自分の知識の先にも大きな世界がある

 

(今日のコトバ)

 

人間は、

自分が理解できるものだけを

正解にする。

 

 

自分が正しいと思うもの。

その基準は、

自分の知識とイコールのような気がする。

自分の知識にないものは、

正しいか、正しくないかわからない。

故に、正しいとはいわない。

だが、自分の知識を超えたところでの正解は

たくさんある。

むしろ、その方が多いといってもいい。

だとすると、

自分の知識だけで正しいと思うものを、

正解としてしまうと、

大きな過ちを犯すことにもなりかねない。

そんな過ちを回避するために、

人の意見、人の知識をしっかり聞く耳を持つ。

自分だけの狭い世界で考えない。

大きな世界で考える。

それだけで、人生の過ちを

回避できることが増える。

自分の知識にの先にも

大きな世界がある。

そのことを忘れてはいけない。

自信と前進は連鎖している

 

(今日のコトバ)

 

自信は立ち止まって失っていくもの。

前進するからあふれてくるものなのだ。

 

 

 

「自信がある、自信がない」

という。

あきらかにクリアできる目標の前では、

自信があると思っている。

ほぼクリアできない目標の前では、

自信がないと思っている。

誰でもそう思う。

ただ、違った角度で自信を考えると、

こうもいえる。

前進して次々課題をこなしている時は、

自信があるといえる。

反対に、立ち止まっていて悩んでいる時は、

自信がないと思っている。

それも自信の概念なのかもしれない。

前進している時は、自信がある。

止まっている時は、自信がない。

そう基準をもてたら、

次へのアクションは簡単だ。

とにかく前進して生きる。

そして、自信を持つ。

自信と前進は連鎖しているのだ。

 

駆け上がった先の風景を見てみたい

 

(今日のコトバ)

 

バラ色もある。

虹色もある。

黄金色もある。

人生には、

素晴らしい色彩をもった

風景がたくさんある。

 

 

 

メダルラッシュが続くアスリートたち。

結果を出した選手は、

人生で最高の風景を

見ているのではないだろうか。

バラ色の風景を見ているのか。

虹色の風景を見ているのか。

黄金色の風景を見ているのか、、、。

とにかく素晴らしい風景を見ているはずだ。

そして、その素晴らしい風景は、

誰の人生でも見ることができる。

自分が目指した夢が実現した時、

素晴らしい風景が見えるだろう。

もちろん、世界一金メダルというような

結果ではないかもしれない。

だが、自分の人生として

素晴らしい風景が見える。

そう思うと、

夢達成のためのモチベーションが上がる。

駆け上がった先の風景を見てみたい。

そんな気持ちで生きてみる。

人生にとって大切なことだ。

人の愛を求めて、自分の愛を捧げる

 

(今日のコトバ)

 

人は誰でも愛を待っている。

そして、人は誰でも愛を持っている。

 

 

人は生まれながらにして、

いろいろなものを持っている。

その一つが愛。

家族愛、恋愛、慈愛、無償の愛、、、。

あれこれ形の違う愛を持っている。

では、なぜ、愛を持っているか。

それは、

愛を待っているからではないだろうか。

自分に対して、

いろいろな形の愛を注いでくれる人。

そんな人をいつも待っている。

そのために、自分は愛を持っている。

もっというと、

人からの愛と自分の愛を

結びつけるために生きている。

だとすれば、

人の愛を求めて、

自分の愛を捧げる。

そんな生き方をすれば、

人生のバランスは良くなっていく。

愛は人を結びつける力を持っているのだ。

 

あきらめない自分をつくる

 

(今日のコトバ)

 

あきらめたところを憶えておけ。

そこが現状の限界である。

 

 

人は、どこかであきらめる。

どんなに粘り強い人でも、

いつかはあきらめる。

あきらめるという言葉を簡単に使う人と、

そうでない人がいる。

だが、いずれにしても、

あきらめてしまったら、

そこが現状の限界点になっしまう。

言い訳はいくらでもいえるが、

あきらめたら終わりなのだ。

まわり見ていると、

あきらめない人は、

目標に達成する確率が高い。

どんな困難でも乗り越える。

絶対にブレない。

意志の強さを持つ人は、

みなあきらめない。

反対にいうと、

あきらめないということは、

限界ではないということ。

だからこそ、自分を鍛えて、

簡単にあきらめない自分をつくる。

それだけで、

目標を達成できる確率が上がる。

人生を自分の行きたい方向へ

進めていける。

あきらめないという意志は、

人生にとって大きなプラスになるのだ。

最初に、笑顔

 

