気を遣って損はしない

(今日のコトバ)

 

気は遣うもの。

遣わなくては気づかれなくなってしまう。

 

 

 

あまり気ばっかり遣うのも大変だけど。

自分が生きる社会の中では、

あるていど気を遣うべきだと思う。

気を遣っていれば仲間も相手も、

自分に対して気を遣ってくれる。

反対に全く気を遣わないと、

相手もいざという時、我関せずの態度をとるだろう。

日頃からコミュニケーションをとらないと、

ここ一番では頼りにならないのだ。

「かまわないでくれ」といっていても、

それは必要以上に触れてくれるなということであり、

気を遣うなということではない。

いま、自分のまわりがコミュニケーション不足だと思ったら、

ちょっとだけ気を遣おう。

たまに気疲れすることがあっても、

人生で損することはないと思う。

ケンカの醍醐味

(今日のコトバ)

 

ケンカにも、非常口をつくってあげる。

 

 

 

腹が立ってケンカしたい時は、

生きていれば様々な場面である。

怒鳴りあったり、殴ったり(暴力はいけません)、

理性の枠から感情が飛び出してしまう。

俗にいうブチきれた状態になってしまう。

感情をノーコンにすると、

人は人ではなくなり獣になってしまうのだ。

ケンカにもどこか許しあえる

扉をつくって、自分も許してもらえる、

相手も許してあげられる状況をつくろう。

ケンカは、戦争ではない。

一時的に感情同志がもつれあう台風のようなものだ。

終った後、嫌な感情を吐き出し、

爽やかな気持ちになれることが、

実はケンカの醍醐味だったりする。

たから、ケンカをしてもいい。

ただし、感情のしこりが残らないよう

心の非常口を開くのを忘れずに。

不健康から生きるペースをつくる

(今日のコトバ)

 

不健康なカラダだから、

健康に生きられる。

 

 

 

ひとつ持病をもつことが、まったく健康より、

健康的に生きていけることがある。

たしかに子供の頃のように、

怪我はあれどどこにも痛みもなく、

脅威の回復力をもっていると、

無理や無謀なことを平気でやってしまう。

大怪我や大病しないとわからない人もいる。

若さゆえに暴走することだってある。

ただ、慢性的な持病をもつと生き方は変わる。

まず、その疾病とどうつきあうかから

日々の暮らしを始めなければならない。

それは、けして悪いことではなく、

一日、一ヶ月、季節、一年にペースをつくり

カラダを大事にする習慣をつけてくれるのだ。

だから、人はちょっと不健康ぐらいでちょうどいいかもしれない。

健康すぎると自分の限界点をすぐ忘れてしまう生き物だから。

進化のための後悔を

(今日のコトバ)

 

終わったことを後悔しろ。

思いっきり後悔しろ。

その記憶が進化の種になるのだ。

 

 

 

「反省はしても後悔はするな」という。

だが、それは嘘だ。人は思いっきり悔しくて、

思いっきり後悔したところから、

次の戦いへのテーマを見出す。

後悔を心からできない人間に、

まともな反省などできるわけがない。

「悔しい」と本気で感じ、

怒りや興奮がわき上がったところから

失敗を成功に、敗北を勝利に導こうとする

パワーが生まれてくるのだ。

言葉に惑わされず、かっこ悪くても後悔しろ。

後悔すれば、自然と次の打開策という反省がはじまる。

それこそが、進化の、成長の源になるのだ。

緊張よ、ウェルカム

(今日のコトバ)

 

緊張している時は、

人生の舞台がまわってきている時だ。

 

 

 

 

心臓がバクバクして、気持ちが高揚している。

手に汗を握りながら、落ちつかない。

緊張している時は、本来の自分を見失いそうになる。

だが、その緊張の場面を思い出してみよう。

試合、試験、面接、告白、、、、。

すべてが自分がチャレンジする時に、

体に起こる現象だ。

つまり、人生の大舞台に直面している時に

起こる体の異変なのだ。

だとしたら、緊張をポジティブに受け止めよう。

緊張がはじまる、それはチャンスがはじまっているのだ。

さらに、緊張している時は、自分の最高を

表現しようとしている時に他ならない。

人は、緊張によって大きく成長しているのだ。

緊張よ、ウェルカム。

その後にくる進化を楽しむのだ。

生きていれば幸せ

(今日のコトバ)

 

競走は結果のために走る。

結果は人生のために走る。

人生は幸福のために走る。

 

 

 

 

