(今日のコトバ)
尊敬されて生きるということは、
着飾って生きるより美しい。
数々の実績がある。生きてきた道も素晴らしい。
発言も一言一言含蓄がある。
こんな人の下で教えを受けたい。
こんな人と共に人生を歩みたい。
尊敬できる人の概念とは、
そういったことだろうか。
だとすれば、いま、一番尊敬という概念に当てはまるのは、
サッカー日本代表オシム監督ではないだろうか。
ユーゴスラビアをワールドカップでベスト8に導き、
ワールドカップ以降引き受けた監督では必ずチームを優勝に導いている。
ユーゴスラビアという国が内戦はじめ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、
セルビア・モンテネグロ、クロアチア、スロベキアなどに分割され、
故郷を失っても、サッカーの夢をあきらめない。
激動の人生経験から培った言葉ひとつひとつにも重みがあり、
耳にする人に深い感銘を与える。
尊敬とは、それぐらい重みがあるものかもしれない。
ただ、聖人君子にならなくても、オシム監督になれなくても、
自分の人生でコツコツと実績をつくる。
自分で信じた道を一歩一歩着実に歩く。
自分の言葉に責任をもって発言する。
そのことを肝に銘じるだけでも、
尊敬は生まれてくるはずだ。
かっこだけで尊敬できるとか、
中身のない美しさを尊敬する前に、
本物の人間の力を尊敬しよう。
正しく尊敬できれば、自分の人間力はもっとあがる。
仮にあがらなくても、尊敬されるという目標ができる。
人が尊敬できたら、人生はもっと素晴らしいじゃないか。
人に尊敬されたら、人生はもっと豊かになるじゃないか。
尊敬は、人生の大切なペースメーカーなのだ。
オシム・ジャパンはアジアカップでイエメンに、
2対0で勝利した。まだまだ連携はスムーズではないが、
この試練の中からサポーターが尊敬できる「日本化したサッカー」を
つくりあげてもらいたいものだ。