生きていくために深呼吸

 

 

 

(今日のコトバ)

 

人間は、呼吸はしても、

案外、深呼吸はしないものだ。

 

 

 

毎日、生き続けると、息苦しい日もある。

爽やかな気分になれない日だってある。

今日の東京のように、

雨が降ったりやんだりしていると、

なんとなくだるくなることもある。

人間は、生き物だ。

毎日、機械のように同じ力で、

同じようにで動くことはできない。

ただ、社会は、一定のルールの中で、

同じ動きを求めてくる。

時に、社会の要求通りに応えられなくなり、

疲れた気持ちに追い込まれることもある。

その時は、もう一度、思い出そう。

人間は、生き物なのだ、と。

機械ではないので、同じ動きができない日もある。

そういう日もあることを受け入れる。

他人ではなく、まず、自分が受け入れる。

そして、深呼吸をして、

自分をリフレッシュしてみる。

少し疲れたぐらいなら、少し休めばいい。

自分のペースを意識して生きていく。

自分を壊さないために大切なことだ。

 

あせらず、誠実に、愚直に

 

(今日のコトバ)

 

人生は、すべて未経験者可からはじまる。

 

 

 

 

はじめは、誰もが未経験者。

完璧にできるわけもなく、

先生に、先輩に、トレーナーに、

技を教わらなくてはできるようにはならない。

複雑で習得まで時間がかかるものもあれば、

簡単で見よう見まねでできるものもある。

ただ、はじめは、何もできない。

そう考えると、

何もあせって、

できたフリをする必要などないことが

たくさんあることに気づく。

大人になればなるほど、

できるフリをするようになる。

なぜ、そうなるのか。

バカにされないためか。

カッコつけたいためか。

文字通り、大人として扱われたいためか。

様々な要素があると思う。

だが、はじめはみな未経験者だったのだ。

そこからスタートすると思えば、

何もあせることはない。

ゆっくり、じっくり覚えていけばいい。

もちろん、習いはじめて時間が経って、

「まだ、できないのか」といわれることもある。

それでも、誠実に、コツコツと習得すればいい。

習得には個人差がある。

早くできたからといって、

それだけで達人になれるわけでもない。

覚えるの遅くても、結果、プロとして、

最高のポジションにつく人もいる。

肝心なのは、あせらず、誠実に、愚直に、

習得していくこと。

それさえできれば、怖いものはない。

そのことを忘れてはいけない。

 

平常心を貫く

 

 

(今日のコトバ)

 

平凡を持って生きる人間を、

追い抜くことはできない。

 

 

 

成り上がりで成功者と呼ばれる人がいる。

勝ち続けて無敵と呼ばれる人がいる。

出世街道を驀進する人がいる。

誰もがマネできるものではないし、

凄い能力の持ち主だと思う。

ただ、成功し続ける人も、勝ち続ける人も、

上への階段が登れなくなる。

階段を落ちるしかなくなる。

その時、平常心で、あるいは、

普通の気持ちで生きていけるだろうか。

知っている限りでいうと、

平常心ではいられなくなる人が多い。

成功していた人が失敗しはじめると、

まるで別人のような振る舞いになる人がいる。

勝ち続けていた人が負け始めると、

急激にチキンなハートが顔を出す人がいる。

気持ちを考えるとあたりまえかもしれない。

ただ、こんな人もいる。

成功しようと失敗しようと、

勝とうと負けようと、

まるでペースの変わらない人。

常日頃の出来事すべてをのみこんで、

平気でいられる人。

人生を見渡すと、

一人位は出会ったことがあるはずだ。

こういう人に出会うと、

本当の勝者のような気がしてしまう。

心の中では動揺があるかもしれない。

ただ、その動揺は人に見せることはない。

平常心を貫く。

マイペースで生きる。

ほんとうに勝てない人とは、

実は、こんな人かもしれない。

人生は、結局、一喜一憂して、

自分のペースが狂った人の負け。

そうならない平常心を持てるかが勝負なのだ。

自分を信じて判断する

 

(今日のコトバ)

 

背中を押してくれる人がいるから、勇気がわく。

背中を止めてくれる人がいるから、理性をもつ。

 

 

 