勝ったり、負けたりしても、

最終的には幸せになれるかどうかだ。

日々の競走は、勝つために走るが、

ただ勝てば幸せかというとそうともいえない。

負けたから、もうプレッシャーから解放されて良かった

と思うことだってある。

数億円もの宝くじが当って幸運だと思っても、

その後、悲劇にみまわれるケースも知っている。

人生の目標は、あくまでも幸せになることだ。

ならば、幸せという観点から、

人生を見つめるクセをつけよう。

勝って幸せになれればそれでいい。

成功して幸せになれればそれもいい。

ただ、負けても幸せになることもある。

辛さの後の夢だって幸せのひとつだ。

とにもかくにも歩みを止めず生きていく。

生きていれば幸せなことに、

いくらでも出会えるのだから。

STARTING OVER

(今日のコトバ)

 

ころんだ先にも、道はつづく。

 

 

 

人生を歩いていれば、まっすぐな道ばかりではなく、

デコボコ道や砂利道、曲がり道、坂道、いろいろな道に出会う。

元気がよくて、天気がよくて、運気もよければ、

どんな道も気持ちよく歩いていける。

だが、鬱々としている時、考えごとをしている時、

お先真っ暗な時、ついていない時は、

足元の小石にぶつかったぐらいでころんでしまう。

ケガをして立ち上がれなくなる時もある。

しかし、人生の道は死なない限り、そこでは終わらない。

目の前にはまだまだ道がつづいていく。

つらくても立ち上がって、また、歩き出さなければならない。

ギブアップしてその場に座り込みたい時でも、

歩き出さなければ、いまある世界からとり残される。

ただ、反対に考えれば、ころんでも、ころんでも、

道はつづいていくのだ。明日への道はつづいていくのだ。

失敗してもいい。負けてもいい。休んでもいい。

スターティング・オーバー。

立ち上がる気持ちとあきらめない意志があれば、やり直せる。

もう一度、歩き出そう。

まだ見ぬ感動や成功が待っているかもしれない。

ファンの力で実力以上

(今日のコトバ)

 

 

あなただって、

ファンの声援で実力を超越できる。

 

 

 

なにもスポーツ選手だけではなく、

どんな人も応援や声援をもらえば、

情熱を沸き立たせ頑張れる。

体からあふれでるエネルギーが、

高い目標をクリアしようとする。

人は、自分のファンのアシストで

実力以上の実力を発揮できるのだ。

だから、自分にもファンをつくろう。

高い目標ができた時、辛い精神状態に

追い込まれた時、ファンは必ずあなたを

引き上げ、さらに一歩進めてくれる。

未知の力は、自分とファンのサポートで

生まれるのだ。

のろまが制す

(今日のコトバ)

 

 

のろまは弱い。

ただし、あきらめないのろまは最強だ。

 

 

 

人のペースより遅く、

作業などでひとり最後まで残ってしまう。

そんな人の中に、不器用というだけでなく、

何かを考え自分で納得しながら進めていく人がいる。

実は、この手のタイプの人がいちばん凄かったりする。

時間や状況にかかわらず、自分の完璧を目指す。

安易に妥協せず、常に新しいものを模索している。

エジソンのように時間を忘れて、物事に没頭する。

結果、結論を急ぎすぎた人より、

数段素晴らしい解答を引き出してくる。

時計の針を突きつけられ焦ってはがりいる

超高速社会であっても、

本物は完璧に向かって

真剣に、丁寧に物事を進める。

何ものろまなことが、

悪いことばかりではないのだ。

できれば、自分が納得するまで取り組む姿勢を

持ちたいものだ。

生きるための力技

(今日のコトバ)

 

責任感を強くするには、

人を救う訓練をすればいい。

 

 

 

無責任な人が多くなったといわれる。

いったことをまっとうしない人が目立つといわれる。

世の中が個人主義になり、

自分以外に責任をもたなくなったのは事実かもしれない。

だが、力のある組織、成功する組織には、

責任感という三文字を果たす人材がしっかりと存在する。

当然のごとく無責任な集団は、

生きる力を足し算やかけ算にはできず、

引き算にしたり割り算にしてしまう。

できれば、責任感のある組織とつきあいたいと思ったりもする。

では、責任感とはどうやって養われるのだろう。

それは、自らが人を助けることから生まれるのではないかと思う。

人生の中で、誰かを助けることはとても力がいる。

無視して通り過ぎれるのならば、そこで終わってしまえるものを

手を差しのべて引き上げてあげるのだから、

必然的に生きるための力技が必要になるのだ。

その人を引き上げるためにつけた力技こそが、

責任感として身につく。

強い責任感のある人は、

人を助けたり、人をまとめたり、

人に対して様々なサービスを繰り返してきた人なのだ。

自分に対する責任感に疑問を感じている人は、

人を助けてみよう。人をまとめてみよう。

何度も繰り返すうちに責任感は自分と一心同体になるのだ。