毎日にあきない

(今日のコトバ)

 

人生は、レシピ通りつくってもおいしくない。

 

 

 

高級でおいしい料理をつくるには、

よい素材と調味料を加えて料理をすればいい。

最近では創作料理などというお店も増えたが、

創作された料理もレシビを考えて、

計算して人が舌鼓を打つ味をつくっている。

これが、人間には一定までは当てはまるが、

料理のようにレシピ通りいくかとなるとそうはいかない。

仮にレシビが勉強だとして、

同じようなカリキュラムをこなしても、

個人の集中力、個人のコンディションによって、

まったく違った結果が出てしまう。

また、環境が予想もつかない状況をつくり出し、

宝くじが当たったり、事故に遭ったりすると、

昨日の自分では考えられない今日の自分がいることもある。

だからこそ、人生はおもしろい。

仕事や学校へ行く前に、星占いなどをみて、

今日一日の幸運を願う。

アクシデンドやトラブルがあっても、

それを解決することで充実することもある。

人間は、レシビ通り、計算通りに生きられない。

思い通りに生きられないからこそ、生きる張り合いができる。

毎日あきずに、喜怒哀楽を楽しみながら生きられる。

そう、人生って、人間だけが楽しめるいいものなのだ。

必需品となる幸せ

(今日のコトバ)

 

目的があるとないとでは、

幸福があるとないとに等しい。

 

 

ワールドカップ・ドイツ大会が始まる。

選ばれた23人のプレーヤーではないが、

日本でテレビの前にいるだけで、

ワクワクドキドキする。

一次リーグ突破だ、ベスト4どまりだ、

優勝するんだ、と予想をするだけで

楽しい時間が過ぎていく。

ワールドカップは、自分が参加しないのに、

勝敗が日々の中で重要な目的となる。

これが自分のための目的であったらどうだろう。

クラブ活動の試合、入試、入社、様々なコンペ、

競合のプレゼン、、、、、。

テレビを観戦するわけではないから、

ただ楽しいだけではすまされないが、

厳しいプレッシャーがあっても、

確実に目的がある時、人はとてもいい顔をしている。

ひたっている時間はないかもしれないが、

充実した時間を過ごし幸せの中にいることは間違いない。

目的は、必需品として幸せを携帯しているといっていい。

いま、幸せでないと嘆いているのなら、目的をもとう。

目的をもつだけで、幸せのシッポぐらいは捕まえられる。

後は、自分の努力の仕方でどうにでもなるのだ。

心に希望の灯

(今日のコトバ)

 

助走をつけて、

思いっきり高い壁に挑んでいくことが、

かっこいいことなんじゃないか。

 

 

勝ち負けではない。

無謀と思える敵に向かっていく。

結果が秒殺であっても、

その挑む姿に、その飛び散る汗に、

その流す涙に、人は心をうたれる。

勝つことより価値のある敗北だってある。

要は、チャレンジスピリットを賭けて、

人生の一瞬に完全燃焼したかが、

勝敗を超越した美しさを生み出すのだ。

だからこそ、いま目の前にある壁に立ち向かおう。

いま目の前にある夢をつかみにいこう。

結果か、答えが、自分の思ったものでなくても、

全力で戦った足跡は、自分の、仲間の、

心に希望の灯をともすのだ。

経験とポジティブ

(今日のコトバ)

 

軽薄だって、

人生の荷物は背負わなければならない。

 

 

 

どんなにいいかげんに生きようと、

どんなにちゃらんぽらんで生きようと、

人生の修羅場はやってくる。

笑ってばかりいられない時、

楽しんでばかりいられない時が

必ずやってくる。

重荷を背負いすぎるあまり、

前へ進めなくなってしまうこともある。

その時、経験という知恵をもっていないと、

対処のしようがなくなる。

自分の中に危機的状況を打破した経験があれば、

ケーススタディを元にシミュレーションできる。

さらに、ポジティブというスピリットがあれば、

屈しない心で前向きに生きていける。

人生の苦境に立った時、

自分を救うのは経験とポジティブなのだ。

青空は魂

(今日のコトバ)

 

雨の上では、青空が微笑んでいる。

 

 

 

どんなに大雨でも、どんな嵐でも。

その上の空は、晴れ渡っている。

雨とか、嵐なんて、一過性のものだ。

人間の日々の出来事も同じだ。

辛いこと、悲しいこと、痛いことがあっても、

生きていれば、必ず楽しいと思える、

幸せと思える時にまた出会える。

人間も自然の摂理と同じようにできているのだ。

そして、人間にとって青空にあたるのが、魂なのだ。

どんなに心が揺れ動いても、

根っこにある魂は動かない。

その魂がしっかりしていれば、

どんな喜怒哀楽が激しい時があっても、必ず元に戻れる。

そう、雨の後、必ず晴れた日がくるように。

失うことのない無償

(今日のコトバ)

 

人生は、無償と報奨でできている。

 

 

 

