはすぐれているが走らない人選手より、

タフで運動量豊富な選手の方が重宝がられる。

つまり、人生の戦いでは、走り続けることで、

汗を一生懸命かくことで勝てる試合もたくさんあるのだ。

そこを狙うのもひとつの選択だと思う。

少々才能に疑問があっても、その種目が好きで、

熱中できるのなら、人生を賭けてみる価値はある。

自分の内なる声と相談してみよう。

 

オーストラリアに一戦目を落とした日本代表。

クロアチア戦は必勝で勝ち点をあげなければならない。

ここまできたら、技術や才能はどうでもいい。

徹底的に走りまわって、クロアチアがあきらめるまで、

ボールに執着してほしい。

2006年の日本の夢や希望は、

サッカー日本代表が背負っているのだから。

人生の持ち時間を有意義に

(今日のコトバ)

 

今日は一日しかないけれど、

明日はたくさん輝いている。

 

 

今日は一瞬で過ぎていく。

あたりまえだけれど、明日は、明日以降の時間は、

燦然と輝いていて、夢もあれば、自由もある。

この明日という時間をどう考えるかで、

人生の持ち時間は有意義にも、無意味にもなる。

人によっては、人生の持ち時間が限られていて、

明日以降のことが、夢だけでは語れないこともある。

だが、黒澤明の「生きる」のように、

人生のタイムリミットが決められたから、

やるべきことが明解になることもある。

つまり、人には自分の意志次第でどうでもできる

宝石のような明日があるのだ。

この大事な明日を意識するか、しないかでは、

人生がハッピーか、ハッピーでなくなるかにも匹敵するのだ。

明日に希望をもって生きられる。

明日がワクワクするような日になる。

そう思えれば、人生はとても面白いものになる。

そして、人生がぐんと躍動していくのだ。

紆余曲折でも一本の道

(今日のコトバ)

 

まっ白なところへ行くか。

設計図のあるところへ行くか。

もう出来あがっているところへ行くか。

 

 

丸太船で航海をはじめて、

いずれはクイーンエリザベス号で帰港する。

未知の世界にくり出して0からものをつくりあげる。

冒険にも似た人生にとっての醍醐味だ。

ただ、すべての人がこの0からスタートすることが、

上手だとは限らない。

あるていど大きなフレームの中で、

コツコツと作業をしながら頭角を現す人もいる。

さらに、完全に出来あがっているところを、

管理することが得意な人もいる。

人の能力は千差万別だ。

どこからはじめて、どのように成功してもいいと思う。

だが、自分の適性、行くべき道は、

正しく選択しなくてはならない。

間違ってしまうと大変なことになる。

行く道を間違えた時、目標地にはたどり着けない。

自分の才能を信じると同様に、

自分の適性を見極めるのも最重要なのだ。

人生を成功させる道は、紆余曲折あろうとも

一本の道になっているのだから。

度胸は体験の数

(今日のコトバ)

 

みんな度胸なんてもっていない。

前へつっこんだところから度胸が生まれるのだ。

 

 

度胸が座ってるとか、いい度胸しているとか、

ここ一番で腹を決められる人に度胸という称号が与えられる。

でも、この度胸をいつでもどこでももっている人って、

誰もいないのではないかと思う。

もしあるとすれば、迫り来る危機などを何度も体験した

記憶によって、まったく未体験の人よりは怖れずにいられる。

ただそれだけのことだと思う。

今日これからはじまるワールドカップ第一戦のオーストラリア戦も、

初体験の選手は昨晩眠れない選手もいただろう。

だが、中田英寿をはじめとする海外組やワールドカップ経験者は、

興奮しすぎて何がなんだかわからない状況には陥らないと思う。

それは、少年の頃から世界で戦ったという自信と経験に他ならない。

そう、度胸とは体験の数でもつことのでるものなのだ。

様々な体験を自発的にするようにすれば、

自然と心と体がタフになり度胸がつく。

もし、あなたが度胸がないといわれているのなら、

リスクあるものに挑戦しよう。未知との遭遇を体験しよう。

度胸は、ほっておいても身に付いてくるはずだ。

試練のおかげで強くなる

(今日のコトバ)

 

優しさばかり集めたら、

弱い人間になってしまいました。

 

 

厳しさばかりの中では、息がもたない。

激しさばかりの中では、神経が休まらない。

辛さばかりの中では、気力が萎えてしまう。

人生のどこかに、休憩所のような優しさは必要だ。

否、必ず優しさがなければ、人は生きていけない。

だが、優しさの中の多くは甘えも含んでいる。

優しさばかりを選んで生きるということは、

甘えばかりの中で生きることとイコールになる。

甘えた体質の中で生きれば、自分の体質も甘えた体質になる。

厳しさもなく、激しさもなく、辛さもない状況で、

甘えられる状況ばかりで生きていけば、

人間なんて簡単に弱い人間になってしまう。

だからこそ、甘えた弱い人間をつくらないために、人生には試練がある。

日々のどこかにこの厳しさをもつことで、

人間が弱くなっていくことを防いでいる。

ちょっと頑張らなければいけないこと、少し痛みを伴うことも、

すべては人間が強く生きていくための強化システムなのだ。

試練よ、バンザイ。試練のおかげで今日も強く生きられる。