犠牲は実を結ぶ

 

(今日のコトバ)

 

転んで、擦りむき、傷ついて、

最高傑作になっていく。

 

 

 

自分の最高を更新するには、

試練を越えなければならない。

転ぶこともあるだろう。

倒れることもあるだろう。

傷つくことだって、たくさんあるはずだ。

だが、それらが自分を最高にしていく

礎だとしたら、

苦しことも乗り越えられる。

オリンピックに出場する

アスリートだとわかりやすい。

金メダルで最高の結果を出すのに、

どれだけの痛み、

どれだけの犠牲を払っただろう。

密着ドキュメントを見ればよくわかる。

ほとんど、苦しみ、痛み、悲しみの連続。

ただ、金メダルを獲るという目標のために、

すべてを犠牲にしている。

もちろん、オリンピック選手ほどの

高い目標でないにしても、

最高の結果のためには、

犠牲はついてまわるのだ。

いま、目標に向かって

しんどい思いをしている人も、

それが最高へのステップだとしたら

ガマンできるはず。

最高への犠牲は、

いつか実を結ぶ。

そう信じて生きるのだ。

若さは、いつまでも

 

(今日のコトバ)

 

若さは、命果てるまで生まれつづける。

 

 

 

 

何かをはじめる時、

そこに若さが生まれる。

となると、

若さが生まれるのは、

いくつになっても起こること。

年齢を重ねてからはじめたって、

自分の内から若さは生み出せるのだ。

「スタートするのに、遅いことはない」

といわれることがある。

正確にいうと、正しくはない気もするが、

考える角度によると、

間違えともいえない。

否、正しいと自分が思えば、

正しいといいきっていい。

要は、自分が

新しいことをはじめるのなら、

いつでも若くなれる。

そう思うと、

生きることも楽しくなる。

年齢を重ねることも

楽しくなるはずだ。

 

速く前進するために

 

(今日のコトバ)

 

半信半疑は、真実一路に勝てない。

 

 

 

 

何かを疑ってかかると、

気持ちが動くまでに時間がかかる。

いいのか、わるいのか。

できれば、いい方を、

間違ってない方を選びたい。

その気持ちが前進する

速度を遅くする。

反対に、

まぎれもない気持ちで行動していると、

無駄なく、一直線に前進できる。

当然、速度も速くなる。

どちらがいいかではない。

その状況、その場面で、

判断が違うことがあるだろう。

ただ、ここ一番勝負する時に、

半信半疑は速度を遅くする。

速度の戦いになった時、

真実一路には負けてしまう。

速く前進したい時には、

忘れてはいけないことだ。

休みはメンテナンスに使う

 

(今日のコトバ)

 

休むという大事な仕事を

怠ってはいけません。

 

 

 

ちゃんと休む。

言葉ではわかっていても、

なかなかできないことがある。

「仕事が忙しくて休日返上」

「休んでいるのだが、考え事が多くて

気が休まらない」

「遊び過ぎて、疲れがたまり過ぎた」等。

休みを行使できなかった人は

たくさんいると思う。

たまたま今週だけ休めないとかなら

体調もなんとかなるが、

あまりにも休めない状況が続くと、

必ず勤続疲労を起こす。

その起こし方が、

個々人の弱いところに出る。

心であったり、体であったり。

腰であったり、肩であったり。

ウィークポイントに出てしまう。

当然、弱いところにまた負荷をかければ、

痛む。酷くなると

慢性化することもある。

そうならないためにも休みはある。

休みとは

メンテナンスに使うという意味でもあるだ。

自分の心、自分の体と相談して、

いい休みをとる。

長い人生には大切なことだ。

ほめて伸ばす

 

(今日のコトバ)

 

想像力は、

ほめられるたびに高度成長期に入る。

 

 

 

ほめられて伸びるという。

怒られて、叩かれて、

しごかれて伸びるという昔型の

育成は、いま、はやらない。

パワハラになることもある。

もっというと、ついてこれる人が

いなくなったともいえる。

どちらがいいかわからないが、

少なくても、想像力や発想という分野では、

ほめて伸ばす方が結果が出るように思う。

怒るなどの過度な緊張を与えた場面で、

卓越した想像力、面白い発想が出たとこを

見たことがない。

伸び伸びと自由にやらせてみて、

能力を発揮する。

もちろん、想像するため、発想するためにも

基礎の部分は必要になる。

基礎を身に着けた上で、ほめて伸ばす。

想像力のあるといわれている人も、

想像力がないといわれている人も、

ほめてみる。

そこに想像力が豊かになるヒントが

あるはずだ。

 

 

 

 

人生に無駄なし

 

(今日のコトバ)

 

無駄な時間という判断は、

つまらない人間の下す決断である。

 

 

 