人生は選択の連続だ。

右へ行くか、左へ行くか。

前進するか、後退するか。

最終的判断は、自分だ。

だが、判断をする時に、

すべてが自分だけで決めているかというと、

そうでもない。

世の中の意見、成功者のサクセスストーリー、

知人のアドバイス等、

様々な要素を取り入れながら判断する。

時に、背中を押してくれる力がある。

時に、背中を止めてくれる力がある。

どの力を選択するかは、自分次第。

ただ、判断する時は、

ほぼ自分の中で、答えは出ている。

「自分はこうたい」

「自分はこうするんだ」

と決めて、判断する材料を集めている。

そう考えると、

常に選択は自分でできている。

その選択した判断で安心したいために、

まわりの要素を調べているだけなのだ。

いま、判断力に乏しいと思っている人は、

一度、自分の思考を見直してみるといい。

判断ができないでいるが、

それが本当に判断していないのか。

案外、判断の答えは出ていて、

その判断が正解であるための確率を

上げようとしているだけではないか。

だとしたら、でている答えを判断して、

邁進すればいい。

正しいと思った判断を突き詰める。

正しければそれでいいし、

正しくなれば修正すればいい。

人生なんて、修正の連続。

今日の正解が、明日の不正解もある。

まずは、自分の判断を信じ前進するのだ。

 

 

夢は発表する

 

(今日のコトバ)

 

夢が威風堂々と行進する人生を。

 

 

 

夢はこそこそ描くものではない。

大胆に、自由に、自分のやりたいものを描く。

声に出して語ってもいい。

夢という人生の壮大な事業は、

発表しながら達成に向かって前進するもの。

だが、まわりの人のことを意識すると、

夢を心に秘めて語らなかったり、

人の前では隠したりする。

そうなると、他人から見れば、

何を目指しているいるのかわからない人になる。

優れたビジョンの夢を描いていても、

理解されることは難しくなる。

だとしたら、

夢を明快に語って、実現に向けて前進する。

まわりからも、自分の夢を理解してもらう。

理解させれば、その夢に賛同して、

一緒に走り出す人がいるかもしれない。

サポートしたり、アドバイスをくれる人が

いるかもしれない。

少なくとも、夢に興味を示して、

いろいろな機会が増えるだろう。

そうなると、夢実現へ加速することにもなる。

夢実現への道がはっきりしてくることにもなる。

仮に、夢が実現しなくても夢なのだ。

挑戦で終わってもいいではないか。

だからこそ、

夢ははっきりと自分で示す。

自分が実現したい夢を発表する。

実現の可能性は膨らむし、

デメリットはあまりないと思う。

夢を堂々させて、

人生と共に前進させればいいのだ。

 

険しい道はタフになる

 

 

(今日のコトバ)

 

近道を避けて歩くと、近道に出る。

 

 

 

なるべくなら楽な道を選びたい。

しんどくもなく、平坦で。

近道であれば、尚いい。

だが、人生、それほど都合よく、

近道ばかりを歩けるわけではない。

時に、険しい道を歩く時もある。

上り坂ばかりの道を歩くこともある。

心が折れそうになって、

前へ進めなくなることもあるかもしれない。

ただ、この険しい道は、

いずれ自分の人生プラスになる可能性がある。

一つは険しさを乗り越えた時に

精神的持久力がつく。

さらには、経験値がつき、

同じような険しい道なら、

何とか乗り越えられる。

乗り越える方法を覚えられる。

人生をタフにする上で力がつくのだ。

反対に、近道ばかり選んだ場合、

タフになるというよりは、

ひ弱になることが多い。

もっというと、近道には、近道の罠もある。

そこは楽できるだけでなく、

ルール違反で、後で責任を負わなくては

ならないこともある。

ムダな金銭が必要な場合もあるかもしれない。

近道を歩くために、

罪に出会うかもしれない。

人生は、いつも道の選択だ。

迷ったら厳しい道を選べという人もいる。

そこまでかはわからないが、

近道ばかり選択しいると、

どこかに落とし穴がある。

そのことを肝に銘じて生きていいと思う。

 

チャンスは現場にある

 

 

(今日のコトバ)

 

そこにいることが、最大の好機だ。

 

 

 

 

「事件は現場で起こっている」ではないが、

何かが起こっているその現場にいることが、

人生にとって大きなポイントになることは

間違いない。

もっというと、現場にいることこそが

人生のチャンスであるといっても過言ではない。

現場にいれば、目撃者になれるし、

当事者になる可能性もある。

いち早く出来事を把握し、

自分の力で解決することもできる。

考え方によっては、

自分のいいように持っていくこともできる。

もちろん、判断を仰ぐことも必要だし、

自分のいいように

処理できることばかりではない。

ただ、現場にいれば、

自分の判断でコントロールできる要素が増える。

そこにチャンスが生まれるのだ。

「人生にチャンスが落ちていない」

という人がいる。

もし、自分もそう思うのだったら、

現場にいく、現場に足を運ぶことを意識しよう。

それだけでチャンスの可能性は広がる。

現場で生きることが大切なのだ。

人は比較する生き物

 

