無意味は意味になる

(今日のコトバ)

 

 

無意味なことをやり続けたら、

無がとれて意味があることになった。

 

 

 

 

何も考えず、だが、好きだから続けていた。

料理だったり、散歩だったり、趣味のあれこれだったり、、、。

仕事にしようとしているわけでもなく、

その道の達人になろうとしているわけでもない。

ただ続けてきた。その続けてきたものが

人生で大きく意味を持ってくる。

今朝のトーク番組に出演していた

料理家の栗原はるみがまさにその一例かもしれない。

一主婦として料理をつくっていたが、

夫の番組の裏方として料理づくりを手伝うところから

人生が大きく変わっていく。

もちろん、その時点で料理の実力もあったのかもしれない。

ただ、料理で食べていこうなどと考えてはいなかったようだ。

人の生き方を見ているとこのように計算していないで、

人生が大きく変わっていく人がいる。

それこそ、意味を感じずにやりたいからやっていることが、

人生の武器になったのだ。

理想といえば理想。夢といえば夢かもしれない。

しかし、だ。そのようなケースもある。

できれば、自分の好きなことで生きていきたい。

だとしたら、自分の続けているものを大切にしよう。

そこに、人生を劇的に浮上させるキッカケがある。

素晴らしい人生にする何かがあるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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大丈夫の本意

(今日のコトバ)

 

 

 

大丈夫という言葉は、SOSと訳す。

 

 

 

 

大丈夫か?と訊くと、

大丈夫、大丈夫と答える。

その時の大丈夫って、ほんとうに大丈夫なのだろうか。

そもそも大丈夫と訊かれているのだから、

状況はあまり良くないと思われている。

だが、その状況を隠して、大丈夫といっている。

深く考えれば、まったく大丈夫ではない状況だ。

反対に、相手から大丈夫だよそんなの、といわれても、

自分としては大丈夫ではない状況の方が多い。

つまり、大丈夫と発言している時に

大丈夫でない状況であることが多いのだ。

だからこそ

大丈夫だと相手がいっていたら、

言葉の真意を確かめてあげよう。

二度質問したら本音をいうかもしれない。

他の誰かには大丈夫ではないといっているかもしれない。

時間が経てば違う気持ちを吐露するかもしれない。

大丈夫という言葉には、

深くて難しい要素が含まれているのだ。

 

 

 

 

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まわりの人は大事

(今日のコトバ)

 

 

ヤツを悪魔をする前に、

爪を抜け、牙を抜け、魂を抜け。

 

 

 

 

人が人の道を外れていく時、

必ず環境が大きく作用していく。

家族、仲間、恋人等、人間関係が人を変えていく。

人間関係。よく作用すれば、

人は目に見えてよくなっていく。

反対に、足を引っ張るようだと

加速度的に悪い方向へ落ちていく。

もちろん個人差もあって、

どんなめぐり合いでも良くならない人もいるし、

悪くならない人もいる。

ただ、人は弱い生き物。

必ずまわりの人に引きずられていく。

だとしたら、本当の家族として、本当の仲間として、

本当の恋人として、まわりの環境を整えてあげる。

そこさえ間違わなければ、

人の道も間違えない。

まわりの人は大事ということを

肝に銘じておくべきだ。

 

 

 

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休むことが生きてくる

(今日のコトバ)

 

 

 

走り続けた者だけに、本物の休息が舞い降りる。

 

 

 

全力疾走してゴールを切った後の休息は、最高に心地よい。

タラタラ走った後よりも、圧倒的に心地よい。

なぜか。それは、全力を出し切った後だからに他ならない。

走るだけでなく、勉強でも、仕事でも、

全力を出し切った後の休息は、休息なのに充実している。

だから、充実した休息を求めているなら、

全力を出し切ろう。

全部を出し切った虚脱感から人が復活するために、

休息は体中を再生させていく。

元気になるために、休むことが生きてくる。

そして、休み終わった後、

今までよりさらにパワーアップした自分になれる。

いい休息が、人生につくる。

全力は、休息のためにあるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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悲しみを消すために

(今日のコトバ)

 

 

 

涙は、明日のために用意するものではない。

 

 

 

 

悲しいことを未来まで溜めておく必要はない。

とっと捨てて、洗い流さなければ、明日へは進めない。

俗に言う「引きずる」のは、精神にとって、

ものすごい負担になる。

悲しみが生み出すものは、疲れ、散漫になる気持ち、

落ち込む感情、無気力、、、、、、。

悪い方へ向かうためのすべてが揃ってしまう。

だから、悲しみに捕まったら、

すぐに切り離す行動をとるべきだ。

頭からどうすれば悲しみが消えるか。

消えると思われるものをすべて行う。

運動でもいい。歌でもいい。人と話すでもいい。

遊ぶでもいい。考えられるあらゆる行動を行う。

その行動に時間がかけ算されると、

悲しみはハイスピードで消えていく。

もちろん、簡単には消えない、切り捨てられないものもある。

ただ、行動しなければ始まらない。

悲しみを消すために、行動あるのみなのだ。

 

 

 

 

 

 

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挑むべき目標

(今日のコトバ)

 

 

 

赤点だっていい、人生を白紙で出すな。

 

 

 

 

