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(今日のコトバ)
裏で磨く。表で輝く。
磨くことは大事。
どんなものも磨くと、
ツヤが出て輝く。
人間もそうかもしれない。
どんな分野でも、
切磋琢磨し、
磨きぬけば輝き出す。
その磨くという行為は、
もしかすると他人に見せなくていい部分。
見せてもいいがかっこのいいものではない。
その分、輝きは表であらわれるもの。
しっかりと磨かれていると、
きれいに輝く。
もし、人生にもっと輝きが欲しいなら、
磨くという行為に力を注ぐ。
いい輝きにするために
切磋琢磨する。
そのことを意識して生きていくべきだ。
(今日のコトバ)
成功する者は、
希望的観測でも一等星を見つけてる。
いつも思うのだが、
いい結果を出している人は、
高い志がある。
人よりも高いというか、
輝いてるというか、
タイムリーというか、
これから来るものを捉えている。
時代を読んだり、
空気を読んだりしているのは
間違いないが、
それ以上に自分の目を信じ、
ブレずに目標を追っている気がする。
自分の目を信じるというのは、
自分のやりたいことに対して、
まっすぐに突き進むこと。
それができている人は、
たいがい結果を出している。
あっちこっち見て、
焦点が定まらないより、
いい結果を出すのはわかるが、
ブレないことは
途轍もなく目標達成までの推進力を持つ。
だからこそ、
目標を見つけたら、
どんな時もブレずに実行できるかを
考える。
そこで、ブレないと答えを出して
動き出す。
結果を出すには大切な要素だ。
(今日のコトバ)
最高の時代を生きる。
それは自分の生きた時代のことだ。
どんな時代が最高の時代だろう。
混乱し下剋上のあった戦国時代か。
日本が勢いを増していった高度成長期か。
金持ち感を共有したバブル時代か、、、。
人それぞれの考え方はあると思う。
だが、自分が生きていない時代を
最高の時代だと思っても
つまらないことになる。
どうせ一生一度の人生。
自分の生きている時代を
最高にすべきではないか。
では、自分の生きる時代にするために
何が必要か。
それは、とにかくにも、
やりたいことをやる。
後悔しないように、
やると決めたらすべてやってしまう。
失敗してもいい。
負けてもいい。
キーワードは、後悔しないこと。
人生を振り返った時、
あれをやっておけば良かったという
悔いがないこと。
それができれば、
自分の生きた時代は最高だといえるはず。
生きる時代は人さまざまだが、
最高の時代に生きる方法は一つ、
悔いをなくすことなのだ。
(今日のコトバ)
神様は、
人間だれもが似合う顔を
用意してくれた。
笑顔だ。
人間、笑顔があるとまわりが
平和になる。
もめていても、なごやかになったり、
怒っていても、おだやかになったり、
泣いていても、なぐさめになったり、
笑顔があることで、平和な状況は生まれる。
この笑顔は、人間にしかつくれないらしい。
こんな素晴らしい表現が顔でつくれる。
だからこそ、人類は進化したのかもしれない。
この笑顔を生きるために
上手に使う。
どんな時も笑顔で対応してくれる人がいると、
なぜだか自分もホッとするだろう。
自分が笑顔であれば、
まわりの人も、
きっと、どこかで安心してくれる。
その笑顔の力を信じて、
笑顔で生きる。
人生にとって
大切なことだ。
(今日のコトバ)
「連続テレビ小説」
のような毎日を生き、
「大河ドラマ」
のような一歩を生きる。
年をとればとるほど、
NHKの朝の連続テレビ小説を
しっかり観るようになった。
朝という時間を意識して、
殺人や人間関係のドロドロしたものは
テーマにならない。
なんとなく、気持ちの良い話しで、
「これから一日がんばってください」
というメッセージがあるストーリーか多い。
確かに、毎日ではないが朝から気分が
良くなることが多い。
いい一日が始まる気もする。
視聴率が高く一日のスケジュールに
組み込む人が多いのもうなずける。
毎日がいい日ありたいと思う。
また、国民的な番組では
なくなりつつあるが、
「大河ドラマ」も、大いなる人生を
生きろと背中を押してくれる
物語をつくっている。
NHKのマーケティングかもしれないが、
日本人は「連続テレビ小説」のような
毎日を生き、
「大河ドラマ」のような人生を
生きてみることに、
基本的なスタイルがあると思ってしまう。
もちろん、「連続テレビ小説」のような
気持ちのいい一日ではない日もあるし、
「大河ドラマ」のように
ドラマチックではない人生もある。
それでも、理想は気持ちのいい一日を過ごし、
ドラマチックな人生を生きる。
そんな理想を持って生きることも
幸せの一つではないだろうか。
(今日のコトバ)
100点の役割は、
みんなの目標になること。
みんなの目標にさせたところで終ってる。
ただ、人生では100点でないけど満点、
100点でないけど正解、