 

(今日のコトバ)

 

ひがんでいると、心がかけていく。

 

 

人は、比較する生き物である。

自分と誰かを比較する。

自分より才能がある。

自分より運動神経が優れている。

自分より出世している。

自分より幸せである、、、、、。

とにかく、どこかで比較する。

そして、自分が負けているものを

負けないようにするために、

自分が足りないものを埋めるために、

日々、努力する。

その場合は、健全な進化につながっていく。

だが、こういう場合もある。

自分以外の誰かの方が優れている。

その状況をひがむ。足を引っ張る。

負け組で連帯して、いじめてみたりする。

比較することによって、

自分の心の闇からわるい手が伸びていく。

誰にでも心のどこかにあるはずだ。

自分でも好きになれない自分。

すべて払拭することはできないにしても、

負けているからといって、

ひがんでばかりいると、

自分の心がおかくなる。

悪意に満ち始めることもあるし、

壊れていくこともある。

だからこそ、

誰かと比較するなら、

自分の足りないものを補う方向へ

心をシフトしよう。

人生、ひがんだり、うらんたりしても、

時間は過ぎていく。

ひがんだり、うらんだりする時間は、

決して楽しいものではない。

不快感も残る。

そんな時間を少しでも減らすために、

自分の成長の時間に変える。

比較して自分が足りないものがわかったら、

そこに伸びしろがある。

そう思えば、

もっと自分が進化できる。

自分が進化できれば、

もっと面白い人生になる。

人生、面白い方がいいじゃないか。

分かち合うから楽しい

 

 

(今日のコトバ)

 

一人でドラマチックはつくれない。

 

 

 

例えば、勝利して。

例えば、合格して。

例えば、成功して。

自分の出来事の中で

感動的な状況になった時、

誰も一緒に喜んでくれない。

あるいは、騒いでくれる人が

誰もいないと、どうだろう。

嬉しさが半減するだろうし、

何か想像したものと違うと思うだろう。

もっといえば、何のために頑張ったのかと、

そもそもの自分の頑張りにも疑問がわく。

人生の感動的な状況では、

まわりの人を巻き込んでいる場合が多いから、

嬉しさをまったく分かち合えないことは、

少ないかもしれない。

ただ、自分の感動的な場面で、

まわりが冷めていることは時々ある。

その時のつまらなさといったら、

これほどつまらないこともない。

つまり、どんなドラマチックな状況でも、

どんな感動的な状況でも、

自分一人では喜べない。

そう思うと、一人で何もかもやったと

手柄独り占めすると、

必ずまわりの人はしらけていく。

もちろん、働きが自分より

良くない人もいるかもしれないが、

それでも、つねに手柄を分かち合うことを

意識して生きる方が、

達成した時、大きな喜びになるし、

その後、モチベーションにもなる。

ドラマチックは、

感動は分かち合ってこそ大きくなる。

そこに生きる楽しさの醍醐味がある。

忘れてはいけないことだ。

 

 

行動がアイコンになる

 

(今日のコトバ)

 

存在証明をしていなければ、

存在感のない人間になってしまう。

 

 

 

人は、人を何で認識するのだろう。

それは、行動を認識して、

頭に人をイメージする。

何もせず、大人しくしていると、

認識することはできない。

もちろん、個性的で認識しやすい人もいる。

そんな人も行動しなければ、

だんだん存在感の薄い人になってしまう。

存在を知られたくない人は、

それでもいいだろう。

ただ、存在を認識されたい人は、

行動することが一番だ。

何かをやっていることは、

認識されるアイコンになる。

「あなたのことは誰かが見ている」

「みんなあなたの努力は知っている」

そういわれるのは、

その人の行動を見ているからだ。

もし、いま、自分に存在感が足らないと思ったら、

行動をどんどんし続けよう。

人は、その行動を見てあなたを理解をする。

そして、行動で判断されるあなたは、

ほぼあなたの人柄に近いものになる。

行動は、あなたをわかりやすく

表現しているのだ。