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(今日のコトバ)
いちばん苦しい時は、
いちばん輝きをためている時。
人生は、山あり、谷あり。
いい時もあるが、
苦しい時もある。
その苦しい時。
どう乗り切ればいいか。
人によっていろいろな方法があるだろう。
その方法の一つとして、
こんな考えはどうだろう。
「苦しい時は、
これから輝くための
光りをためている時」と設定してしまう。
しんどい気持ちだけでは乗り切れない。
その先に何かある。
それは、乗り越えた先の希望。
それは、成果を出し自分が
輝くことができるということ。
そう希望をつくってしまうのだ。
人は生きるために、
何か自分にとって得るものが必要だ。
そのために、
苦しい時を乗り切った時の
イメージをしっかりつくる。
乗り切るために大切なことだ。
(今日のコトバ)
敵を友にできた時こそ、
ほんとうの勝利者になる。
人生には、敵がいる。
特に、夢や目標に挑む時、
必ず敵が現れる。
勝つこともあれば、
負けることもある。
敵、といってしまうと、
仇のような印象を持つが、
ライバルというと
好敵手のような感じがして、
ちょっと印象も違ってくる。
いずれにせよ、
自分の夢実現のために、
立ちはだかると同時に、
成長さてくれる最高の教材でもある。
もっというと、
成長させてくれる最高の教材であれば、
敵対するのではなく、
評価しあってもいい。
事実、いいライバルと呼ばれた人同士は、
いい関係を結んでいる。
そう考えると、
敵・ライバルとの最終目的は
友になること。
それも、同じ夢を追い、同じ挑戦をし、
同じ苦しみを乗り越えている。
親友といっていいかもしれない。
だからこそ、いま、
ライバルがいる人は、
そのライバルを大切にしよう。
人生のかけがのない友になる
可能性大なのだ。
(今日のコトバ)
「いま」を「みらい」だと思わないと、
人生はもったいない。
もう過去には生きられない。
生きられるのは、現在と未来。
そこに人生がある。
であるなら、
現在と未来に集中して生きていい。
もっというと、現在という時間は一瞬だ。
刻々と過ぎていく。
つかまえられるようで、
つかまえられない。
止められるようで、
止められない。
だが、未来はいろいろ膨らませる。
夢を描いていい。
いいイメージをつくっていい。
理想を掲げていい。
計画を企てていい等、、、。
たんさんのことをつめ込める。
人生に一番有効に使える時間だ。
だとしたら、
現在も未来のひとつと考える。
それだけ未来が広がる。
未来がいっぱいある人生なんて、
いいじゃないか。
どうせ一度の人生。
未来がいっぱいある人生にしよう。
(今日のコトバ)
いま、ここにある現実を
夢としてつきあっていく。
そんな人生も楽しいじゃないか。
現実。
リアルが人生をつきつける。
決して、楽なことばかりではない。
真剣にならざる負えない場面も多々ある。
ただ、「現実、現実」と現状の
良くない部分ばかり見るのも
どうかと思う。
現実にも良い部分はたくさんある。
その良い部分をしっかり意識して
生きる。
少し大げさにいえば、
現実といえども自分の夢に向かって
生きている部分がある。
今日一日は、
夢に向かって前進しているのだ。
そう思うと、
気が晴れる。
やる気も出てくる。
人生は短い。
今日の現実は今日終わる。
だが、今日の夢は今日終わらない。
大きければ大きいほど
何年も夢は続いていく。
その夢に向かって、今日一日がある。
今日を乗り越えていくために、
夢は大切な役割を
果たしてくれているのだ。
(今日のコトバ)
たとえ望んだ結果でなくても、
結果を受け入れて生きているうちに、
最高の結果になることがある。
「正しい道なんてない。
歩いている道を正しい道にするのだ」
そんな言葉をどこかで聞いた気がする。
長く生きていると、
ほんとうにそう思う。
行きたかった道には行けなかった。
だが、その道も楽しかったし、
幸せになれた。
自分がその道で活きる環境にあれば、
生きていく道の考え方は変わる。
もちろん、理想の道に進めなかったから、
いい人生ではないという人もいるだろう。
だが、それでも長く歩く道は、
慣れるし、愛着もわく。
理想ではないが、
素晴らしい道を生きている
と思えることも多くなる。
いま、自分の歩いている道に
半信半疑でいる人は、
その環境が自分に合っているかどうか、
一度、ゆっくり考えてみるといい。
思いの他、
自分に合っている道かもしれない。
いい環境であるかもしれない。