何にも挑戦していない時間は、人生にとって虚しい。

人にとって、目標があって、

そこに突き進んでいく時間が生きている時間になると思う。

壁があって、敵が生まれ、恐怖におびえることもあるだろう。

失敗に悩み、敗北に倒れ、屈辱に涙することもあるだろう。

ただ、そのひとつひとつの困難をのり越えた時、

人はもっと進化した自分とめぐりあえる。

目標なく、退屈な時間ばかりを過ごした人と圧倒的な差がついてしまう。

比較するには大きすぎるが、昨日、国民栄誉賞受賞と引退式を行った松井秀喜は、

つねに目標に向かって突き進んできた人生だったはずだ。

星稜高校からジャイアンツ、ヤンキースと野球としての目標が

つねにそこにあった。特出した才能と努力があったからこその目標だった

ことはわかる。だが、どんな人の人生にも、その人生を懸けて挑むべき

目標はあるはずだ。それをポジティブにクリアするか、あきらめてしまうか。

その違い。ただし、手にするものは全然違ってきてしまう。

どちらを選ぶかは、それもまた人の生き方。

もしかすると、何の目標もないけれど、そこそこ幸せを感じることがあると思う。

だが、そんな人生も楽ばかりで生きてはいけない。

小さな壁、弱い敵だって、無数にやってくる。

戦わなければならない時がくる。

同じ戦うなら、ちょっと頑張って、

自分の目標を持って、目標をクリアして生きる方がいいのではないか。

人生はいつも満足や納得を求めている。

そして、とんでもない奇跡を求めている。

自分が最高と思える人生にした方が素晴らしいじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

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笑いから明るい方へ

(今日のコトバ)

 

 

 

 

キミが笑ってくれたから、人生が軽くなった。

 

 

 

 

笑いが人を救う。

そんなことはわかっている。

だが、本当に笑いに救われている場合が多い。

どんな厳しい状況でも、顔を見合わせて笑ってしまえばなごむこともある。

信頼している人が笑ってくれるとホッとする。

愛する人の笑顔は、どれだけ気持ちよくしてくれたことか。

もちろん、笑うことで恐怖を植えつける人もいる。

だが、たいがいの状況で笑いは人を救ってくれる。

テレビでも芸人をはじめ笑いをつくれる話術を持つ人が重宝される。

政治家でも、人を笑顔にできる人は人気が出るだろう。

とにかく人生に笑いを持つ。

そこから人生の負の状況を締め出す。

人は明るい気持ちになれば、困難でも何とか乗り切れる。

そして、人生が明るい方向へ向かうことは人を進化させる。

明るさの根源になる笑いは、人にとって大切な機能なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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友達?

(今日のコトバ)

 

 

 

トモダチって、いちいち申請するものではありません。

 

 

 

フェイスブックではないけれど。

トモダチは申請するものではない。

時間をかけて築くものだ。

突然、知らない人間とトモダチになるのは危険すぎる。

もっと言えばトモダチに簡単にはなれない。

よく聞く話として、「知らない人からトモダチ申請がきた」とか、

「昔の知り合いだけどトモダチじゃないんだよね」とか言う人がいる。

これがフェイスブックというつくられたSNSというコミュニケーションの場だから、

聞く話のようだが、実は、普通の生活でも同じ話がある。

「知らない人が知り合いのようにふるまってる」という経験があるだろう。

これがエスカレートするとオレオレ詐欺のようになってしまう。

また、知り合いではあるけれど、トモダチというほどではないのに

慣れ慣れしくしてくる人がいる。こういう人もお金目当てだったり、

肩書き目当てだったり、人間としての付き合いではない場合が多い。

だからこそ、人間関係はいいかげんではいけない。

ちゃんと付き合って、信じあえる仲であるか確認して

「友達」となって付き合う。

本当の「友達」は、ケンカをしても裏切らない。

困った時に支えになってくれる。

利害関係ではない気持ちが動く。

自分が信頼している人を考えてみよう。

無償で考えることがたくさんあるはずだ。

「友達」。それは、簡単な関係ではない大切なもの。

一度、自分の「友達」について考えてみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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踏み台にするな

(今日のコトバ)

 

 

 

裸のオレ様になるな。

 

 

 

 

力がついてくると、人は自信を持つ。

自信を持って、リーダーシップをはって生きるのはいいことだ。

だが、自信があり過ぎるために、

過信して、人に不快感を与えているのは、ちょっと問題だ。

自分の力を誇示するために、人を踏み台にする。

あるいは人を叩きのめす。

人はとかく比較しながら生きていく。

そこで、力を示すために人を踏み台にする。

力がまったく違った方向へ進んでいく。

踏み台にされた人は、必ず不快感を持ち、復讐の芽を宿すこともある。

だから、実力がついて、自信がついたら、

まず自分の意識を確認しよう。

実力を試すために大きなものにチャレンジするのいい。

ただその時、他人を踏み台にしていないか。

誇示ばかりに気持ちがいって、

真摯な気持ちが薄れてないか。

少しだけ考えればわかる。

力をつけて大きな仕事にチャレンジすればいい。

オレ様になる必要はないのだ。

 

 

 

 

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どんな人間でも、だ

(今日のコトバ)

 

 

どんな大物だって、小さな心を一つしか持っていない人間なんだ。

 

 

 

 

 

強い人がいる。大きい人がいる。凄い人がいる。

とにかく、次元の違う人がいる。

ただ、どんなに次元が違う人でも、

持っている心は一つしかない。

臆病者も、気が小さい人も、心は一つ持っている。

そこが人間として大事なところ。

勝負どころでもある。

心はどんな人も大きくなったり、小さくなったりする。

仮に大物といわれている人でも、

一つの心が小さくなっている時がある。

その時、臆病者でも勝負になる可能性がある。

勝つチャンスが生まれる。

人生の大逆転劇は、そこにあるのだ。

だから、大物といわれている人は気を抜いてはいけないし、

臆病者、気の小さい人も機を狙って頑張るべきだ。

人生は誰にでも平等にチャンスがある。

どんな人間にでも、だ。

気を抜かず、機を狙うのだ。

 

 

 

 

 

 

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