生きることに無駄なことって

あるだろうか。

無駄だと思っていたものが、

実は、必要なこと、

あるいは必要悪だったりすることが

あまりにも多い。

例えば無駄な時間。

何もしなかった時間を

無駄な時間だと思うことがある。

ただ、その時間があったからこそ、

気持ちがリフレッシュできることもある。

上手くいかなかった時間も、

のちの人生で役に立つこともある。

無駄なモノもそう。

買ってしまったけど

使えないモノは、

もう同じモノを買わないという

経験が生まれる。

その時役立たたないモノでも、

のちの人生で役立つこともある。

そう考えてみると、

無駄なことはそれほどないともいえる。

もっといえば、

もったいないという考え方も含めると、

無駄なことはほぼなくなる。

だからこそ、簡単に無駄だと思わない。

どれもこれも生きるために意味がある。

そう思うことが大切だ。

たどり着いたところがゴール

 

(今日のコトバ)

 

人間には、

人間の数だけ目的地が用意されている。

 

 

 

 

あたりまえだけれど、

人には人の数だけゴールがある。

一つも同じゴールはない。つまり、

一つも同じ人生はない。

いま、人と違う生き方を悲しんだり、

人と同じに生きられないから

苦しんでることも、

たいしたことではない。

あたりまえのことなのだ。

同じゴールを目指していないのだから、

同じにできる必要はない。

もっといえば、

できなかった先を突き進むと、

新しい人生が広がるかもしれない。

人生はゴールを決めて走るものではなく、

生き抜いた先がゴールになることもある。

もちろん、

目標設定としてのゴールは大切だ。

ただ、だからといって、

ゴールができなくてもいい。

人と同じゴールにならなくてもいい。

自分には自分の道程がある。

自分には自分のゴールがある。

そして、

たどり着いたところがゴールにもなる。

そう思うと、少しだけ気が楽になるのだ。

生き抜いた力がある

 

(今日のコトバ)

 

大人は、子供のつらかったことをみんな忘れて、

子供の方が良かったと思っている先輩です。

 

 

 

 

大人を生きていくのは、しんどい。

ついついグチもいいたくなる。

弱音を吐きたくもなる。

やり場のない苦しさを抱えることがある。

そして、つぶやいてしまう。

「子供の頃は、良かったな」と。

だが、よくよく思い返してみると、

子供の頃は子供の頃で、つらかった。

中間、期末のテストがあって。

受験があって。

先輩しごかれて。

友人とケンカして、、、、、。

稼がなくていいというだけで、

子供は子供でつらかった。

そう思うと、

人間、いつの時代もつらさを背負っている。

大人だけじゃない。

子供もつらかった。

そして、その時代を自分の知恵で

なんとか乗り越えてきた。

だからこそ、いま、生きている人は、

みんな強さを備えている。

自信をもっていい力がある。

そのことを忘れてはいけない。

 

慣れは人のグレードを上げる

 

(今日のコトバ)

 

慣れは、

人生の強化策が成功した結果である。

 

 

 

 

研修や訓練、または長く続けていると、

人は慣れてくる。

この慣れが、

人生の大きな武器になっている。

慣れたから、人生が楽になったことが

どれだけあるだろう。

まずは、人づきあい。

時間を共有して人間関係が慣れてくると、

気をつかわずに付き合える。

技術においても、

新人研修などで教えられたことが、

何年かすると上手にできるようになる。

人生でいちばん大事な人間関係と

技術取得は、慣れが大きなポイントになる。

つまり、慣れることが人生を強化していく。

もっと大きな人間になる。

もっと強い人間になる。

もっと凄い人間になる。

そのために慣れは必要。

もちろん、慣れすぎ、慣れ合いなど、

良くないこともある。

だが、慣れことが

人としてのグレードを上げる

ことは間違えない。

とにかく、慣れることから考えるのだ。

 

生きるために必要な欲求

 

(今日のコトバ)

 

足りないものがあるから、

そこを埋めようとして生きる。

人は、その作業を進化という。

 

 

 

 

誰もが何か手に入れたいと、

日々、考えているだろう。

大なり小なり、

大きさはともかく、

いつも何かを手入れたいと

思ってるはずだ。

欲求といえるかもしれない。

その欲求があるということは、

「もっと生きよう」と自分の意思が

前向きに進んでいること。

つまりは、

進化しようとしていることなのだ。

何かを手に入れたいと思うことは、

生きようとする源泉。

手に入れたいと思うものが大きかったり、

たくさんあったりする人は、

人生、好調といっていい。

反対に、手に入れたいと思うものが

あまりない人は、

人生、それほど

うまくいっていないのかもしれない。

その人は自分の人生を点検してみよう。

どこか行き詰っていることがある。

その行き詰まりを取り除くためにも、

手に入れたいものをつくることが

第一の解決になるのだ。