受け入れてみると、
案外、いい道だったりするのだ。
(今日のコトバ)
世の中は捜している。
あなたという誰にも似ていない
奇跡を捜している。
あなたという存在は、唯一無二だ。
誰にも似ていない。
完璧なオリジナル。
そんなことはみんなわかっている。
ただ、その使い方を知っている人は少ない。
つまり、自分のオリジナル性に
特化して生きる人。
その場、その場で、流されて生きる人。
自分の不得手なもので生きる人。
オリジナル性を探さないで生きる人等。
とても、もったいない生き方をしている。
どう考えてもオリジナルで生きる方が、
強いし楽しい。
もっといえば、
オリジナルを持つということは、
ひとつの奇跡を持つということ。
誰もできないことができることは、
奇跡といっていい。
だからこそ、自分のオリジナル性を
活かして生きる。
そのことを忘れないでいよう。
(今日のコトバ)
言葉は、一瞬で光をつくる。
次の言葉ひとつで、
まわりを明るくできるんだ。
たった一つの言葉で、
救われることがある。
たった一つの言葉で、
状況が明るくなることがある。
一つの言葉。
この言葉は、
何より即効性があり、
何より癒してくれる。
もちろん、
どんな言葉でもいいという話ではない。
誰が、いつ、どんな言葉を使うかで、
まったく意味は変わってくる。
その言葉が人の心に響けば、
人の生きる道に明かりを灯す。
そう考えると言葉は大切だ。
大事に伝えれば、
大きな力を発揮する。
人生に大きく役立つ。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
最高になるということは、
あなたがあの人になるのではなく、
あなたがあなたを磨くことで
出来あがるのだ。
一番素晴らしい自分って何だろう。
時々考えることがある。
目標とする人に向かって精進する。
いいなぁと思う人をマネてみる。
先生にいわれた理想を追う等、、、、。
いろいろな考え方があると思う。
すべて正しいし、
すべて受け入れればいいと思う。
ただ、忘れてはいけないことがある。
それは、自分の得意分野を
見極め磨くということ。
自分のいいものを最高のものにする。
誰か他の人がいいと思っているものを
後追いするのではなく、
あくまでも自分の得意なものを磨く。
そうでなけば、自分が楽しくならない。
幸せにもならない。
もっというと、勝負の時に
自分の得意なものでければ、
ほんとうの武器にはならない。
そのことを絶対に忘れてはいけないのだ。
(今日のコトバ)
とんがっていると、
傷ついたり、傷つけたり、
痛い思いもいっぱいするけど、
やたらと人の心に刺さるんだ。
まわりにいる「とんがっている人」
誰もが自分のまわりにいたと思う。
もしくは、自分が
とんがっている人自身かもしれない。
とんがっている人は、
そのコミュニティの中で、
波紋をつくる。
誰かに激しくあたったり、
主張を曲げなかったり、
思いつきが人と違ったり、
騒ぎを起こすこともいとわない。
ちょっと迷惑、
だけどキレ者。
とんがっている人は、
そんな人かもしれない。
ただ、振り返ってみると、
とんがっている人は記憶に残る。
目立ったこともそうだが、
頭の中にしっかり、
くっきり忘れられない人になる。
「とんがっている人」
自分の人生の出会いの中で、
彩りが鮮明な人。
実は、そんな人との出会いが多ければ
多いほど、人生はおもしろいものになる。
そう思うと、
まわりにいるとんがっている人も大切。
人生に欠かせないスパイスなのだ。
(今日のコトバ)
「もう一度」と
試みるたびに
成長する。
「あと一歩がんばれば勝てた」
「もう少し続ければ成功した」
「さらに飛び込めば結果はでた」
そんなことを思うことが、
人生で何度かあった。
悔しいという思い。
残念という思い。
喪失する思い、、、、。
何か途轍もなく大きいものを
逃してしまったという思いが残る。
では、そんな気持ちにならないために
どうすればいいだろう。
それは、もう一度がんばるという気持ち、
何度でも挑戦するという気持ちを
自分の中に設定すること。
「この先にいい結果が待っている」
そう思ったら、
自分がやれるところまで、
あるいは他の人が
あきらめるところまでやると
意識に設定する。
意識が働けば、
もう一度、もう一歩、何度でもの
気持ちがわいてくる。
そこが人生を
有意義にするためのわかれ道。
もう一度の意識を設定しよう。
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