ほとんどが報奨でてきている。

自分のやったことに対して、対価をもらう。

成果に対して、肩書きをもらう。

人生の大部分が、報奨を手にする行為に集約される。

だが、どうしても無償になってしまうものがある。

たとえば、親が子供に対する愛だ。

これは、見返りを求めない(求めている人もいるが)で、

潤沢に愛情を注がなければならない行為だ。

これほど、無償といわずして、なんといおうか。

また、ボランティアなども、無償のひとつかもしれない。

ただ、ボランティアの場合は、その行為をしたことによって、

自分の心に報奨を考えてしまうことがある。

純粋に無償とは、よべないかもしれない。

恋愛も難しい問題かもしれない。

最初に好きなった時に、まったく相手のためだけを考えて、

見返りを求めずには、恋愛は成立しない。

となると、恋愛も報奨の部類に入るかもしれない。

ただし、結婚して長い年月がたち、

利害関係からではなく、無償の愛情に転換されることもあるだろう。

これらを考えると、人生の行為の中で無償なものは、

限られた行為の中にしかない。

それも親子の関係の中がほとんどだ。

なのに、昨今は親が子供を平気で殺してしまう。

秋田小一男児殺害事件で近所の子供を殺しているだけでも大罪なのに、

自分の娘を殺しているかもしれないという。

もし、親が子供へ愛情を注げなければ、

無償のなどという言葉は、死語になってしまう。

人間は、無償があるからこそ、素晴らしい人生があるのだ。

利害だけで失わうことのない無償を、

人間はもっと大切にするべき時にきている。

おもしろいことをつくろう

(今日のコトバ)

 

おもしろいことを1個みつければ、

つまらないことを100個ぶっとばせる。

 

 

 

普通の日々をつまらないと思ったら、

朝から晩までつまらないことだらけだ。

悪いこと、嫌なこと、辛いことの数の方が、

おもしろいことの数より多いと思う。

たが、おもしろいことにはつまらないことを

一気にふっとばす何10倍もの力がある。

思い返して欲しい。

突然、日々の暮らしにおもしろいことや

朗報をもたらされた時のことを。

一日、否、一週間でも気分よく過ごせる。

もし、いま日々の暮らしがつまらないと思っていたら、

自らおもしろいことを探そう。

見つからなかったら、

おもしろいことをつくろう。

その行為だけで、一日はとてもハッピーになる。

一日はとてもイキイキしてくる。

武器は勝ち続けること

(今日のコトバ)

 

なめられたら、

結果という武器で殴り倒せ。

 

 

 

人は肩書きや地位で自分より低いと見なすと、なめた行動をとる。

はなから小馬鹿にした言動になったり、アゴでこき使ったり、

場合によっては鉄拳が飛んでくることもある。

一度なめられると、人生が取り戻しできないものになる。

なめられることが悲しいと思ったら、

戦うための武器をもたなくてはならない。

その武器とは、勝ち続けるという結果だ。

すぐになめる連中は、すぐにビビる連中でもある。

自分より地位があったり、自分より強かったりすると、

態度は急変して下につくことも多い。

だから、自分が強くならなければならない。

弱い者を叩き潰すために強くなるのではなく、

自分のプライドを守るために強くならなくてはならない。

そのために、結果を出せ。結果を出し続けろ。

人をなめることでふんぞりかえっているやつは、

結果の前にひれ伏すやつだ。

結果さえ出せば、自分のスタンスで、自分の意志で、

自由に生きていけるのだ。

行きたかった場所へ

(今日のコトバ)

 

NEVER GIVE UPだけが、

GIVE UPをGIVE UPできる。

 

 

 

人生、ギブ・アップするのは簡単だ。

やめたい、苦しいと思ったら、

その行動をやめてしまう。

継続をあきらめて、

もっと快楽や欲望のままに、

生きることも選択のひとつかもしれない。

だが、途中であきらめた道からは、

到着点になにがあるか見えない。

行きたかった場所が、どんな景色がわからない。

どうせ目標を立てたのなら、

その答えを見出すために

あきらめずに歩き通すべきだ。

そのために必要な精神は、

ネバー・ギブ・アップ。

あきらめない力だけが、

答えを教えてくれる。

人生の夢を叶えてくれるのだ。

自分の今日に殊勲賞

(今日のコトバ)

 

ヒーローインタビューできる一日であれ。

 

 

 

試合の終りに今日活躍したスポーツ選手がお立ち台に上がる。

大歓声の中、勝因のインタビューを受ける。

それは何も、スポーツ選手だけではない。

大歓声はなくても、家に帰ってビールを飲んで上機嫌になったり、

風呂に入って一日に満足したり、

自分の今日に殊勲賞をあげてもいい日があるだろう。

毎日が殊勲賞をもらえるなら、イチローばりの

天才になってしまうが、そこまででなくても、

自分が満足できる一日を目指そう。

その積み重ねが自分を進歩させる。

その繰り返しが自分を大きくする。

誰が認めなくたって、一日がんばった人は、みなヒーロー。

人生には、満足する時が必要なのだ。