(今日のコトバ)
デジカメは、
人の記憶より美しく昨日を再現できない。
時に記憶は人生の場面をデフォルメして再現する。
時に記憶はあらゆる時間を大胆に省略してしまう。
どちらかといえば汚い思い出というよりは、美しい思い出に。
どちらかといえば悲しい思い出というよりは、楽しい思い出に。
デジカメよりも、ムービーよりも、プリクラよりも、
都合良く再現する。都合良く編集する。
人間のもつこんなに素晴らしい機能を上手に使わないのは、もったいない。
なんでもかんでも映像に残して、手帳やアルバムにしまうのもいいが、
記憶のチカラというもの大事にするのもいいことだと思う。
記憶は人間が生きるためのドキュメンタリー機器であり、
記憶こそが人生の瞬間を捉え、
生きる道標を設定してくれるのだから。
沢木耕太郎の「無名」を読んだ。
著者の父の最期の日々を、無数の記憶を紡ぎながら
辿ったノンフィクションだ。
この作品に描かれている父と著者の日々は、
けして映像で残る親子ではなく、
記憶に残る父と子の目にはみえない物語だ。
それでいながら父をもつ人間なら誰もが共感できる
不変の記憶。映像に残した。だが、そこに何も残らない
人生を感じてる人へ。記憶のチカラが何かを教えてくれる作品だ。