100点でないけど幸せがいっぱいある。
結果が100点ではなかった。
悔しかったり、
がっかりすることもあった。
ただ、人生においていえば、
100点が最高の結果かというと、
そうでもなかったりする。
100点をとってしまうと、
次の目標が見えなくなる。
100点ではなく、90点だから、
目標がしっかりと
見つめられることもある。
まぐれで100点をとるより、
70点しかとれなかったが、
それが本来の実力と
認識できることもある。
50点位の点数だから、
同じ位の人がたくさんいて、
それはそれで楽しいと
思えることもある。
人生100点がすべてではない。
それぞれの結果に、
それぞれの幸せがある。
そう思って生きると、
人生、少しだけ前を向ける。
楽しい生き方があるはずだ。
(今日のコトバ)
毎日の「小さなあたりまえ」が集まって、
「大きなしあわせ」になっている。
日々、いろいろなことが起こっている。
人は、一つ一つの出来事を
「あたりまえ」のようにこなし
生きている。
ただ、この「あたりまえ」は、
ほんとうに言葉通り「あたりまえ」なのか。
考えてみると、
出来事が「あたりまえ」になるまでに、
様々な手をつくして
「あたりまえ」にしている。
やるべきことを習慣化する、
分散化する、単純化するなど。
それらすべては、自分にとって
やりやすくするための努力。
つまりは、人生を幸せにするための努力。
それを言葉にすると「あたりまえ」となる。
自分のまわりにある
「あたりまえ」を思い返してみよう。
どれだけ自分の幸せに貢献しているか。
反対にいえば、「あたりまえ」で
なくなったから、
幸せな時間でなくなることもたくさんある。
だからこそ、
「あたりまえ」のありがたみを
忘れて生きてはいけない。
そう思うのだ。
(今日のコトバ)
意志は敵をつくる。
だが、それ以上に
味方を得て道をつくる。
自分の意志をはっきりさせると、
反対の意見の人が現れる。
場合によっては敵になる人もいる。
違った意見なのだから仕方ない。
だが、はっきり意志を伝えることは、
味方をつくることにもなる。
同じ意見の人はもとより、
自分の意見に賛成してくれる人もいる。
両方向にさまざまな人がいる。
その中で、肝心なのは
意見の違う人。
最初は、意見が合わないで
敵になるが、
議論を繰り返し
時間が経つと
納得し合うこともある。
もっというと、
議論を積む過程で、
味方になることもある。
この議論を積んだ上で
味方になった人との絆は強い。
意見が合うだけの味方より、
よっぽど強固な連帯感がある。
だからこそ、
まず自分の意志をはっきりする。
そこで現れる味方も敵も大切にする。
反対の意見の人とは
誠心誠意の議論をする。
敵から強い味方が現れるかもしない。
敵と思われる人こそ意志を伝えるべきだ。
(今日のコトバ)
あなたのそばにいたから、
幸せでいることがうまくなりました。
その人のそばにいると、楽しい。
その人のそばにいると、元気がでる。
その人のそばにいると、ワクワクする。
そんな気持ちにしてくれる人が、
自分のまわりにもいるはずだ。
自分の属する組織の中にいる
ムードメーカーのような人。
その人と一緒にいると、
自分が幸せだと感じる。
幸せであることが、
楽しいことがあたりまえだと思える。
ただ、そう思えるのは、
ムードメーカーが
いるからこそだということを
忘れてしまう時がある。
組織が変わって、
転勤して、
ムードメーカーがいない場所に
配属されると、
とたんに楽しくなくなる。
つまり、幸せを感じなくなる。
だからこそ、
自分のそばにいて
幸せを感じさせてくれる
ムードメーカーは大切。
できる限り、
そばにいてもらう状況をつくる。
簡単には切れない関係を結ぶ。
ムードメーカーは、
幸せを運んでくれる人。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
明日になると
遠く行ってしまうけど、
今日ならなんとか
背中をつかめる運命がある。
大概において、
問題先延ばしは
良くない方向に進む。
ちゃんと解決しておけば、と、
後で悔やむことが多い。
今日の問題を今日解決する。
今日やれることは今日やっておく。
簡単なことのようだが、
面倒くさいことも多い。
だからといって、
先延ばしは痛い目にあう。
同じように、
今日がんばっていれば
追いつけるものを、
明日に延ばしたばかりに、
手の届かないことになることも
たくさんあった。
人生は、短い。
届かなくなったものを
探して、追いつくのは
大きな時間のロスだ。
そう考えると、
今日できることは、
今日やってしまう。
その繰り返しが
人生の運命をコントロールすると
いえるかもしれない。
運命をなるべく自分の思い通りに
したかったら、
今日を大切にしよう。
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