(今日のコトバ)

 

握手は、拳を広げてするものだ。

 

 

ケンカ腰で、しかめっ面で、

不貞腐れて、目の前に現れたら、

気分のいいものではない。

こちらも構えるし、

戦闘的な状態になってしまう。

反対に、笑顔で現れ、

聞く耳を持って話してくれたら、

こちらもフレンドリーに

コミュニケーションをとろうとする。

たった、それだけのことで、

人の気持ちは変わってしまう。

だとしたら、

どっちのコミュニケーションをとったらいいか。

答えは、明快な気がする。

いい出会い、

いいコミュニケーションがしたいなら、

笑顔で迎えることを意識すればいい。

人生は、人との出会いで決まっていく。

その時、最初に一番効果があるのが笑顔だ。

 

未来という時間に、気楽に向き合っていい

 

(今日のコトバ)

 

人生は、

時間だけが結末を書くことを

許されている。

 

 

未来のことはわからない。

わかっていないから、

日々、スケジュールをつくって

その通り生きていこうとする。

人は、自由を求めながら、

規則を大事にする。

時間というどいしようもできない軸

とともに生きているから、

仕方ない部分もある。

だとしたら、

いちいち、まだ起きていない未来のことで、

不安になったり、

一喜一憂することもないはずだ。

どうなるかわからない。

わからないことを考えて、

時間を使わない。

無駄とはいわないが、

有効に使うべき時間はあるはずだ。

そう思うと、

未来の時間に対して

気楽に向き合っていい。

もっというと、

未来がきてから考えればいい。

確実な未来なんてないのだから、

最小限の規則を決めて、

それ以外は考えない。

それぐらいの気持ちでいいのだ。

 

いつも側にいてくれる人が、最大の幸運

 

(今日のコトバ)

 

いつも隣りいてくれるあなたは、

サマージャンボ宝くじの特等賞でした。

 

 

 

思いっきり幸運なこととは何か。

小さいこと、大きいこと、

いろいろあるだろう。

ただ、その中で最大の幸運は何か。

それは、

いつも側にいてくれる人ではないだろうか。

側にいて支えてくれる。

摩擦があっても信頼している。

そんな人が側にいたら、

最大の幸運なのだ。

だが、あまりに身近にいると、

それを忘れてしまう。

あたりまえだと思ってしまう。

幸運だと思わなくなる。

そこをあたりまえでないと、

一度、立ち止まって考えてみる。

考えてみればわかるはず。

いつも側にいる人がいなかったら、

どれだけ自分がしんどいか。

そして、どれだけ側にいてくれることが

ありがたいか。

だからこそ、

いつも側にいてくれる人が、

人生最大の幸運と思っていい。

側にいてくれる人に感謝するのだ。

 

希望と生きている

 

(今日のコトバ)

 

希望とは、いつも自分と生きるもの。

つまり、希望とは自分のことなのだ。

 

 

希望がある。希望がない。

人は、言葉にする。

だが、生きていると、

心のどこかに必ず希望がある。

小さい希望、大きい希望あるが

必ずある。

人生と一緒にあるといっていい。

もっといってしまうと、

希望とは人生のこと、

希望とは自分のことと

いえるかもしれない。

そう思うと、

希望という言葉あるものの

実は、人生とか、

自分とかという意味と

一緒なのかもしれない。

今日、

東京オリンピック・パラリンピックが開幕する。

これも人類が求めた大きな希望。

いろいろな問題があって、

難しいこともある。

それでも、人間は希望を求めている。

希望と生きている。

この気持ちは嘘ではない。

そして、

この気持ちを大事にして生きることが

人生を素晴らしいものにする、

まさに、希望ある人生にするのだ。

未完成であるからこそ、人は進化をあきらめない

 

(今日のコトバ)

 

人間という芸術作品は、

未完成だから美しい。

 

 

考えてみたら、

欠けた部分が何もない人と

出会ったことがない。

非の打ちどころがないというけれど、

そういう人にも会ったことがない。

学習能力に優れているが、

人間性はいかがなものか。

運動神経は秀でているが、

時間にはルーズ等、、、。

何かが及第点だが、

何かが赤点になってしまう。

欠けているというのではなく、

未完成といってもいい。

人はどこかに未完成な部分が必ずある。

全体的にどこか未完成といってもいい。

未完成であるからこそ、

人は進化をあきらめない。

一人一人の人間は、

未完成という芸術作品。

そして、まだまだ伸びしろがある。

そう思って生きると、

自分という作品に、

もっと自信を持って生きていいのだ。